http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2015053102100011.html
東京電力福島第一原発事故下で暮らす福島の人々の不安に寄り添いたいと、石川県内の支援グループが同県能登町柿生に保養の家「じんのびーと」をつくった。空き家を利用した家では、今月から受け入れが始まっている。三十日には福島市の一家が保養に訪れ、放射性物質の影響を気にせずに能登の里山を楽しんだ。
「じんのびーと」は「のんびり」を意味する能登の方言から名付けた。
三年前から県内で保養キャンプを開く金沢市の市民グループ「ふくしま・かなざわキッズ交流実行委員会」の代表枡野正博さん(60)が、一年中利用できて地元住民とも交流できる拠点をつくろうと発案。今年二月に所有者から無償で空き家を借りて開設した。
山あいの林に囲まれた木造二階建ての古民家は十部屋以上もあり、そばには田んぼや畑もある。今月初めの大型連休に初めて福島の四家族が滞在した。
今回、福島市から訪れた団体職員押山謙司さん(48)一家もその時の一組。「じんのびーと」が気に入り再訪した。小学二年の長男祐太君(8つ)は、保養キャンプで知り合った石川県野々市市の子どもたちと近くの竹林にタケノコ探しに何度も飛び込んだ。謙司さんは「遠くまでは行くなよー」と笑顔で見送り、家の裏手の田んぼへ草刈りに。母親の靖子さん(40)は自ら調理したタケノコを庭先に広げたござの上でみんなと食べて、「あー幸せ」とつぶやいた。枡野さんは「そう言ってもらえるのが、幸せだわ」と応えた。
連休中には思い思いに滞在を楽しむ家族らに、地元住民からみその差し入れも。応援が広がる様子に、枡野さんは「場所があるから化学反応も起きる。みんながやりたいことをやれるのが、一番の保養」と喜ぶ。
事故から四年が過ぎて福島県内の除染は徐々に進み、外遊びをする子どもも増えた。保養を疑問視する声も出てきている。
石川県内は保養の受け入れ組織が八団体以上に増え、連絡会「3・11こども石川ねっと」で、継続に向けた意見交換もしている。枡野さんは「何かの意見に偏ることはしたくない。ただ、放射線に不安を抱く福島の人と一緒によりよい方法を考えたい」と語る。
「じんのびーと」の庭先で和気あいあいと昼食を取る押山靖子さん (右から2人目)一家ら=石川県能登町柿生で |
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