貴重な情報交換の場となっている避難者同士の昼食会=4月、下野市で |
東京電力福島第一原発事故の自主避難者に対する住宅の無償提供を、一年九カ月後の二〇一七年三月末で打ち切ると福島県が表明したことを受け、栃木県内に自主避難している人々の間に落胆が広がった。住民の帰還を進めたい国の意向が働いたとされ、現場からは「好きで避難した訳でない」「生活苦に陥ってしまう」などの悲痛な声が聞かれた。 (大野暢子)
福島県によると、一七年三月末の打ち切りが確実視されるのは、福島、郡山両市や、事故直後に一度、避難指示が出た地域を含む計四十四市町村。近く避難指示の解除を予定する三市町村は今後、対応を決める。福島県の担当者は「避難指示が現在、出ているかどうかで判断した」と説明するが、一律の対応が多くの避難者の不信を買っている。
「勝手に避難したんでしょ、という視線がつらい。自力で避難するしかなかった人の痛みを分かってほしい」。福島県田村市都路(みやこじ)地区から益子町に一家で避難し、住宅提供を受ける主婦(41)は、こう声を振り絞った。
「勝手に避難したんでしょ、という視線がつらい。自力で避難するしかなかった人の痛みを分かってほしい」。福島県田村市都路(みやこじ)地区から益子町に一家で避難し、住宅提供を受ける主婦(41)は、こう声を振り絞った。
福島第一原発から半径二十キロ圏内の都路地区は当初、避難指示の対象だった。事故当時、乳幼児だった三人の息子を抱え、故郷の真岡市に近い益子町へ移住。夫は避難時に離職を余儀なくされ、自宅には多額のローンが残された。
国は一四年四月、都路地区の避難指示を解除。しかし、息子たちは栃木県で小学校に通い始め、夫も苦労して新しい職に就いた。元の家は荒れ果て、周辺に除染廃棄物の集積場が目立つなど、帰還は避けたいが、住宅提供が終われば二軒分の住居費がのしかかる。「追い出されたり、戻れと言われたり。被災者は国に翻弄(ほんろう)されている」とため息をついた。
不安を募らせるのは自主避難者だけではない。来春、全域で避難指示の解除が見込まれる南相馬市の小高(おだか)地区から下野市へ避難した男性(78)も、一家で住宅提供を受ける。「避難指示の解除後、まもなく支援が打ち切られるのでは」と気掛かりだ。
南相馬の自宅では今、敷地の除染が進み、帰還も視野に入れる。「ただ、山はいまだに空間放射線量が高い。孫を連れて帰っていいものか…」と悩んでいる。
福島県は十五日、強制避難か自主避難かにかかわらず、一六年三月末までとなっていた住宅の提供期限を一年延長すると発表。一方で、避難指示が出ている七町村を除く地域では原則、提供期限の再延長はせず、低所得者への家賃補助や移住費の支援に切り替える。栃木県は、県内で生活する避難者約二千九百人のうち、住宅提供を受けている人の数は千二百人程度とみている。
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