2016/03/30

(核の神話:21)低線量被ばくリスク、どう向き合うか

2016年3月30日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ3S2SZTJ3SPTIL00H.html

福島県民健康調査(「核の神話:18」で紹介)の結果を分析し、福島県で小児甲状腺がんが全国平均の数十倍多発しているとの警鐘を鳴らす論文を国際疫学誌に発表した津田敏秀・岡山大大学院環境生命科学研究科教授。一方、地元で診療にあたりながら公衆衛生の観点から発言する越智小枝(さえ)・相馬中央病院内科診療科長。個人として、社会として、どう向き合うべきか。日本科学未来館(東京都江東区)が主催し、約80人が参加した3月12日のトークイベント「納得できてる?低線量被ばくの影響」を再現する。
(司会は同館科学コミュニケーターの新山加菜美さん)

津田敏秀さん(左)と越智小枝さん=東京都江東区の日本科学未来館、田井中雅人撮影


■津田敏秀さん×越智小枝さんトークイベント(冒頭発言・略)

《司会》津田先生が説明された広島・長崎の原爆被爆者追跡調査「LSS(LIFE SPAN STUDY)コホート」によると、被曝(ひばく)量が100ミリシーベルト以上だと発がんリスクが上がることがはっきりしているということですが、100ミリシーベルト以下ではどうなっていますか。

《津田》実を言うと、100ミリシーベルト以下でもはっきりと分かっている。統計的有意差がある。ここまでは放射線を浴びても大丈夫という「しきい値」があるという考え方をとっているのは、世界中でフランスだけです。各国や国際機関は「しきい値」はないという考え方です。研究もたくさんあります。例えば、レントゲンで放射線を10ミリシーベルト浴びるごとに発がんリスクが3%高くなるという研究もあります。100ミリシーベルト以下での発がんの増加を示すものです。医療放射線は被曝(ひばく)をかなり正確に測れます。自然放射線は安全で人工放射線は危険だという方がいますが、自然放射線も発がんリスクを増やします。

《司会》年齢別に見ると、大人より子どものほうが被曝の影響を受けやすい。しかし、LSSコホートでは全年齢のあらゆる臓器を平均化したために、差がないように見えたということでしたね。

《津田》はい。LSSコホートも病気別や年齢別にばらすと、統計的有意差が出てくる。胎児の時の被曝の影響が生まれてくる子どもに出てくる。妊婦さんのおなかのレントゲンを1枚とるごとに、出生後の子どもの発がんリスクが高まる。1956年にアリス・スチュワートさんが医学雑誌で論文を示したのが最初だった。世界中でこれが確かめられて、今ではどの病院へ行っても、レントゲン室の前に「妊娠の可能性がある人は必ず申し出てください」と注意書きがある。そのことが、いまの日本では忘れ去られている。これは大きな問題だと思います。

《司会》福島原発事故でも放射線による健康影響があるのではないか、という心配がある。福島県の県民健康調査でも、特に甲状腺は被曝の影響が懸念されていて、検査結果がとても注目されています。

《津田》いままでの検査で、116人(1巡目)と51人(2巡目)に小児甲状腺がんが見つかり、そのうち1人は良性と診断されています。調べれば調べるほど、見つかるがんの数が増えるのは当然ですが、全国平均での20歳未満では100万人に1~3人という珍しい病気です。

《司会》福島では(18歳以下の)約30万人が受診して166人。全国平均は100万人で1年あたり(1~3人)なので、比べる単位が違う。これを比べるにはどうすればいいのでしょうか。

《津田》「有病率=発症率×有病期間(年数)」という式を使うのです。

《司会》そうして全国平均と比較すると、福島は約32倍という数字が出たのですね。津田先生が発表された論文には様々な反論が寄せられた。例えば、有病期間を4年に設定するのは適切なのか。もっと長いのではないかとの反論がある。

《津田》適切ではないと思う方は、自分のお好きな値を入れていただけばいい。私は100年まで計算しました。桁違いの多発なので結論は変わらない。福島調査2巡目で51人が多いかどうか、全国平均発症率と比べると20~38倍。桁違いの多発である。



《司会》この調査を受け、社会として、どんな準備をすべきでしょうか。

《津田》ベラルーシの14歳以下の甲状腺がん患者の発生数ヒストグラムによると、チェルノブイリ事故の翌年から、もう多発が起こっている。ウクライナでもロシアでもこれが観察されたが、(事故後3年の)89年までは検診をやっていなかった。福島では事故後すぐに検診を始めているので、上昇カーブはゆるやかであるにしても、これからも増えていくことになります。チェルノブイリのデータによると、甲状腺がんに関しては、福島で検査をしていない19歳以上のほうがたくさん出ている。ですから、19歳以上に関しても症例をきちんと把握する必要があります。それから、放射性物質の広がりが福島県内で止まったという証拠はありませんので、福島県に隣接する地域においても症例を把握する。甲状腺がん以外のがんや、放射線の影響が知られているがん以外の疾患についても症例の把握をする必要があると思います。

流布されている「100ミリシーベルト以下はがんが出ない」という話を出来るだけ修正して、「ALARA(as low as reasonably achievable)の原則」に従って、出来るだけ被曝は少なくする。それに命をかける必要はないにしても、情報を与えることによって、できるだけ被曝を低減させることはできますね。それによって(病気になる)確率は下がります。出来るだけ早い対応をしますと、被害が少なくなる。病気の数をできるだけ少なくすれば経済的損失も抑えられる。間違った判断はしてはならないが、判断は早いほうがいい。実際に人間社会で起こった場合は時間との競争になります。これが、実験室の医学と決定的に違うところです。いま、これを間違える確率は天文学的数字の逆数なんですね。極めて低いわけです。


《越智》私も「no threshold(しきい値なし)」仮説は正しいと思いますし、100ミリシーベルトっていうのは昔のデータですから、日本みたいにこれだけ健康大国になってきたら、100ミリシーベルトがしきい値だとは、やっぱり思わない。早く対応しなくてはいけない、健康被害が明らかになるまで待ってちゃいけない。そこに関しては全く賛成です。しかし、甲状腺がんが増えているということをあまり繰り返すことには賛成できない、というのが私の立場。科学的に証明しようということにこだわりすぎると、返す刀で「科学的に証明できない」って言っている人もいるから、じゃあ動かないっていう政府の対応を生んでしまう可能性がある。科学的正しさにこだわりすぎるのは、あまり良くないかなと思います。福島で起きていることの中で、甲状腺がん以上に対応を急がなくてはいけない、もっと大きな健康被害が起きている。

これは疫学と公衆衛生学の考え方の違いなんですね。福島で起きている健康被害は放射能で起きているよりもはるかに大きく、緊急性の高いものです。ひとつは避難行動による健康被害。これは起きてしまったことなんですけど、病院避難っていっても、対策本部では病院の避難先を決められる人がいませんでした。病院スタッフは自分個人のつてで電話して、そこに何人送るからって必死で電話したうえで、車も入ってこないので、不十分な装備のまま、バスなどでみなさんを避難させたわけです。長距離移動や急激な環境変化に耐えられない、あるいは看護師さんも足りないですから、不十分な申し送りによって相当の健康被害が出ました。

国会事故調の報告書によると、原発20キロ圏内に七つの病院があって、850人の患者さんがいたんですね。(事故から)数日内で一斉に避難した。その結果、事故から約2週間の2011年3月末までに850人中60人が死亡された。少なくとも10人が移送中に死亡されている。病院以外に長期療養施設もありました。避難した施設のほうの死亡率が増加している。もうちょっと準備ができればよかったんですけど、放射線がこわくて避難したのに死亡されてしまった人が出ている。

また、仮設住宅に避難した高齢者は非常に運動不足になる。農業や漁業を営んでいた人も失業されて、仕事をしない。狭い住居ですし、物音もしますから、家(仮設)では運動しない。仮設住宅って郊外に多いんですね。お買い物するにも車を使わなきゃいけない。車への依存度が増加して運動不足になる。精神的ストレスもある。仮設住宅健診に行った時に「少しは運動したほうがいいですよ」というと、「外で運動したら、帰ってくるときに、この家を見なきゃいけないから運動しないんだ」といって、寝たきりのお母さんと2人でこもっておられる人もいました。


《司会》仮設住宅を見たくないっていうことですか。

《越智》はい。今までは一戸建ての大きい家で暮らしていた人が仮設で何カ月も過ごしている。外に出たら、おれはここに住んでいるんだと思い知らされる。それを見たくないから、外に出たくないんだ、と。これは、精神的に相当まいっている人ですね。2012年、仮設住宅で暮らしている人たちと、別の少し線量の高い地域で暮らしている人たちの比較調査をしました。仮設の人たちは握力が強いが、片足で15秒立てない人の割合が圧倒的に高い。津波で浜の方から仮設住宅に逃げてきた人が多い。自分で網を引いてたとか、元々の筋力が強い人が1年間仮設住宅で暮らすだけで、急速に下肢の筋力が低下する。

さらに、被災地の医療崩壊は深刻です。病院スタッフの8~9割は女性なんです。女性はお子さんの心配をします。お子さんのいじめが怖い、被曝が怖い、として避難される。あるいは、だんなさんが津波などで職を失ってしまったら、今の日本でしたら奥さんがついていきますので、そこからいなくなってしまう。「みんながどんどんいなくなることで教育レベルが下がって受験に不利なんじゃないか」として避難する人もいます。1回離れてみると、嫁・しゅうとめと一緒に暮らさずに済む、楽なので戻りたくない、とおっしゃる人もいる。「あいつ逃げたんだ」と後ろ指を指されることが嫌で戻れない人もいらっしゃいます。いろんな理由で病院からスタッフがいなくなる。

相馬の病院でも震災後1カ月でスタッフが半分くらいまで減りました。18カ月後でも回復率は85%。これはやはり女性ってことが大きいんじゃないかなって思います。スタッフ1人が患者を負担する割合は上がっている。患者が戻ってきているのに、病院スタッフが戻っていない可能性がある。

実際、福島で起こっている健康被害は原発事故による放射線被害だけじゃなく、それよりも大きい。問題は、どこに行っても、福島といえば放射能とがんの話が多い。それによって、多くの健康被害が見過ごされる。しかも、放射能っていう風評被害はまったく衰えない。実効性のある復興計画や減災計画が立てられていない。

《司会》個人として、社会として、いったい何をすべきでしょうか。

《越智》一番大事なのは、リスクをちゃんと相対化して比較したうえで選ぶことです。もちろん、放射能によるがんのリスクはあります。しきい値はないだろう。低ければ低いほどいいだろう。しかし、がんのリスクはあちこちにあります。食品添加物、野菜の中にだって発がん物質は含まれている。化粧品、肥満、大気汚染、ストレスといった、たくさんのがんのリスクに囲まれていて、その中のひとつに放射能がある。これを認識する必要があると思います。野菜には発がん物質が含まれているけれども、がんにならないためには、やっぱり野菜を食べたほうがいい。そう選択するわけですよね。発がん物質があるから二度と化粧をしないという女性はほとんどいないと思うんですけど、それをある意味選んでるわけです。塩分を取りすぎない、魚を食べる、運動をする、たばこを吸わない。こういうことに気をつけたうえで、もちろん放射線も低ければ低いほうがいい。



しかし、放射線が低ければ低いほうがいいから、お子さんを外で遊ばせない。そしたら逆にがんのリスクを上げるかもしれません。野菜不足、運動不足、肥満などでも、がんのリスクを上げてしまいます。放射線を避けようとしすぎて、外に出ない、魚や野菜を食べない、そういう人もいます。人間、道を歩いていれば、コンビニで買い物すれば、がんのリスクに行き当たります。今はゼロリスクの時代ではなく、健康リスクを選ぶ時代。「ケーキを食べちゃったから運動しとこう」と。

例えば、子どもじゃなくて、高齢者で福島の山菜はおいしいから食べちゃったから、たばこをやめようとか。私がなぜ相馬に住んでいるか。東京より少し線量は高いことは分かっています。それでも、東京にあるストレスよりは相馬に住んでいるほうが自分の選んだリスクとしてはいい。

ひとつのリスクを語るのはものすごく大事なことです。疫学調査は大事なんですけれども、それだけを話していると、そのリスクがなければまるで健康はゼロリスクだという、誤ったゼロリスクに行ってしまうかもしれない。これは避けなくてはいけない。私たちにできるのはリスクを選ぶことだけ。そこを認識したうえで、科学というものに向き合っていかなくてはいけないかなと思います。それぞれのリスクがどれくらいあるかを決めるのは科学者です。ただ、選ぶのは一人ひとりであって、そこに正解はない。

原発事故を見ると、爆発とか環境、放射能だけの問題ではない。避難、風評被害、稼働停止による経済的影響など、いろんなものが組み合わさった一連の出来事であって、雇用されなくなったとか、生活環境の変化とか、すべての因子を介して健康被害を及ぼしている。私たちが今やらなきゃいけないことは、健康被害を俯瞰(ふかん)したうえで、その一つひとつの大きさ、コスト、いつ起きたのか、だれがかかりやすいのか、そういうことを判断して優先順位づけをする。そこで初めて、効果的な介入ができると思います。めざすべきは、自分の理論が正しいことを証明することではなくて、人が健康になること。そのために、今、議論をしている。科学への過信は改めるべきだと思います。正しい知識を得たら、人々は不安にならないか。どんなに説明されたって、放射能が怖い人は怖いんです。チェルノブイリの事例だろうと論文だろうと、そこで証明されようがされまいが、そこにがんの子どもはいるわけです。論文で何%、何倍になろうと、がんにならない人はならないし、なる人はなるわけです、個人で見れば。それを証明することは大事ですけれども、それが個人にとっての真実ではない。大切なのは、暮らすという視点を持ち続けることだと思います。つまり、科学というものは、それを証明すること自体が目的になるのではなくて、そこで生活する人が健康になるために科学を使うのであって、自分の科学を証明するために住民を説得してはならないと思います。

《会場の質問者》チェルノブイリの避難対策は間違いだったということでしょうか。

《越智》私は「必ずそこで暮らせ」と言っているわけではない。ただ、福島から避難したお子さんが転校先に溶け込めず、お子さんを連れて地元に戻ってらっしゃる人もいる。チェルノブイリについても、もうちょっといい避難のさせ方があったかもしれない。日本においても、原発事故のあとの避難計画にはかなりの不備があったと思います。そこで相当なことが起きている。もうちょっと(避難指示区域の)外の人が避難したいと言った時に援助がない。あるいは帰ってくる時の援助がない。そういう政府の対応自体は私も賛成はしないし、もっといい方法があるんじゃないかと、福島で暮らしてらっしゃる人がずっと感じておられる。私は放射能を恐れるなと言っているんじゃない。怖い人は怖い。それを認めなきゃいけない。でも、そこに住むという選択をした人も否定してはいけない。チェルノブイリだろうと福島だろうと、政府の対応はどっちもまずかったと思います。もっといい方法があった。起きた事実をもとに二度と大災害の時にこういうことが起きないような対策がとられるべきだと思います。

《津田》どのリスクも減らせばいいんです。自分でお決めになればいいんですが、そのために、できるだけわかりやすく、きちんと情報を与える必要があるというのが私の意見です。100ミリシーベルト以下の放射線のことは、よく分かっているほうです。日本では、この段になっても、大人と子どもの年齢層別の対策がたてられていない。チェルノブイリでは、少なくとも先に子どもを避難させた。放射能の影響は子どものほうに出る。年齢層別にきちんと情報を与えることが必要だと思います。

《司会》今後、福島でも甲状腺がんが多発する可能性が考えられる。可能性がゼロではない。ほかの健康リスクも高い。この状況に対して私たちは何をすべきか、個人として、社会として。

《越智》子どもの健康被害については、私は繰り返し、繰り返し、エネルギー関係者の方に申し上げています。そうしないと、ご存じないんです。この情報を発信して、政治をちゃんと動かせる人の耳に入れるということを一番の目標にしています。このままでは絶対よくない。それは確かです。甲状腺検査については、子どもがその重要性を知らずに、お知らせ(の用紙)をお母さんに渡さないとか。恐怖を駆りたてる必要はないんだけど、子どもたち自身にもしっかり考えさせて、自分の健康を考えさせる教育とともにスクリーニングを続ける。自分たち、あるいはその両親が納得するまで、始めてしまったものは続ける。それは、すごく大事なこと。お子さんの健康と高齢者の健康は別物ではないけど、リスクは違うけど、延長上にある。逆に言えば、お子さんも甲状腺だけでなく、自分の身をいかに守るかということで、しっかりと教育をする。甲状腺以外のがんだって、これから増えるかもしれません。それから自分を守るためにどうすればいいかということを一緒に教えていかないといけない。


《会場の質問者》社会的な準備がなくて原発事故が起こった。きちんと避難計画ができていて、点滴をしたり、たんを吸引したりしなきゃいけない病人がちゃんと避難できるような社会的な準備ができていて、事故が起こったわけじゃないわけですよね。事故は起こらないということで原発は稼働していた。準備不足で避難中に60人が亡くなったのもそうでしょうし、仮設住宅でたくさんの人が健康被害に遭っている。でも、その仮設住宅のあり方はまったく議論になっていない。越智先生の話ですと、避難しなかった人のほうが避難した人より死亡率が低いというふうなことをおっしゃっている。まるで避難したことが原因で死んで、避難しなかったことの方がいいんじゃないかというふうに響いちゃうわけです。人の命を守れる体制をつくったうえで原発を稼働するということをまず言っておかないと、まるで避難したことが原因で死んじゃったような感じになりますよね。そういう言い方っていうのは、専門家としては少し気をつけていただきたいと思います。

《越智》そうですね。確かに、事実だけを並べるとそう見えてしまう。ほかの健康被害をまったく言っていないので、そうなってしまうことは本当に申し訳ない。ただ、避難計画がしっかり立てられれば原発を再稼働するに十分かと言えば、私はそれも違うと思います。避難計画が立てられても、そこにさらに事故が起きるかもしれないというマイナスがかかりますので、結局はマイナスになる。そこの周辺住民の健康レベルを上げるぐらいの政策でなければ不十分。ですから、リスクをとるのであれば、ベネフィットがくっついていかなければ、とる理由がありませんので、そういう意味ではもっとポジティブになってもいいのかなと思います。

《津田》リスクは、あちらを立てればこちらが立たないというようなものではない。選択、チョイスというのはあまり強調しないほうがいいかなと思います。食品もリスクの一つですが、食品衛生法でこと細かく、いろんな体系が決まっていて、法制度としてリスクを避けるノウハウがぎっしり詰まっている。事件が起きたら、因果関係の調べ方とかは全部決まっている。それに比べると、原子力関係の法律は中身がカスカス。中身がなんにもないという感じがしています。データを集めて因果関係をちゃんと調査する。そういうとこまでちゃんと決める。法制度、ルールを決めていくことが必要だと思います。

《司会》リスクを見比べる前提がまだ不十分だということですね。

《会場の質問者》いま、福島で子どもが産めますかという不安に、越智先生としてはどのように答えますか。
《越智》福島県にも地域がいっぱいありますが、外部被曝線量だけで言えば、少なくとも居住区域でお子さんを産むのは全く問題がない。妊娠・出産そのもののリスクの誤差の範囲に入るぐらいの放射線リスクしかないと思います。そういう意味では、ほかの妊娠リスクがなければ産んでいいと思います。どうしても、不安な中で産むというリスクもありますので、断言するというのは科学者らしからぬことかもしれませんが、医者として聞かれれば、そう答えます。実際、福島県で(出産する)奇形児は増えていないという統計もあるんですが、統計と、そのことが大丈夫かというのは隔たりがあります。統計が大丈夫だから大丈夫だよっていう言い方は避けようかなと思います。

《津田》まずは「100ミリシーベルト以下では被曝によるがんは出ない」「出たとしても(原発事故との因果関係は)わからない」という完全に間違った言い方を改める必要がある。その結果、「福島県内では(原発事故由来の放射線によって)がんは出ない、出たとしてもわからない(考えにくい)」と福島県の県民健康調査の報告書に書かれていますので、これも早急に撤回するか、できなければ、ゆるやかに言い方を変えていく必要がある。何のためかと言いますと、行政が住民の信頼を得られないと、行政としての機能を果たせないからです。健康被害と経済的損失を最小限に抑えるのが行政の大きな目的ですので、それを行うためには、そういう極端な言い方を改める。

そのうえで、甲状腺がんに関しては、私の予想よりも大きな多発が起こっている。2巡目の結果を見ていると、そのスピードがかなり速い。第一次予防としては、空間線量の高いところはできるだけ避ける。部屋の中でも全然線量が違う。ALARAの原則にすべてを捧げる必要はないが、累積線量をかなり下げることができる。第二次予防としては、早期発見、早期治療。そのためには検診だけには頼れない。一つの方法としては、感度は下がりますけれども自己検診をする。甲状腺の専門医から触診する方法を教えていただき、普及させる。第三次予防として、甲状腺がんの手術をされた方は(首に)傷が残っていますので、今は前立腺がん(の手術)にしか使っていない医療ロボット(ダビンチ)を甲状腺がんにも使うことで、正確で出血も少ない手術が期待できます。保険適用を越えて、検討していただければと思います。

《会場の質問者》いまの福島の平均放射線量、西日本の線量の高い地域とそんなに変わらない。そこまで気にする必要があるとは思わない。チェルノブイリの場合は(甲状腺がん)患者の半分ぐらいを5歳以下の子どもが占めたというが、福島にはいままでそういう例がない。10代後半が多い。大きな年齢分布の違いがあるわけですが、津田先生は今後、福島でも(事故当時)5歳以下の人からどんどん見つかっていくと推定されるのか。見つからなかった場合、津田先生の言う「多発は(原発事故の)被曝由来である」という説に何か影響を与えるか。

《津田》線量が低いというのは測定してみないと分からない。一人ひとりがALARAの原則を守るためには、自分の生活範囲で低いところがどこか、高いところがどこかということを認識して、低いところを無理なく選んでいくこと。5歳以下について、チェルノブイリについては事故から14年ぐらいたってから、「事故当時5歳以下の人から多数出ています」と報告されている。あれだけ大規模な人口集団が(原発事故で)被曝した例というのは、チェルノブイリしかありません。福島も今後、チェルノブイリと同じような経過をたどって年齢分布も似てくるという予測をせざるをえない。そのうえで、もし出てこなかった場合も、考えが変わることはないですね。なぜかというと、(分析による)20倍とか50倍とかいうのが、私たちにとっての判断材料でありまして、年齢分布が違うというのは必要条件ではない。もうすでに桁違いの著しい多発なのです。

《越智》ALARAの原則をもう少し説明すると、(線量は)なるべく低いほうがいい、ただしリーズナブル(R)にということです。リーズナブルってとこに、ものすごく個人差があって、わざわざここに住んでいる人が、大丈夫だからという理由だけで、原発周辺に行くっていうのはリーズナブルではない。ほかにメリットがなければ、行かないほうがいい。それは確かです。ただ、中に住んでる人は、避難することと、そこの線量と、どっちが自分の人生にとってリスクが高いかを選んで、リーズナブルな対応をする。リーズナブルということの感覚の違いが、子どもにとっても大人にとっても、津田先生と私とも違って、そこがどうしても議論の種になるところだと思います。

《津田》ALARAの原則というのは、国際放射線防護委員会(ICRP)が言ってるんですけれども、それを守るためにも、線量というのは「まばら」ですので、できるだけどこが低いのかを知ったうえでの判断になりますし、必ずしも移住だけが選択肢ではないし、それは住む人ほど良く知るべきだと思います。

《会場》ALARAとも関係するんですけど、越智先生が説明された、子どもが部屋に入っちゃって外で遊ばないリスクと、少しぐらい放射線があっても外で遊ぶほうがもしかしたら子どもにとっていいというような、そういう比較でやってらっしゃるんですけれども、なぜ比較の材料をそこに限定するのか。子どもを少しでも放射能が少ない安全なところに、社会全体として移住させて健康に暮らさせるという選択肢もあるわけですよね。そういう選択肢をふさいで、社会的な介入をふさいで、個人のレベルで選択をさせる。そういう発想は今の日本の閉塞(へいそく)状態をすごく反映していると思う。社会をもうちょっと変え、子どもが住みやすいところへ行かせる、社会がそういうことをする。それが原発を進めてきた社会の責任であるということをはっきりさせないと、すごく矮小(わいしょう)化しちゃうと思うんですね。

《越智》おっしゃる通りで、社会が何かしなきゃいけない。ただ、社会が押しつけてもいけない。福島に子どもは住んではいけないという人もいらっしゃるが、やはりお子さんと一緒にそこに住むしかないという選択の人もいる。なんのリスクもなく、集団でもっと平均線量の低い場所に移住することを社会が全面的にサポートできるのか。やはり、移住による健康への影響はあなどれないものがありますので、それは慎重にならざるをえない。だったら個人の防護の仕方を教育する。そちらのほうが大事なんじゃないかなと思います。十把一絡げにできない個人の生活というのはあるんじゃないかなと思います。

《津田》がんは確率で起こってきます。社会、人間の集団全体の被曝線量で考える必要があります。総被曝(ひばく)線量を減らすとそれだけがん患者数も減らせるわけですから、社会の介入も必要です。子どもを外で遊ばせなきゃいけないときは、線量の低いところをできるだけ選ぶ。そのためにも情報が必要だと思います。

     ◇
たいなか・まさと 中東アフリカ総局(カイロ)、国際報道部デスク、米ハーバード大客員研究員(フルブライト・ジャーナリスト)などを経て核と人類取材センター記者。(核と人類取材センター・田井中雅人)

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