2016/10/30

【茨城】<ひと物語>つくばに自主避難の福島の映像製作会社社長 田部文厚さん(45)

2016年10月30日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201610/CK2016103002000148.html 

東京電力福島第一原発事故などにより、福島県からつくば市内に避難してきた人たちを支援する側に焦点を当てた動画の製作に関わった。次の災害に備え、参考になればと筑波学院大(つくば市)と東京大の共同研究チームが企画した。撮影とインタビューを担当した。昨春から一年四カ月を費やし、民間の支援団体や避難者の自助組織などに、支援のきっかけや今後の課題などを聞き、約三時間半の映像にまとめた。

「単なる記録にしたくない」と、質問以外の場面では福島弁で語り掛けて本音を引き出し、郷里に思いを寄せる避難者たちの表情をレンズで追った。「彼らの一瞬の沈黙、目線、表情を見て、気持ちをくみとってほしい」

福島県郡山市内の自宅兼事務所で映像製作会社を営み、これまで千五百件以上の婚礼写真を撮影してきた。東日本大震災で生活は一変した。自宅は無事だったものの、仕事は軒並みキャンセルになった。ならば「福島のために」と避難所を巡回して、支援する側の写真を撮影するボランティアを買って出るなどした。

二〇一一年十一月、少しずつ仕事が入り始めたが、線量計を手に入れて考えは変わった。測る場所や高さで、放射線量の数値は大きく振れた。線量の高い公園で無邪気に遊ぶ子供たち、寄り添う若い夫婦。「美しい福島の風景を背景に撮りたかった。撮影するのが苦しかった」

妻となる女性(30)の体調も気になった。「このまま福島に居続けるべきか」。悩む日々が続いた。業種は変えたものの、会社は先祖代々、引き継ぎ、百年の歴史を重ねた。「逃げるのか!」「寂しくなるよ」。周囲からは、いろいろと言われた。三カ月後の一二年二月、なじみの客との別れを惜しみつつ、二人で、カメラマン仲間がいるつくば市に自主避難した。

親しくなった筑波学院大講師の武田直樹さん(47)から、避難者の立場で支援を頼まれた。福島の復興を目指す筑波学院大と東大の共同研究プロジェクトに参画、「同じ避難者だからこそ、できること、分かることがあるはず」。使命感から撮影を引き受けた。

プロジェクトは来年三月で活動を終える。仕事の拠点も、つくばや東京都内が中心になった。それでも「本社は福島から変えないよ」。故郷は心のよりどころとして、胸の中にあり続ける。 (山下葉月)

<たべ・ぶんこう> 1971年5月、福島県郡山市生まれ。映像カメラマン。映像製作会社「田部商店」社長。2012年につくば市に自主避難、結婚式の記念動画の編集などを請け負う。14年から筑波学院大と東京大などの共同研究プロジェクトに参加し、カメラマンとして福島第一原発内の撮影に当たった。



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