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山形県大石田町の自宅にパン店を開いた鮎川さん(右) |
東日本大震災と福島第1原発事故のため、福島県飯舘村から一時新庄市に避難した鮎川ゆきさん(31)が6月、山形県大石田町に移り自宅にパン店を開いた。一家5人で暮らす新天地で「地域に愛されるパン屋になりたい」と再出発し、充実した日々を送っている。
米粉パンを専門にする「あおいそら」は先月13日に開店した。雪国仕様で1階が車庫になった3階建て中古住宅。店はその勝手口を改装した土間風の造りで、2階に加工場も設けた。
3年余り暮らした新庄市の公営住宅から昨年夏、両親、息子2人と引っ越した。父邦夫さん(70)は近くの舟形町に畑を借り「いいたて雪っ娘」という飯舘村独自品種のカボチャを栽培、パン加工用に回す。母美代子さん(62)も店に立ち、接客などを手伝う。
鮎川さんは震災前、出身地の秋田市から移住して就農した邦夫さんに誘われ、飯舘村で米粉パンを製造販売していた。秋田への避難途中、ガソリン切れで新庄にとどまり、避難生活を送るうちに定住の覚悟を決めた。
おととし秋には地元有志と共にパン店を開業。店長として腕を振るった。
仮住まいから一家で暮らせる物件や自立を探る中、新庄のパン店を辞め、独立開業にこぎ着けた。店の名は小2の長男葵君、小1の次男春空(はる)君から採った。
鮎川さんは「これまで各地を転々としてきたが、この地に根付き受け入れてもらえればうれしい。大石田はそばどころなのでソバを使ったパン作りにも挑戦したい」と話している。
米粉パンを専門にする「あおいそら」は先月13日に開店した。雪国仕様で1階が車庫になった3階建て中古住宅。店はその勝手口を改装した土間風の造りで、2階に加工場も設けた。
3年余り暮らした新庄市の公営住宅から昨年夏、両親、息子2人と引っ越した。父邦夫さん(70)は近くの舟形町に畑を借り「いいたて雪っ娘」という飯舘村独自品種のカボチャを栽培、パン加工用に回す。母美代子さん(62)も店に立ち、接客などを手伝う。
鮎川さんは震災前、出身地の秋田市から移住して就農した邦夫さんに誘われ、飯舘村で米粉パンを製造販売していた。秋田への避難途中、ガソリン切れで新庄にとどまり、避難生活を送るうちに定住の覚悟を決めた。
おととし秋には地元有志と共にパン店を開業。店長として腕を振るった。
仮住まいから一家で暮らせる物件や自立を探る中、新庄のパン店を辞め、独立開業にこぎ着けた。店の名は小2の長男葵君、小1の次男春空(はる)君から採った。
鮎川さんは「これまで各地を転々としてきたが、この地に根付き受け入れてもらえればうれしい。大石田はそばどころなのでソバを使ったパン作りにも挑戦したい」と話している。
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