http://www.asahi.com/articles/ASH685SK9H68PTIL02K.html
「甲状腺がんは、原発のせいだ」
韓国の裁判所で、こんな判決が出たのをきっかけに、原発周辺に暮らす甲状腺がん患者やその家族が続々と、原発を動かす公営企業を相手に裁判を起こしている。
韓国の商業炉で初めて「廃炉」が決まった釜山市の古里原発1号機(右端)=2014年7月、中野晃 |
韓国で最初にできた釜山市の古里(コリ)原発。1978年に1号機が稼働を始め、現在は6基の原子炉建屋が日本海(韓国名・東海)沿いに並ぶ。この原発から約7・7キロのところに20年ほど暮らす李真燮(イ・ジンソプ)さん(51)の一家が起こした裁判が、甲状腺がん患者らが次々と立ち上がる「起爆剤」になった。
2011年、東京電力福島第一原発事故が起きたころ、李さんは直腸がんになった。約1年後には妻(49)も甲状腺がんと診断された。長男は先天性自閉症の障害を持って生まれた。韓国でも連日報じられた福島の原発事故の惨状を見て、李さんは「家族の病気や障害は、原発がまき散らした放射性物質のせいではないか」と考えるようになった。事故翌年の12年、李さん一家は韓国にあるすべての原発を管理運営する公営企業「韓国水力原子力(韓水原)」を相手に、損害賠償の支払いを求める裁判を釜山地裁に起こした。
支援者もほとんどいない「孤独な闘い」を約2年続け、14年10月、判決の日を迎えた。しかし、「当然敗訴するだろう」と思われたのか、取材に来るメディアも支援する環境保護団体のメンバーもいなかったという。
「被告は、1500万ウォン(168万円)を妻に支払え」。裁判長は、李さんと長男の訴えは「原発の放射線放出との間に因果関係を認めるには証拠が足りない」として退ける一方、妻の甲状腺がんについては「原発付近に居住し、相当期間、原発から放たれた放射線にさらされた。このため、甲状腺がんと診断を受けたとみるのが相当だ」として原発と甲状腺がんの因果関係を認めたのだ。
福島の原発事故を機に、韓国では原発周辺の住民が詳しい健康診断を受けるようになった。2012年2月に甲状腺がんと診断された李さんの妻も、そうした一人だった。
釜山地裁判決がポイントとして挙げたのは次のような点だ。
○甲状腺がんの発生には、放射線にさらされることが決定的な要因として作用することが知られている。
○女性は原発から10キロ圏に20年近く暮らし、放射線に長期間さらされてきたとみられる。
○女性の甲状腺がんの発生には、原発から放出された放射線以外に、原因があると思える明確な材料がない。
○原発周辺地域の住民の疫学調査の結果、原発から5キロ~30キロ離れた地域でも、遠く離れた地域よりも1・8倍高い発生率を示している。女性が暮らしてきた地域を、原発から流出した放射線の影響を受けない地域とみなすのは困難だ。
○ほかのがんと異なり、甲状腺がんの場合、原発からの距離と発生率とに相関関係があるという調査結果が出ている。
さらに、韓国の司法関係者が注目したのは、別の公害訴訟で大法院(最高裁)が示した加害企業の賠償責任に関する判断基準を、原発にもあてはめたことだ。
裁判所は「加害企業は技術的、経済的に被害者よりもはるかに原因の調査が容易な場合が多いだけでなく、原因を隠蔽(いんぺい)するおそれがある。このため、加害企業が有害な原因物質を出し、それが被害者に及んで損害が発生すれば、加害者側で無害だと証明できない限り、責任を免れられないとみることが社会均衡の理念にもあう」と指摘した。
今回、古里原発は、福島のような重大事故を起こしたわけではないが、裁判所は、原発の稼働そのものが「放射線の放出」という被害を生み出していると認めた。さらに、原発が「無害だ」と証明できない限り、賠償責任が生じると断じたのだ。
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「原発が甲状腺がんの原因だ」と結論づけた韓国初の判決はすぐに、ソウルを拠点に「脱核(脱原発)」に取り組む弁護士らに伝わった。福島の原発事故を機に「脱核」を掲げる法律家グループを立ちあげた金英姫(キム・ヨンヒ)弁護士は、「ほかの原発でも勝訴できる」と考えた。
原発周辺の甲状腺がん患者の掘り起こしを進めるソウルの金英姫弁護士。福島第一原発事故後、 「ひまわり」という愛称の脱原発を目指す弁護士の会を結成して代表を務める=本人提供 |
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韓国南東部の慶州(キョン・ジュ)市。ユネスコの世界遺産に登録されている仏国寺や石窟庵で知られ、かつて新羅の都があった古都の日本海沿いには、5基の原子炉が並ぶ月城(ウォルソン)原発がある。
3月中旬、原発前で数十人の周辺住民らが「1号機を廃炉にせよ」と声をあげていた。韓国の原子力安全委員会が2月末、月城原発1号機を「設計寿命」とされる30年を超えて稼働期間を延長することを認めたためだ。この1号機の「寿命延長」問題はここ数年、韓国の原発推進派、反対派双方にとって重大な関心事のひとつだった。福島第一原発事故後、韓国で「設計寿命」を迎えた原発をさらに延長運転させるかどうかを決める最初の事例になるからだ。反対派は「廃炉」を求めたが、国の原子力安全委は、韓国水力原子力の申請を受けて「さらに運転を続けても問題はない」と判断した。
月城原発の正門に通じる道路沿いに付近住民らが籠城(ろうじょう)するテント。 住民らは1号機の即時廃炉を訴えている=3月、韓国・慶州市、中野晃撮影 |
転機になったのはやはり、福島第一原発の事故だった。「原発の危険性に気づき、健康のことがいっぺんに心配になった」。事故から間もないころ、健康診断を受けると甲状腺にしこりが見つかった。さらに1年後の検査で「がん」と診断され、すぐに摘出手術を受けた。以来、毎日薬をのみ、定期検査も受けなければならなくなった。集落では、ほかにも甲状腺がんの患者が見つかった。「原発のそばに長期間住んでいるからではないか」。不安が日増しに膨らんだ。
原発側を相手に裁判を起こした黄粉熙さん。月城原発(後方)の近くに三十余年間暮らし、 3年ほど前に甲状腺がんの摘出手術を受けた=3月、韓国・慶州市、中野晃撮影 |
黄さんの暮らす集落で使う飲料用の地下水や雨水、一部住民の体内からは、検査で、水素の放射性同位体である「三重水素」(トリチウム)も見つかっている。原発から数十キロ離れた慶州市中心部の地下水や雨水、住民の検査では検出されておらず、月城原発との関連の可能性が指摘されている。
黄さんには、一緒に暮らす2人の孫がいる。「日本では福島の子どもに甲状腺がん患者が出ている、というニュースも見た。孫たちのためにも、原発に頼らないような社会にしてほしい」と訴える。
黄さんをはじめ、韓国4カ所の原発のそばに長年暮らしていたり、かつて暮らしたことがあったりする計545人の甲状腺がん患者が昨年12月~今年4月、韓国水力原子力に損害賠償を求める訴訟を相次いで起こした。ほとんどが原発から10キロ圏内での居住歴がある人で、原告は家族を含めて2500人を超える大規模訴訟に発展した。
原告弁護団では、原発周辺の甲状腺がん患者の掘り起こしをさらに進め、原告団の規模を大きくしていく方針だ。引き金役となった李真燮さん一家の訴訟は、原発公営企業の韓水原側が控訴し、釜山高裁で控訴審が続いている。韓水原は「甲状腺がんの発病要因には遺伝などほかの要因もある。また、法令基準内で運営される原発から放出された放射性物質によって原発付近の住民が甲状腺がんになり得るという研究結果は世界的にも皆無だ」と主張し、全面的に争う構えだ。
これに対し、原告側弁護団の金英姫弁護士は「原発が『有害』であるのは明らかで、原発側が『無害』と証明するのは困難だ」と勝訴の維持に自信をみせる。また、韓国でも福島の事故後の健康診断で多くのがん患者が見つかったことから、「日本でも原発ごとに周辺住民の実態調査をすべきであり、患者が見つかれば、電力会社に損害賠償を求める集団訴訟をすべきだ」と訴える。福島第一原発事故後、福島県では事故当時18歳以下の約38万5千人を対象に甲状腺の検査を続けている。県はこれまでに計103人が甲状腺がんと確定診断されたことを公表しているが、県検討委員会は「事故による被曝(ひばく)の影響とは考えにくい」との立場だ。
韓国の原子力安全委の委員(野党推薦)も務める金益重(キム・イクチュン)・東国大学医学部教授は今年3月、事故から4年を迎えた福島県でのシンポジウムに招かれて参加し、被災地を回って違和感を覚えたという。行政も住民も日本政府がいう「放射性物質は基準値以下なら安全」という言葉を信じこまされ、「復興」だけが過度に強調されていると感じたからだ。「私からみれば、福島復興運動というのは『国民被曝(ひばく)量増加運動』でしかない。政府の掲げる復興方針に表だって反対する声や動きもないように見えた。福島が直面する問題の核心は、住民の放射能汚染の問題のはずだ」。金教授は、福島から戻って間もないソウルでそう語った。
韓国での原発訴訟の火付け役となった李真燮さんは「脱原発」を掲げる市民団体に招かれ、福井など各地で講演をしている。大阪市内で開かれた1月末の集会で、李さんは「福島の事故後も韓国政府は原発を増やし、日本政府は原発の再稼働を急いでいる。私たちの安全と健康のためにも、訴訟の輪を広げたい」と訴え、民衆レベルの協力を呼びかけた。
韓国政府は6月8日、第7次電力需給基本計画案を公表し、原発増設路線を維持する姿勢を鮮明にした。すでに既存の原発での増設や新規候補地での建設が公表されている分もあわせると、20年代末までに現状より13基も原発を増やす構えで、「脱核(脱原発)」を訴える市民勢力は反発を強めている。
月に韓国慶尚北道の盈徳(ヨンドク)であった「脱原発」を訴える街頭パレード。福島の原発事故から4年を機に、原発の新規候補地に挙がる海辺の町に韓国各地の市民団体が集まった=中野晃撮影
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日本の原発周辺で、同じような健康被害が起きていても決しておかしくないはずだが、日本政府や立地自治体は原発の再稼働を急いでいるように見える。その影で、「ないこと」にされてしまっている住民の健康被害は本当にないのか。徹底的な調査こそが、福島原発事故を抱える日本がいま、真っ先に取り組むべき課題ではないだろうか。
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なかの・あきら 1994年入社。東日本大震災直後の2011年4月にソウル支局。 3年間の韓国駐在を経て14年4月から大阪社会部・核と人類取材センター。
(大阪社会部(核と人類取材センター)・中野晃)
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