2015/07/06

放射線リスクの伝え方 フクシマから学ぶ欧州

2015年7月6日日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO88665110Z20C15A6000000/

東京電力・福島第1原子力発電所の事故の教訓をどう生かすか。とくに放射線の健康リスクの伝え方に関して日本の失敗から学ぼうと欧州の研究者が中心になって議論する国際会議が6月15日から3日間、スロベニアで開かれた。原子力発電所や核廃棄物施設の建設、運転にあたり、マスメディアや住民など非専門家の意見を反映させる仕組みを組織的、統合的につくろうとしている。日本にとって逆に学ぶべき点が多い。

■福島事故後に研究者などがプロジェクト発足
「電離放射線の被曝(ひばく)に対するリスク認知・伝達・倫理に関する国際会議(RICOMET2015)」は、スロベニアの首都リュブリャナ近郊の会議場で開かれた。自然科学や社会学、心理学の専門家やジャーナリストら約80人が集まった。


スロベニアで開いた放射線リスクの伝達に関する国際会議(RICOMET2015)

欧州では、欧州委員会(EC)や欧州原子力共同体(ユーラトム)が資金を出し、原子力事故の際の情報伝達、事故後の対応のあり方を研究する3つの研究プロジェクトが進行中だ。3つの成果を総括するとともに、次の段階に進む下ごしらえが、スロベニアでの会議の主要な目的だった。

3プロジェクトはともに福島事故後に発足した。そのうちの1つ、EAGLEプロジェクトは、放射線リスクを伴う様々な場面での意思決定や行動をより理にかなったものにするため必要な教育・訓練プログラムを研究している。

PREPAREプロジェクトは、緊急時にメディアや住民に対し適切で信頼できる情報の提供を目指している。原子力事業者や政府から独立した第三者機関が運営する原子力事故のデータベースを設け、事故発生時に過去の事故例と比べ現状の深刻度や影響を予測し情報を発信する。データベースは「来年1月にも稼働し情報提供が可能になる」(独カールスルーエ工科大学のウォルフガング・ラスコー博士)という。

OPERRAは、放射線防護に関する学際的、総合的な研究を推進する。自然科学だけでなく社会学や心理学などの知見を統合し防護のあり方に関し新しい見方を打ち出そうとしている。

会議を傍聴して、欧州の専門家たちが福島事故をどうとらえ、欧州の原子力安全にどう生かそうとしているかが垣間見えた。日本でのとらえ方と共通する面もある半面、違いも大きい。

■医療や産業利用から放射性廃棄物の管理・廃棄まで幅広く対象に
最も大きな違いと感じられたのは、原子力や放射線のリスクコミュニケーションに関して、組織だった方法で改善を目指している点だ。

対象は原子力発電だけでなく、医療や産業の放射線利用から放射性廃棄物の管理・処分の問題まで幅広い。こうした事業を営むにあたり、事業者や規制当局、専門家、施設周辺住民、報道機関ら関係するすべての人々が話し合い合意点をみつけていく共通の場(プラットフォーム)をつくろうとしている。

そうしたプラットフォームはどのような形態が望ましいか。そこでは相互にどのようなコミュニケーションが可能か。各ステークホルダーの役割は何か。こうした点に関し、福島事故や旧ソ連のチェルノブイリ原発事故などの事例を分析し、土台にして議論している。

日本でも、福島事故以降、原子力や放射線のリスクコミュニケーションについて様々な試みがあるが、市民団体や自治体、政府機関、国際放射線防護委員会(ICRP)などがばらばらに取り組み、議論の成果を何らかの制度的枠組みにまとめ上げようという機運は薄い。意地の悪い見方をすれば、住民の不安のガス抜きで終わっているものが多いように思える。

RICOMET2015ではリスクコミュニケーションに関し少人数に分かれた会合も開かれた

日欧の違いが生まれた背景にはオーフス条約がある。正式には「環境に関する情報アクセス、意思決定に関する市民参加、司法へのアクセス条約」という長い名称をもつ。オーフスは条約が1998年に採択されたデンマークの都市名だ。名前の通り、環境に影響を与える活動に関し市民が情報を得、活動の是非や範囲に関する意思決定に参画できることを法的に保証するものだ。

条約は2001年に発効し、主に欧州諸国が加盟しているが、日本では条約の存在すら広く知られているとはいえない。欧州の科学者たちは学術的な好奇心だけから福島事故を調べているのではない。事故の教訓に基づき原子力や放射線施設の存廃や運営に関し、適切な市民参加の仕組みを構築することが法的に求められている。科学者はその構築に知恵を絞っているのだ。

また「ステークホルダーが関与する仕組みづくりはユンケルEC委員長が進める『エネルギー同盟』の実現の観点からも必要だ」と、ECで原子力研究を統括するブルーノ・シュミッツ氏は会議であいさつした。エネルギー同盟はロシアへの天然ガス依存を減らし欧州のエネルギー安全保障の強化を目指す構想だ。エネルギー安全保障に原子力は不可欠で、原子力利用にはオーフス条約の下、ステークホルダー参加が必要だとの判断があるようだ。ウクライナをめぐるロシアとの緊張関係など国際情勢も研究を後押しする要因になっているようにも見受けられた。

一方、日欧で共通するのは放射線のリスクコミュニケーションに関し明確な方法論を見つけていない点だ。この点については、会議の中で科学者とジャーナリストたちが対話するセッションがあった。

■知識備えた記者が必要 説明者の当事者意識が信頼を生む
科学者たちは日常から放射線のリスクなどに関する報道の充実を望む。一方、記者たちは事件・事故が起きていない段階では記事にはならないと反論した。報道機関は教育機関ではないと主張する。

原子力や放射線について科学技術的な知識を備えた記者は欧州でも決して多くない。その育成が必要だと指摘されたほか、事業者や住民、マスメディアなどが参加する訓練の大切さに言及して結論に落ち着いた。

議論の中で「わからないにも二通りある」と発言したオーストリアの新聞記者、ユリア・ラーブさんの見方が共感を呼んだ。放射線の健康リスクに関し科学者が「わからない」と発言するとき、「これが科学的にいえる限界だ」と科学者が聞き手を突っ放す場合と、「科学的にはわからないとしか言いようがないが、みなさんの安全のために力を尽くす」という意味合いが込められた場合の2つがあると指摘した。同じ「わからない」でも聞き手や公衆の信頼を得るという面でこの違いは大きい。

信頼を生むコミュニケーションで重要なのは、科学的な内容をわかりやすい言葉に置き換えることだけではない。説明者(科学者)が事態にどこまで当事者意識を抱いているのか、その姿勢が問われるということだ。日本にも当てはまる例は多いのではないか。

これらのほかに、個別の事例発表の中で注意を引かれたことが2つある。

1つは原発の新設を目指す英国での取り組みだ。英原子力規制庁と環境庁は原発の設計にステークホルダーの意見を反映させる取り組みを模索している。

英国にこれから建設する原発の設計段階の安全性評価(ゼネリック・デザイン・アセスメント)において、どう住民らの意見を取り込んだらいいのか。規制庁などが対話集会を開いて聞き取っているという。技術的・専門的で一般の人にとってはハードルが高い課題だ。「容易ではないように思えるが、挑戦している」と中央ランカシャー大学のジョン・ウィットン教授は話す。

もう1つは、ユーラトムによる原子力推進の考え方を問い直すものとも受け取れる意見の表明だ。

ユーラトムはいま、低線量放射線の健康リスクに関する不確実性を狭める分子生物学的な研究を強く進めようとしているようだ。仮に不確実性をなくせれば、「予防原則」に基づき安全側に大きな余裕を持たせた放射線防護の考え方を見直すことが可能になる。どんなわずかな被曝(ひばく)でもリスクがあると仮定する「直線しきい値なしモデル」に立脚して防護を考えなくてもよいかもしれない。

ベルギーのゲント大学のガストン・メスケンス専任講師は、「原子力を社会的に受容可能な技術だと先見的に見なすユーラトムの考え方はステークホルダー参画を必須なものと考える民主的な立場と矛盾する可能性がある」と指摘した。社会の価値や倫理観を反映した「予防原則」に関し自然科学からだけの修正を加えるべきではなく、「社会科学や人文科学者の参加が不可欠だ」と主張した。

 ■取材を終えて


 研究者たちは福島事故の直後に欧州のマスメディアとインターネットのソーシャルメディアがどのように事故を報じたかも分析した。その結果も興味深かった。東日本大震災と福島事故が当初は連日のように欧州の新聞の1面を飾ったが、意外に早く2~3週間ほどで1面からは消えて中面の扱いになった。また最初の1カ月の新聞記事の数ではドイツが圧倒的に多かった。欧州連合加盟28カ国で約5万3千本の記事があったうち、4万3千本以上をドイツの新聞が報じた。

ツイッターやフェイスブックなどソーシャルメディアにおける福島事故の発信量は欧州でも非常に多かったが、その多くは新聞報道などマスメディアの情報をもとにしていたという。ベルギー原子力研究センターのターニャ・ペルコ博士は「新聞やテレビなど伝統的なメディアの影響力が大きく重要な役割を担った」と分析した。

会議では、日本から東京大学の早野龍五教授と、放射線測定の市民団体、セーフキャストのアズビー・ブラウン金沢工業大学未来デザイン研究所長が参加し、それぞれの取り組みを紹介し参加者の関心を集めた。早野教授は事故直後からツイッターで情報を発信し多くの人に読まれた。またホールボディーカウンターによる福島県民の内部被曝の測定を強く後押ししてきた。セーフキャストは独自の放射線測定ネットワークをボランティアの力で築き、測定結果をネットで公開している。

(編集委員 滝順一)

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