http://www.labornetjp.org/news/2016/0816hayasida
舌鋒鋭く、しかも早口。さらに言えば、医学の基礎知識が多少ないとついていけない。しかし聞き逃しを許さない中身だけに、集まった150人の参加者も食い入る姿勢で2時間、耳を傾けた。3万人のがん患者を診てきた北海道がんセンター名誉院長、西尾正道さん(69/写真)の九州講演会である。7月23日に北九州市で開かれた内容は、原発事故と内部被曝の健康被害がメインながら、話はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)にも及び、この国の行く末が空恐ろしくなるのだった。
●「放射線はウソをつかない」
団塊の世代である。西尾さんは学生時代、「エンプラ闘争で石を投げ、大学は無期停学になった」と思い出を笑いにまぶして最初に語った。「エンプラ」とは米原子力空母エンタープライズのこと。1968年1月、米軍佐世保基地(長崎県佐世保市)への入港を阻止しようと革新団体などが反対闘争を繰り広げた。その現場に若き西尾さんは勇み立ったというのだ。どうやら、その気風が消えることなく、放射線治療専門医としての直言を今も続けている。
「放射線はウソをつかない」と断言した。画像写真をどう見るか、がん患者を視診・触診しながら治療を探る。放射線の画像診断の素晴らしい報告書を書いても治療医がデタラメなら、診断の報告書も患者さんには役立たない。それで、診断もできる治療医となった。切りたがる外科医や効果のない抗がん剤に固執する内科医に対してズバズバ言ってきた。また東京電力福島第1原発事故後はICRP(放射線防護委員会)の内容で書かれた教科書をうのみにしている放射線科医にも「ICRPの催眠術から目を覚ませ!」と言うものだから「放射線科でも孤立している」と頭をかく。
患部をピンポイントで内部被曝させる低線量率小線源治療は「20人中19人、治せるよ」と自信を見せる。本当は「20人」と言いたげだ。ところが大半の治療医は、原発事故後も将来発生するであろう健康被害に関して「ほとんど危機意識がない」と西尾さんの嘆き節は止まらない。医師たちへの啓発として北海道医報にも投稿し、放射線の健康被害は内部被曝にこそ力点を置くべきだと主張する。
ICRPは一民間団体に過ぎない。調査や研究をすることはなく、原子力政策を推進するにあたって都合のいい論文を採用し、低線量被曝の健康被害の報告については無視を決め込む。だから西尾さんはICRPの理論を「エセ科学」と指弾する。IAEA(国際原子力機関)やUNSCEAR(国連放射線影響科学委員会)もそうだが、原子力ムラの“手先”となっているこうした組織を信奉せず、放射線の隠蔽されている裏の世界に目を向けるべきであるという。
「エセ科学」を援用する学者や専門家と呼ばれる人たちの見解を基に20ミリシーベルトという年間線量限度で福島帰還政策を進める政府の姿勢を、だから西尾さんが「非常識で異常であり、棄民政策」と怒り心頭に発するのも当然だ。
●甲状腺がん「多発」には疑問
一方、福島で甲状腺がんが「多発」している点については放射線由来とは考えない。甲状腺がんの大半は、ゆっくりと進行する乳頭がん。統計をスライドで示しながら、人口を罹患者で割り、10年の有病期間を考慮すれば700人に1人が有病していると推測する。「100万人に2~3人の発症率」といわれる小児甲状腺がんだから、一見「多発」しているように受け止められてきたが、事実はデータの取り方で違ってくるということなのか。会場も、息をのんで西尾さんの言葉に聴き入る。そもそも海藻類を常食してきた日本人は、日常の食生活で甲状腺に必要なヨウ素は飽和されており、放射性ヨウ素が体内に取り込まれても、ほとんどを尿として排出する。18歳以下のスクリーニング検査は、検査機器の精度向上もあって1センチ以下の「微小がん」として早期のレベルで発見されているのが多いという。がん治療をした人の一部の症例だけが登録されている従来の日本の「がん登録」のデータは比較対象にはならないという。登録した患者数をその年齢層の全人口で割るから、子どもの甲状腺がんが「100万人に2~3人」という数字は、西尾さんからすれば俗信である。
もちろん、原爆の被爆調査やチェルノブイリ原発事故の被害者調査で放射線被曝が若いほど甲状腺がんの発症リスクが高まることを西尾さんも理解している。それも踏まえて、福島の先行調査で発見された甲状腺がんは、検査すれば見つかる可能性のある人たちだったとの見解を示した。だからといって、政府の側に立つわけではない。がんと放射線の影響を外部被曝の線量をもって初めから否定するにおいが漂う検査の開始に疑念を抱き、画像データを本人または保護者へ提示するよう求めている。がんが放射線由来かどうかを判別するために染色体検査も提起しているが、情報を統制する国や福島県立医大に前向きな動きはない。
問題は今後である。10歳以下の子どものがんが増えたなら、それは放射線由来が濃厚と西尾さんは懸念した。微粒子として体内に取り込まれる内部被曝を軽視しては本質を見誤るとの立場だ。放射性物質の影響は、晩発性にこそ注意すべきだと力説する。「影響は、線量が高ければ早く、低ければ遅く出てくる」。福島原発事故後、枝野幸男官房長官(当時)が何度も会見で述べた「直ちに健康に影響はない」がどうしても思い出される。被害はこれから顕在化するのかもしれない。
放射性セシウムが甲状腺に取り込まれるとの研究報告もある。また、1キロ当たり8000ベクレル以下の汚染土は公共事業で再利用することを環境省は決定した。西尾さんは「1億総国家被曝プロジェクトだ」と吐き捨てるように言い、フランスなど自国の「廃棄物」を虎視眈々と運び込もうとする動きも見られると警戒を隠さない。にもかかわらず、集会から5日後の読売新聞の社説では「放射線量が下がった廃棄物は、迅速に処分する。その流れを定着させることが重要である」との書き出しから国の方針を後押ししている。新聞では「セシウム134は、約2年で半減する」とも書くが、半減期30年のセシウム137はもちろん、他の核種については触れない。
●鼻血が出るのは「当たり前」
鼻血は「当然出る」と西尾さんは言う。例えとして「あなたは目薬を口から入れますか? 目薬は目に差すから2、3滴でも効果があるし副作用もあるんですよ」と力を込める。ところがICRPは外部被曝と内部被曝を同等に扱い、目薬で言えば、2、3滴の量を「口から入れても問題ない」と切り捨てるようなものだから「インチキ」と指弾する。エネルギーの問題を議論しないことにも不思議でならないようだ。「日ごろ5円、6円の取引しかしていないところへ(セシウムが入れば)66万円の取引になるから細胞がビックリするよね」と“金銭感覚”に訴え、体の組織内では0.6ミクロンしか飛ばず低いエネルギーに見えるトリチウムは核に取り込まれるからこそ問題だと指摘する。外部被曝なら全く問題ないと言ってよいが、内部被曝となれば放射線の影響は無視できない。ICRPは意図的に無視しているように西尾さんは感じている。
そして、黒点の映った画像を見せた。2013年7月、福島県南相馬市の市議会議員から送ってもらったダストサンプラーのフィルターをイメージングプレートに密着させたものである。放射性セシウムを含んだ微粒子は不溶性であり、原発事故から2年以上たっても空中を飛んでいる。「こういうのを吸い込んでいるんですよ。それなのにマラソン大会なんかやっている」と驚きあきれる。事故当時、車のフィルターは真っ黒。東京都北区でも汚れが目立つ。気体中の放射線を測って理論を構築しても、それだけでは不十分である。「原発事故などで放射性物質が放出された場合は、放射性微粒子として存在することも想定すべきだ。体内に取り込まれた場合、放射性微粒子の近傍周辺の細胞だけが大量に長期的に被曝し、がんにもなる。それを全身60兆の細胞に均等に当たると設定して全身の被曝影響を評価する実効線量(シーベルト)で全身化換算して表すことこそ無理がある」と西尾さんは繰り返した。
微小粒子状物質PM2.5がなぜ問題なのかといえば、肺に入ってしまうからである。大きい異物は気管支粘膜の絨毛(じゅうもう)運動で排出しようとする。呼吸で入れば気道から鼻腔に出る。静脈が集まるキーゼルバッハ部位の鼻粘膜にベットリと放射性物質が付着し測定不能な高線量が鼻粘膜に当たるので、鼻血が出るのだ。そんな当たり前の話なのに、専門家と称する人たちらは躍起になって「風評被害を助長する」と否定する。福島第1原発を見学後に鼻血を出した経験を漫画『美味しんぼ』で表現した原作者の雁屋哲氏は『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(2015年)の中で「これは“風評”ではない。“事実”である」と、がんだけでなく臓器の損傷に結びつく内部被曝の構造を述べ、低線量被曝に注意を向けて「福島の人たちよ、逃げる勇気を」と結ぶ。西尾さんの話とシンクロしてくる。
福島第1原発3号機の爆発も水素爆発だったのか。オレンジ色の光と垂直に上る煙をスライドに映し出して西尾さんは否定し、核爆発だとの見方を示した。「鉄など原子炉を作る構造体と一緒になって微粒子として吹っ飛んでいるから深刻なんです」と説明し、事故を起こしていなくても原発周辺地域のがん死が統計上なぜ増えるのかにも言及。高齢者の増加は、がん罹患者数の増加の要因の一つでしかない。主因は、1945年の原爆投下以降も大気中核実験が繰り返されたこと、また原発が稼働することで放射性物質が人の体内に取り込まれたからである。原発から排出されるトリチウムの危険性はこれまで一部で指摘されながらも、国からの研究費が絞られたこともあって広がらない。物理的に分離処理しようとすれば高額を要するトリチウムだから、短絡的な経済利益を追求する者たちは頰かむりする。福島第1原発周囲にあるタンクの汚染水も、いずれは海に放出したいと国は考えているようだ。DNAの二重螺旋構造は四つの塩基の組み合わせでできているが、この塩基は水素結合力で結びついている。このため水素として体内に存在するトリチウムはDNAに取り込まれ、DNAのレベルでベータ線を出すため、多大な影響を与える可能性を西尾さんは見過ごせない。
●1億総奇病難病時代の危険
時間が押して話を切り上げようとしつつも、このことだけは伝えたいと野村大成・大阪大学名誉教授の報告を紹介した。低用量の化学物質を与えても、がんはなかなか発生しない。放射線だけでも同様だ。しかし、両方組み合わせると相乗効果でがんが大量発生するという実験結果である。西尾さんは、今の日本社会が農薬を含めた化学物質を多用し、放射性物質に取り囲まれている実態を「多重複合汚染」と危惧した。生活環境がこのままなら、がんは間違いなく増えると断言する。もはや40代から、がんが死因のトップになってしまった日本。40歳未満の死因のトップが自殺となれば、暗澹たる社会である。西尾さんの嘆きが止まらないのも無理はない。
TPPによって農業など日本の根幹が破壊されようとしている。米国に本社のあるバイオ化学メーカー、モンサントの名を西尾さんは挙げた。遺伝子組み換え作物のシェアは世界の9割。枯れ葉剤や農薬も手がけてきた同社の社員食堂では、しかし遺伝子組み換え食品は禁止されている。内と外を冷徹に使い分ける点を突きながら、国家ではなくグローバル企業が世界を支配しようとしている醜悪さを唾棄するのだった。そして、モンサントと提携している住友化学の会長が米倉弘昌氏であり、同氏は日本経済団体連合会会長も務めてきた。原発事故後、東電の免責をいち早く訴えた擁護派の目指す方向に、日本の未来をつくる子どもたちの健康など視野に入っていないだろう。
自閉症はなぜ増えているのか。アスペルガー症候群が目立ってきたのはなぜか。こうした小児の自閉症スペクトラム障害の原因として、汎用されているネオニコチノイド系農薬が関係していることが突き止められているにもかかわらず、残留基準値は世界一緩い。遺伝子を傷つける放射線を無視して論議している現実を空論と見つつ、西尾さんは「日本は1億総活躍社会ではない。1億総がん罹患社会になろうとしている。そして1億総奇病難病時代になってきている」と結論づける。多岐にわたる話も、「原発を止めなければ」に収れんされた。だが、それは政治イデオロギーではない。医者として、人間として、命を守るための、やむにやまれぬ腹からの声だった。
林田英明
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