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河井さん宅に取材に行ったのは午後3時ごろ。母の目線の先には、近所の子どもたちと遊ぶ娘の姿が。 子どもたちには「避難者」かどうかは関係ない(写真部・植田真紗美) |
「うるせぇ! 帰るところがあるヤツは、帰れ!」
スポーツセンターの広いロビーに、初老の男性の怒号が響いた。身をすくめる子どもたち。言葉を向けられた河井加緒理さん(33)も咄嗟(とっさ)に返す言葉がない。
「私たちは、認められない存在なんだ……」
そう自覚した瞬間だった。2011年3月下旬。栃木県内のスポーツセンターでのことだ。
東日本大震災に伴う原発事故からの避難者が身を寄せていた。誰もが同様の境遇なら、冒頭の発言はなかったかもしれない。だが、避難者は政府による避難指示の有無によって、自宅に帰りたくても帰れない「強制避難者」と、物理的には帰ることが可能だが避難を選んだ「自主避難者」に二分されていた。
「原発が爆発して、安全なはずがない」
と、当時5歳と3歳の子どもを連れて福島県いわき市の自宅を出発、この避難所へ来た河井さんは、後者だった。
1カ月後の4月に埼玉県へ。現在まで、災害救助法に基づく福島県による住宅の無償提供を受けて公営住宅に暮らしてきた。その無償提供が16年度いっぱいで打ち切られる。河井さんは言う。
「このままでは、追いつめられた親は子どもと路上生活するしかない。『もう大丈夫。ありがとう』と言える日まで、家を追い出さないでほしい」
自主避難者にとって今回の決定は、「2度目の切り捨て」とも受け取れるものだった。
最初の「切り捨て」は、政府が原発事故後、避難指示を出す基準を「年間被曝(ひばく)線量20ミリシーベルト」と定めたことだ。
国の避難指示出ると信じた
原発事故以前の日本の年間被曝限度は1ミリシーベルト。原発事故後は、これが20倍になった。自主避難者の多い福島県の中通りやいわき市の事故直後の放射線量は、この基準には達しないものの、平時の数百倍から1千倍。正確な放射線量や被曝の影響についての情報が錯綜(さくそう)する中、自分の住む地域にも避難指示が出ると信じて避難した人も多くいた。
6月15日の記者会見で内堀雅雄・福島県知事は無償提供打ち切りを「帰還や自立を促すため」と説明したが、戻る場所がないケースや自立できないケースも少なくない。
「原発離婚」という言葉がある。子どもの被曝リスクを減らすために避難を選択した妻と、避難は必要ないと考えた夫。避難生活を支えるために離れて暮らすうち、気持ちがすれ違ってしまった家族。取材の過程で多くの避難者に出会ったが、原発事故後に離婚したという夫婦は5組や10組ではない。
冒頭の河井さんも避難を巡る意見の食い違いで夫と離婚していた。栃木県内の避難所、親戚宅などを転々としてたどり着いた埼玉県の公営住宅。避難に否定的だった夫は同行せず、避難先での生活費も自分で工面するしかなかった。すぐに保育園と仕事を探し、病院の看護助手としてフルタイムで働き始めた。慣れない土地での生活。仕事をしながらの孤独な子育て。夜が来るたびに泣いて過ごす半年間を経て、11年11月に離婚した。
酒浸りになった時期もある。一番守りたかった子どもたちに一日中留守番をさせてでも働かざるをえず、精神的に追いつめられ、思わず子どもに手を上げかけた。そんな毎日を少しでも明るくしたくて、思いきってカーテンを買い替えたとき。新しいカーテンを見た近所に住む女性に投げかけられたのは、こんな言葉だった。
「避難者はいいわね、お金がもらえて」
そもそも自主避難者は、複数の共通する困難を抱えている。
ひとつは、経済的な困難。「すべての避難者には東京電力から高額な賠償金が支払われている」という誤解があるが、強制避難者なのか自主避難者なのかによって、受け取れる賠償金や支援には大きな違いがある。
例えば、帰還困難区域から避難している4人世帯の賠償実績は、2013年時点で1億円(財物・就労不能損害・精神的損害)。これが自主避難者の場合、18歳以下の子どもと妊婦は1人につき68万円、大人は1人につき8万円が基本。河井さんが手にしたのはこれにわずかな追加賠償を加えた約150万円のみだ。母子3人の避難生活を支える金額としては、あまりにも少ない。住宅の無償提供は、自主避難者に対するほとんど唯一の経済的支援だった。
2つ目は、孤独や孤立という困難。原発事故以前のコミュニティーから切り離され、河井さんがそうだったように、避難先では「勝手に避難してお金をもらっている人たち」という視線にもさらされている。
3つ目は、未来の生活を描けないという困難だ。自宅のある地域の放射線量は、今後どう推移するのか。どこまで下がったら戻るのか。このまま下がらなかったら、避難先に永住するのか。避難先の人に「いつ帰るの?」と聞かれて困惑したという話はよく聞く。
そして最大の困難は、避難に伴うあらゆることが「自己責任」とされてしまうことだ。
私のせいじゃなかったはず
磯貝潤子さん(41)は、2人の娘とともに福島県郡山市から新潟県に避難し、現在もそこで暮らしている。避難を決めた当時、自宅の放射線量は、原発事故前の30~50倍。部分的には500倍にもなった。「ここで子育てはできない」と判断した彼女の自主避難を、「自己責任」と片づけてしまっていいのだろうか。
福島県内で仕事を続ける夫の月収は、30万円に満たない。磯貝さんもパートで月に5万円ほどを稼ぎ二重生活を支えるが、自宅の住宅ローンの支払いも継続中で、保険を解約した払戻金や貯金を切り崩して、なんとか生活している。自宅売却も考えなければならないかもしれない。
そんな矢先の無償提供打ち切り。避難先で家賃を支払う余裕はとてもない、と磯貝さんは言う。長女は来春、新潟市内の高校を受験する予定。すぐには地元に帰れない。それでも郡山市から住民票を移さず税金を払い続けるが、いまは地元から見捨てられた気持ちだと言う。
「地元に住み続ける人がいる中、自分たちだけ支援してほしいなんて思っていないんです。でも、『自己責任』と言われるたびに、『私のせいじゃなかったはず』と思ってしまう」
3万6千人いるとされる自主避難者のうち、応急仮設住宅の居住者は2万5千人、およそ9千世帯と推計されている。住宅の無償提供費用は年に80億9千万円ほどとされ、1世帯にすると最高でも126万円ほどだ。一方で、居住制限区域では1世帯の除染費用が1億円に上るケースもあるという。
今回、無償提供打ち切りに代えて示されたのは、「福島県内への引っ越し費用の補助」「低所得者への家賃補助」「公営住宅確保」「コミュニティー強化」の四つだが、財源も開始時期も未定の状態だ。
磯貝さんと同様、福島県内の自宅のローンを抱えながら新潟県に自主避難中の男性(40)は、たとえ一家がそろっていても、
「貧困のリスクは高いですよ」
と話す。
原発事故直後の11年4月に妻の妊娠が発覚。「妊婦や子どもは放射線の影響を受けやすい」と知って避難を決めた。初産の妻を1人で避難させることは、当初から考えなかったという。
いま必要なのは社会全体の共感
その年の夏に新潟県に避難してNPO団体で働きはじめたが、収入は原発事故前の半分以下になった。その後、2人目の子どもも生まれ、一家4人月収20万円以下の切り詰めた生活が続く。
「自主避難者でかつ夫も避難しているケースは、『働き手がいるだろう』と支援の枠から外れやすい。時間の経過とともに『二重生活を続けるのは厳しい』と判断して母子の避難先に夫が合流するケースもあるが、年齢によっては思うように転職ができないなど、みんな厳しい」
災害対応を続けてきた津久井進弁護士は指摘する。
「いま必要なのは、それぞれの立場に対する社会全体の理解と共感。住宅支援は生活基盤に直結する最も大切な支援で、それを打ち切ることは避難者の生存権を奪うことにほかならない」
そして、続けた。
「避難者1人ひとりが置かれている状況は違う。避難の権利を認め、実情に応じてパーソナルサポートをしていくべきだ」
すでに打ち切りの決定は下ったが、撤回を求める署名活動が続いている。
(フリーライター:吉田千亜)
※AERA 2015年7月6日号 |
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