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多面的に描いた実相ドラマ
2011年3月11日に起きた東日本大震災による福島第一原子力発電所爆発事故の5日間を描いた劇映画「太陽の蓋」(太秦配給)が13日から、大阪・九条のシネ・ヌーヴォで公開される。「何が起こったのかを多面的思考で描き、実相をあぶりだした」という佐藤太監督に話を聞いた。「3・11問題はまだこれから…」と話す佐藤太監督 =大阪市西区のシネ・ヌーヴォ |
■ドラマで描く
-今、原発事故の話をドラマで映画化した狙いは?
僕は仙台市出身で、東日本大震災は身近な問題だった。ずっと何かやりたいと思っていたが、プロデューサーから「3・11をやらないか」と声をかけてもらったので渡りに船だった。これまで多くのドキュメンタリーが作られているが、これを劇映画でやるという例は少なく、NHKテレビがドキュメンタリーの再現ドラマで官邸と福島の原発の人間とのやりとりを描いたくらい。ドラマの脚本作りから苦労が始まった。
-あの時、何が起こって、誰が何をしたのかを描いている。
日本で原発が爆発し、放射能がまき散らされるなんて事が起こるとはほとんどの人は予想しなかったし、起きたら「史上最悪の危機」に陥るという認識も薄かったと思う。原発関係者や電力会社、あるいは官邸担当者らの予想を超えた事故だったが、少なくてもそれに備えた態勢、あるいは対処法がなかったのだろうか。それを知りたいと思った。
-官邸のドラマが中心になり、原発の現場との葛藤が描かれる。
当時の菅直人首相(三田村邦彦)をはじめ枝野幸男官房長官(菅原大吉)ら官邸の人は全部実名を使っているし、内閣副官房長官の福山哲郎さんが書いた事故当時からの経過詳報「福山ノート」も参考にし、福山さん(神尾佑)も登場する。その官邸が原発事故にどう対処したか。原発の現場と電力本社幹部たちとのやりとり。そして被災者であり被害者である福島の人たちの姿をそれに重ねている。
■俳優の参加
-メルトダウンの問題は最近になって発表された。
それを含めてわれわれ一般の人間が知りたいことを、多面的な思考で描くために、主人公として新聞記者の鍋島(北村有起哉)や田中(大西信満)らを設け、彼らが事故を追いかける中で真相があぶりだされるように仕組んだ。新聞記者の彼らも本当の事が分からず、あるいは分かってもそれを原稿に書くことができない事態も描いている。その悔しさを2人の俳優が自分のことのよう演じてくれた。
-それぞれの立場の人たちが、何を見て、何を考えたか
3・11から5日間に起きることはその連続で、菅首相が電力本社に乗り込んで、そこで初めてそこに原発現場生中継の映像が送られていることを知る場面は、一般の国民とパラレルにつながっており、「そうなのか!」という感じにした。それは映画的な脚色というより実際の話であり、俳優の三田村さん自身の考えも入れて「実相」に迫っている。
-ドラマに迫真性がある。
その時の人間の怒りや悲しみがストレートに出ている。何が起きているのか分からない怖さを感じながら、その実態を探らなければならない。新聞記者のせりふも一人だけの考えではなく、数人のそれをミックスすることによって視点を提示するような仕組みを取り入れている。そして立場の違う人たちのアングルがあるポイントに重なれば、それは被災者が一番知りたいことにつながると思う。
-コンサートのライブ感覚に近い?
映画はエンターテイメントだから、見せ方はあると思うが、やはり3・11被災者のために何ができるかが一番で、それに寄り添わねばならない。僕は戦争の経験はないが、3・11のことは肌で感じた体験であり、それを知る限りは、このことを知らない人に伝えていかねばと思う。仙台の家はもうないが、福島には親戚が多く、宮城県沖地震(1978年)の体験も含めて語り続けるべきだと思っている。
-佐藤監督の映画体験の出発点は?
小学校2年の時に見たスピルバーグの「ジョーズ」。あれは怖かった。原発問題はまだ全然解決していないのでまたチャンスがあれば作りたいが、「ジョーズ」のようなエンタメ映画も撮りたい。
それを含めてわれわれ一般の人間が知りたいことを、多面的な思考で描くために、主人公として新聞記者の鍋島(北村有起哉)や田中(大西信満)らを設け、彼らが事故を追いかける中で真相があぶりだされるように仕組んだ。新聞記者の彼らも本当の事が分からず、あるいは分かってもそれを原稿に書くことができない事態も描いている。その悔しさを2人の俳優が自分のことのよう演じてくれた。
北村有起哉(中央)と大西信満(左) =(C)「太陽の蓋」プロジェクト |
-それぞれの立場の人たちが、何を見て、何を考えたか
3・11から5日間に起きることはその連続で、菅首相が電力本社に乗り込んで、そこで初めてそこに原発現場生中継の映像が送られていることを知る場面は、一般の国民とパラレルにつながっており、「そうなのか!」という感じにした。それは映画的な脚色というより実際の話であり、俳優の三田村さん自身の考えも入れて「実相」に迫っている。
-ドラマに迫真性がある。
その時の人間の怒りや悲しみがストレートに出ている。何が起きているのか分からない怖さを感じながら、その実態を探らなければならない。新聞記者のせりふも一人だけの考えではなく、数人のそれをミックスすることによって視点を提示するような仕組みを取り入れている。そして立場の違う人たちのアングルがあるポイントに重なれば、それは被災者が一番知りたいことにつながると思う。
-コンサートのライブ感覚に近い?
映画はエンターテイメントだから、見せ方はあると思うが、やはり3・11被災者のために何ができるかが一番で、それに寄り添わねばならない。僕は戦争の経験はないが、3・11のことは肌で感じた体験であり、それを知る限りは、このことを知らない人に伝えていかねばと思う。仙台の家はもうないが、福島には親戚が多く、宮城県沖地震(1978年)の体験も含めて語り続けるべきだと思っている。
-佐藤監督の映画体験の出発点は?
小学校2年の時に見たスピルバーグの「ジョーズ」。あれは怖かった。原発問題はまだ全然解決していないのでまたチャンスがあれば作りたいが、「ジョーズ」のようなエンタメ映画も撮りたい。
さとう・ふとし 1968年生まれ。宮城県出身。学生時代に自主映画を撮りプロに転向し金子修介、椎名誠らの助監督に付く。95年に短編映画「デートトレイン」を発表。以後テレビドラマ、CM等で活躍し、2005年に「インディアン・サマー」で長編監督デビュー。今作は2作目。
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