2015年6月16日毎日新聞
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20150616ddm041040170000c.html
東京電力福島第1原発事故の避難者に無償で提供されている「みなし仮設住宅」を巡り、福島県は15日、自主避難者について2017年度以降は提供を延長しない方針を明らかにした。自主避難者は賠償もわずかで、みなし仮設住宅がほぼ唯一の行政支援。父親を福島に残しての二重生活で貧困に苦しむ母子避難者もいる。「生活を再建するまでもう少し待ってほしい」と悲痛な声も聞こえる。
自主避難者は、福島県が事故直後にみなし仮設を含む応急仮設住宅への入居を認めなかったこともあり、多くは福島県外に住む。
河井加緒理さん(33)は福島県いわき市から幼児2人を連れて避難し、みなし仮設として提供された埼玉県営住宅に入った。住宅ローンを抱えた夫は仕送りしてくれず、河井さんはすぐに働き始めた。自宅を売り仕事を辞めて福島を離れるよう夫に求めたが、夫婦の溝は深まり、事故8カ月後に離婚した。
生活困窮に加え、仕事と子育てを一人で担う厳しさから、河井さんは心身ともに不調をきたし、一時はアルコール依存症に陥った。総額150万円ほどの賠償金とわずかな貯金を取り崩し、最後は生活保護を申請した。昨年になって同じ自主避難の母親らと会うようになり、少しずつ回復。「打ち切りならまた振り出し」と訴える。
山形市内のみなし仮設として提供されたマンションの一室に住む藤田亜希子さん(42)は同い年の夫と結婚し、2人の子供に恵まれ、事故直前には福島市内に自宅も新築した。だが、原発事故で一変し、今も母子避難を続ける。帰還以外の住宅支援施策が不透明なことに納得できない。藤田さんは「避難者の声を聞いてほしい」と嘆く。
帰郷した母親たちも懸念する。郡山市の中村美紀さん(39)は事故後、女児3人を連れて山形に母子避難し、「第二の古里」と思えるほどなじんだ。昨年3月、長男の出産を機に帰郷。戻って良かったと思うが、子供たちが除染を終えていない道を歩くのに今でも抵抗感がある。「納得せず不信感を持って戻るのは、その人にとっても福島にとっても不幸」と、帰還を迷う母親たちの心境を思いやる。【日野行介、喜浦遊】
◇「さらに困窮させるもの」
首都圏の避難者らでつくる「ひなん生活をまもる会」代表の鴨下祐也さん(46)らは15日、東京都庁で記者会見し「経済的に苦しい状態にある避難者をさらに困窮させるもので認められない」と住宅提供打ち切りを批判する声明を読み上げた。
福島県いわき市から避難している鴨下さんは「当時小学生だった息子が転校を強いられ精神的に傷ついた。また繰り返すことになるのがつらい」と訴え、妻と息子2人の4人でようやく地域に溶け込んだとの思いがあるだけに「今までの努力をなしにする」と反発。「元の福島ではない。このままでは戻れない」と語気を強めた。【飯山太郎、稲田佳代】
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