2015年6月27日 毎日新聞http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20150627ddlk46040293000c.html
東京電力福島第1原発事故などにより、福島県内では約11万2000人(県内避難約6万6000人、県外避難約4万6000人)が避難。広大な面積が放射線物資によって汚染され、立ち入りや宿泊が制限されている。
避難指示区域は年間積算放射線量に応じ、立ち入り制限の帰還困難区域(50ミリシーベルト超)と、宿泊が制限される居住制限区域(20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)と避難指示解除準備区域(20ミリシーベルト以下)に分けられている。
居住制限区域と避難指示解除準備区域については、国が直轄で除染を行っているが、放射線量の高い帰還困難区域の大部分は除染をどうするか4年経過しても決まっていない。同原発が立地する双葉町と大熊町は、約96%が帰還困難区域で今も全町民が避難している。
双葉町の伊沢史朗町長は「役場や学校などの拠点エリアの除染を拡大すれば、町に戻ることも可能だと思う」と町存続を模索するのだ。
除染自体もはかどってはいない。同じく全町民が避難している浪江町は、49行政区のうち三つしか除染は終わっていない。
6月上旬に、同町内で除染の状況を取材したが、宅地は草を刈り表土を約5センチ削り、屋根は拭き取るという作業が黙々と続けられていた。一般的な庭、駐車場付きの2階建て民家1棟で作業は延べ約2週間かかるという。
国は居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示を2017年3月までに解除する目標を決めた。同町の馬場有町長は「除染ができないとインフラ復旧が始まらない。除染を2年足らずで全部できるか少し疑問」と懸念する。
除染が終わり避難指示が解除されても、帰還が進むとは限らない。昨年10月に避難指示が解除された川内(かわうち)村東部地区。帰還人口は約12%で、いち早く12年1月に「帰村宣言」を打ち出し同村は全体でも約6割にとどまる。
その要因に、除染されても残る放射線への不安▽周辺が解除されないと、医療、福祉、教育、雇用などの生活・商業圏が分断されたまま▽避難先で根づいた生活−−などがあげられる。また、広大な山林は除染の対象外だ。
同村の50代女性は、避難生活で体調を崩したという夫といわき市内の仮設住宅で2人暮らし。「川内村に帰っても、病院に夫を連れていくのに時間がかかる。息子夫婦も放射線の子どもへの影響を心配して帰っていない」と話す。
双葉町などでは13年と14年に、住民の帰還意向を調査した。「戻りたい」「判断がつかない」と帰還を諦めていない層が27・7%から40・2%に上昇した。伊沢町長は「ふるさとに対する思いと、我々がある程度町の将来を示せるようになったことだろう」と話す。
◇ ◇
被災地を走ると、「いつの日か 我が家に戻るその願い 心に秘めて除染中!」などと除染作業を鼓舞するのぼりが目につく。その「いつの日か」が悲しい。【宝満志郎】
==============
■ことば
◇放射線被ばく
国の基準値(自然放射線や医療は除く)は年1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)。国際放射線防護委員会(ICRP)の指針では、年1〜20ミリシーベルト。広島・長崎の原爆による被ばく調査では、累積100ミリシーベルトを超えるとがんで死ぬ率が高まるとされているが、100ミリ以下でもどこまで安全かという科学的目安はないという。
0 件のコメント:
コメントを投稿