2015/10/30

東日本大震災から4年半(下) 【インタビュー】「うけいれネットワーク ほっと岡山」の服部育代さん

2015年10月9日 山陽新聞
http://www.sanyonews.jp/article/239931/1/

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、被災エリアや周辺地域から多くの被災者らが岡山県に避難、移住してきた。その数は西日本で最も多く、あらためて自然災害が少ない岡山の「安心・安全」を全国にアピールすることになった。その背景には県内に避難してた被災者らが組織した支援ネットワークの活動があった。民間支援団体のネットワーク化した「うけいれネットワーク ほっと岡山」(岡山市北区南方)。共同世話人の服部育代さん(43)=同建部町=に大震災発生から4年半を経た県内の被災者の現状や今後の課題などを聞いた。(おかやま財界)

食の安全や環境など共通テーマで地域住民と交流を

―被災エリアやその周辺から岡山県に移住してきた被災者たちの現状は。


復興庁の9月10日現在の数字では、県内に自主避難を含めて1134人の被災者がいる。その数は岡山が西日本で最も多い。地域的には岡山、倉敷市を中心に県内18市町村にまたがっている。しかしこの人数は総務省の避難者登録システムや避難先の自治体などに登録した人たちが中心で、実際にはこのほかにも関東圏などから脱出してきた人がかなりいる。大気や土壌の放射能汚染を心配して自主避難してきた人を含めると、実際はその2倍から3倍は確実にいるという指摘もある。地域的にも県内全域に拡大しているのではないか。被災エリアの避難指示解除で帰還する人がいれば、逆に放射能汚染を警戒して関東圏から新規に移住してくる人が今も後を絶たない。ふるさとに帰還する人、新規に入ってくる人で、県内にいる避難、移住者の数はほとんど変わっていない、と聞いている。

―なぜ多くの被災者が避難、移住先として岡山県を選んだのか。

私の場合は大震災が発生した年の2011年8月に東京都国分寺市から子ども2人と一緒に岡
山市北区建部町に引っ越してきた。移住を決断したのは東電福島第1原発の事故だった。建部町地区はまったく地縁、血縁がなかったが、夫を残しても子どもの健康を考えると一刻も早く東京を脱出したかった。移住先を選定するため日本地図を見回し、まずは原発のないところ、原発からより遠く離れている地域に住みたいと思った。岡山県南部がその絶好のピンポイントだった。もちろん津波や地震の発生が少ないことも大きな理由だった。県内に住む多くの避難者もたぶん私と同じ気持ちだったと思う。大震災を機に被災エリアや関東圏から、自然エネルギーの研究・実践者などキーパースンとなる人が次々と岡山に移住してきた。福島原発事故による子どもたちの放射能汚染問題で、持続的に検診を続けていた東京都内の内科医が、突然に安全な岡山市内に引っ越し開業したことに大きな衝撃を受けた。県内に先に移住した被災者がいち早く支援ネットワークを立ち上げ、現地情報を全国に発信したことも、岡山へ避難者が目を向けるきっかけになったのでは。

―地域コミュニティーに溶け込む難しさを指摘する声もあるが...。

最初は地縁も血縁もない土地だけに、本当に大変だったと思う。共通のテーマが子育てだったり、環境問題だったりするが、地域住民とのそうした話し合いから徐々に溶け込んでいったケースは多い。例えば建部町地区や和気郡和気町、総社市は被災者グループ仲間で人気スポットになっている。和気町では日ごろのお礼に被災者たちが定期的に地域の人を招く交流会があるし、笠岡市でも同じような試みを計画しているようだ。地域とともに子育てや環境について考え、行政を巻き込んで新しい動きが広がっている。地域の人は日常に慣れっこになって、ふるさとの良さに疎いが、外から入ってきた人にはよく分かる。お互いが刺激しあって、地域が変わっていけば新しい可能性が生まれる。

特に「食の安全」の問題は重要な共通テーマだと思う。避難者は放射能汚染に敏感なので、学校給食などをめぐって地域とよく議論したこともあったようだ。私も子どもの学校給食が不安だったので、当初は弁当を持たせて登校させた。文部科学省が大震災直後に学校給食では柔軟な対応をするよう通達を出し、岡山市はこれに沿ってある程度、弁当持参を容認してくれたので、これが被災者には好評だった。総社市の学校給食では被災家族と地域の人たちが何度も議論して、今でも放射線量を測定することになっている。食材が全国流通していることを考えれば、できれば家庭の食事も学校給食も地産地消が好ましいとは思う。

2012年に手にしたシイタケの放射線量をたまたま測ったら、360ベクレルの線量が測定されたことがあった。100ベクレルを超えると表示が必要になるので、相当なショックを受け
た。そのシイタケは広島県産だったが、よく調べてみると実は種菌を植え付けたホダ木が福島県産だった。風評被害は良くないが、食材は全国で流通しているので神経質にならざるを得ない。

食の安全や環境の問題などで地域の人たちととことん話し合うことは、コミュニティーを作っていくうえで大切なプロセスになる。安全や環境は被災者だけの問題ではないから。

―行政への注文は。

国、県、市町村の支援システムが非常に複雑で、被災者が問い合わせても即答できない行政担当者がかなりいたと聞いている。県や市町村は窓口を一本化してほしい。鳥取県は定住化促進のため、被災(罹災)証明がある被災家族には2018年度まで住宅を無償提供することにしている。それに比べ岡山県は今年3月から県営住宅の無償入居を打ち切った。市町村の公立幼稚園、保育園でも今年3月に無料化を廃止するところが出ている。被災家族はふるさとにマイホームを残したまま、住宅ローンを抱えながら移住してきた人も多く、経済的な負担が厳しい。関東圏の被災者の声を聞くと当初、岡山はダントツに移住先候補として人気が高かったが、最近は広島県などが定住化促進対策として、被災者の移住誘致に積極的に動いている。岡山はこれまでの評価を持続するため、もっと積極的な支援策を打ち出してもらいたい。

うけいれネットワーク ほっと岡山

被災地や関東圏から避難、移住してきた服部育代さんら5人が共同で2012年10月に設立。2014年6月から岡山市北区南方のNPO会館ゆうあいセンターに事務局を置き、活動している。県内にある被災者を支援組織する「おいでんせぇ岡山」(県下全域)、「子ども未来・
愛ネットワーク」(同)、「おかげデザイン」(総社市)、「よりはぐプロジェクト」(倉敷市)、「やすらぎの泉」(和気町)など11団体が参加。各支援団体と連携しながら避難者の受け入れ相談などの窓口となり、支援コーディネート、情報発信、政策提言などを行っている。

毎週火曜日から木曜日までの午前10時~午後4時、事務局で被災者相談に応じている。事前に電話(070-5670-5676)、またはメール(hotokayama@gmail.com)での予約も受け付ける。
支援者のコーディネート役を
つとめる服部育代さん




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