2015年07月28日 日経ビジネスオンラインhttp://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/070300016/072400002/?ST=smart
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誰もがチェルノブイリという地名を知っているのはあの事故のせいだ。モスクワから約700キロ離れたところにあるその原子力発電所は、現地時間の1986年4月26日深夜1時23分に爆発した。
ただ、それが29年前の出来事であるという事実を差し引いても、リアルタイムにその発生を知った人はいないはずだ。事故は発生からしばらくしてから報じられ、いつの間にかヨーロッパなどで「汚染された牛乳は飲まない方がいい」とされ、そしていつの間にかそれをいう人はいなくなった。
NHKのBSプレミアムで水曜夜9時から放送される「アナザーストーリーズ」では、7月29日にこのチェルノブイリ原発事故を取り上げる。
「あれから29年の間、我々日本人はいろいろな経験をしました。当時と今とでは、あの事故のとらえ方が変わっていますから、もう一度調べてみたい、知ってみたいと考えました。ただ、古い出来事なので、新事実を見つけるのは、難しいかもしれないとも思っていました」
チーフプロデューサーの河瀬大作は意図をそう語る。ところが、今回の取材を通じて、期待していなかった“公開済み”のスクープをものにすることになる。
火事はアスファルトで封じ込めろ
あの事故以前のチェルノブイリ原発にはすでに、事故を隠蔽した「実績」があった。数年前、ずっと規模の小さな事故が起きたときには、その事実は隠し通された。原発から約3キロの距離にある原発作業員が多く暮らしていた街・プリピャチでは、大手を振っての除染ができない中、アスファルトで町中を舗装し直すという力業で放射性物質を封じ込めた。
だから当然、チェルノブイリ原発の所長は86年4月26日のその事故も隠蔽するつもりでいた。非常用システムの試験に失敗し、建屋もろとも原子炉が吹っ飛んでもそれを火事だと言い張り、プリピャチの街にもそのように報告したのだ。その試験は、時間的な焦りから、決められた手順を無視して行われたものだった。
当初はクレムリンに対しても、プリピャチの街へ伝えられたのと同じように、事故は単なる火災として伝えられていた。このとき、ソ連のトップにいたのはミハイル・ゴルバチョフ。
事故から12時間以上経つと、まず、プリピャチの人々が異変に気づき始めた。見慣れない人たちが、放射線量を量っている姿を目にするようになったからだ。このときの街の様子を映した映像には、フィルムと放射性物質の反応によって生じる奇妙な現象が残されている。
放射性物質の影響によってフィルムに「白い発光体」が写り込むという奇妙な現象が |
事故後わずか4行の事故第一報。なぜ情報は伝わらなかったのか |
しかし、ソ連はそれがどれほどの規模の事故であり、放射性物質がどの程度飛散した恐れがあるかなどについては、対国内、対国外ともに、情報を公表しようとしなかった。
設計上欠陥のあるチェルノブイリ型原発が、あの事故から30年近くが経った今もなお稼働し続ける原因をつくり、その呵責に耐えきれなくなった人物にまつわるストーリーなどは、29日水曜21時から、BSプレミアムで放送される。 (文中敬称略)
河瀬 大作、片瀬 京子
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