http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20150629190032.html
一緒に町を訪れた新潟市の友人に町の様子を説明する渡辺光明さん(左)=福島県楢葉町 |
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渡辺さんの自宅から500メートルほど離れた海沿いの地区に、ビニールシートで覆われた小さな台形の山がいくつもあった。かつては田んぼだったのだろう。不自然さを感じる緑色のシートの下には、放射性物質を含んだ汚染土などを詰めた「フレコンバック」(除染袋)があるという。
周囲にはコンクリートの土台や門の跡があり、津波被害に遭った場所だと分かる。近くには、除染廃棄物の仮設焼却施設ができる予定だ。
「ここは散歩をしたり、釣りに行ったりするときによく通った」。渡辺さんは変わり果てた景色を前にさみしそうに語った。
焼却施設が稼働したときの放射線量はどうなるのか、除染廃棄物がいつなくなるのか…。渡辺さんは不安を感じずにはいられない。「住宅の周辺には廃棄物などは見えないが、そこだけで暮らすことはできない。解除は時期尚早だ」と強調した。
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渡辺さんの自宅前には広大な畑が広がっている。原発事故前、渡辺さんはこの約3ヘクタールの畑でジャガイモやゴボウを育てていた。かつてはその下で、親戚とよくバーベキューをしたという庭の柿の木もあった。
線量計で空間放射線量を測ると毎時0・20~0・25マイクロシーベルトを示した。新潟市とは一桁違う高さだ。渡辺さんは毎年、干し柿にする柿の実を取った木を見上げながら「今はセシウムが出てしまうのかな」とつぶやいた。
渡辺さんは避難指示が解除されても新潟に住み続けるつもりだ。「楢葉では積極的に農作物を作る気にはなれない。廃棄物が片付くのを待っていたら年を取ってしまう」と話す。
自宅から少し歩くと除染廃棄物がある暮らしは普通とはいえない。住民の不安の声を政府は聞き、その上で復興を進めてほしいと渡辺さんは考える。「政府は急いで解除をして、何事もなかったかのようにしたいのだろうか」
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8月の避難指示解除に疑問を感じているのは渡辺さんだけではない。楢葉町には買い物できる商店が少なく、隣の富岡町に行くことが多かったというが、富岡町はまだ除染の途上だ。来年2月に県立の診療所ができるまで、病気になっても楢葉町外の医療機関を利用するしかない。
楢葉町を訪れた翌日、楢葉町の住民懇談会がいわき市で開かれた。政府は「雇用の場の確保に取り組んでいる。水道水は放射線量をしっかり測定しているので安全だ」などと説明した。しかし、参加した住民からは不安の声が相次いだ。
同市に避難する男性(67)は「解除後の防犯や急病人への対応が心配」と声を上げた。男性は解除後、楢葉町に帰って農業をしたいと考えている。だが、男性はきっぱりと言う。「水道水を飲むのは心配。まだ安心して住める環境ではないのに解除するのは反対だ」
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