2011年3月に起きた東京電力福島第1原発事故の直後、福島県浪江町から上水内郡信濃町へ避難した自営業、大橋甲治さん(42)一家5人が東北へ戻る。幼かった子ども3人は信濃町で成長し、信濃小中学校に進学。町にとどまりたいとの思いもあったというが、福島県南相馬市で工務店を営む大橋さんの両親を支えるため、決断した。「子どもたちにとって信濃町は故郷。感謝の気持ちでいっぱいです」と大橋さん。信濃町での5年間を胸に刻み、一家は23日、出発する。
一家が信濃町へ避難したのは11年3月末。同町には大橋さんの母玉子さん(67)の知り合いがいた。空き家を借りて妻麻希さん(43)、長女久実さん(12)、長男武君(10)、次女真実さん(7)と住み始めた。同年夏には富濃地区の町営住宅に引っ越した。
信濃町から宮城県柴田町へ引っ越す大橋さん一家=21日、信濃町 |
「子どもたちが学校でうまくやっていけるか最初は心配だった」。麻希さんは、子どもが差別されないか不安だったという。だが、久実さんが通った旧柏原小(現信濃小中学校)の保護者はすぐに歓迎会を開いてくれた。
子ども3人はスキーを始め、町スキークラブに所属。大会にも出るようになった。「すんなり地域に受け入れてもらえた。この子たちは『信濃町っ子』です」。麻希さんは言う。
大橋さんは、子どもたちが町での思い出を積み重ねることを喜びながら、葛藤もあったという。震災前、浪江町で父親敏さん(70)が営む工務店の大工だった大橋さんには、原発事故後に敏さんが南相馬市へ拠点を移したこともあり、「高齢の親のそばにいたい。家業を継ぎたい」との思いがあった。
今春、久実さんが中学校へ進学することもあり、子どもたちを説得して東北へ戻ることを決意。南相馬市から車で1時間ほどの場所にあり、スキーができる宮城県柴田町を新たな居住先に選んだ。
19〜21日の3連休も子どものスキー大会や地区での集まり、友人との食事をして過ごした大橋さん一家。「信濃町の人たちの優しさが本当にうれしかった。これからも交流を続けたい」と大橋さん。冬のスキーシーズンには家族で信濃町を訪れるつもりだ。
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