http://mainichi.jp/articles/20161012/ddl/k07/040/006000c
東京電力福島第1原発事故で、県は避難指示区域外からの自主避難者への住宅無償提供を来年3月に打ち切る。避難先に住み続けると決めた人がいる一方、家族の理解が得られず、地元に戻る人も。定住か帰還か、選択の時が迫っている。
■厳しい生活
買いだめしたコメやみそがネズミに食い荒らされ、部屋に収納しきれない衣服は共用廊下で保管する−−。
2011年夏、福島市から山形県米沢市のアパートに避難した竹内桃子さん(47)が体験したことだ。
原発事故直後、当時幼稚園児だった娘が突然体調を崩し、急きょ借りた部屋の間取りは2DK。今年春、高校入学を機に引っ越してきた息子の部屋も無く、電子ピアノを勉強机代わりにした。
今年6月に同市内の一戸建てに住み替えた。学童指導員の月約8万円の手取り収入に、福島市に住む夫の給料を合わせても生活は厳しく、無償提供打ち切り後の暮らしは見通せない。
「経済的に楽ではないが、子どもたちは既に避難先の学校で人間関係を築いている。国が安全と言うこともまだ信じられず、福島に戻ることは考えられない」。竹内さんは、小学生になった娘が高校を卒業するまで米沢にとどまるつもりだ。
■溝
山形市の借り上げアパートで中学1年の長男と生活する福島市出身の女性(42)は昨年秋、この地への定住を決め、かつて住んでいた福島市の家を売却した。
福島に残る夫は避難に理解を示し、会社が借り上げたアパートから山形まで月数回足を運ぶ。女性の両親は、打ち切り決定直後は福島に戻るよう促したが、食べ物に含まれる放射性物質への不安などを伝えると考えを尊重してくれた。
ただ、事故から5年半以上がたち、自主避難者たちの境遇は変化してきたと女性は語る。避難の継続を巡り、別居中の夫から離婚を告げられたり、福島の友人から「いつまで家族に迷惑を掛けるつもりなのか」と批判されたりする人が周りで増えているという。
「家族からの金銭的支援がなくなるなどして戻るケースは多い。避難先にとどまれた人との間に溝が生まれ、関係が崩れることもある」と女性は打ち明ける。
■時限的支援
自主避難者の受け入れ先自治体では、打ち切り後の独自支援を打ち出したところもある。7月下旬時点で81人の自主避難者が身を寄せる鳥取県では、計2世帯5人が民間の借り上げ住宅で暮らす。福島県の支援終了後、18年度末までは鳥取県が独自に借り上げ、無償提供を続ける方針だ。
一方、約460世帯1280人の自主避難者が民間住宅に住む山形県では、住宅に掛かる費用が年間で億単位に上るため、打ち切り後に独自で家賃補助を続けるのは難しい。代替策として、住宅新築時にローンの利子支払いを一部肩代わりするなど、定住支援の枠内で対応している。
山形県の担当者は「避難者の受け入れ数や財政状況によって、自治体の取り組みに差があるのは事実。少しでも多くの希望に応えたいが、支援はあくまで時限的なもの。いずれ自力で生活費を賄ってもらわざるを得ない」と話した。
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