2016/03/29

<福島で生きる>古里の良さ伝えるだけ

2016年3月29日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160329_63003.html 

東京電力福島第1原発事故から5年が過ぎた。福島から県外へ避難する人がクローズアップされる一方、県内には約96万人の女性が住み、働き、結婚し、子育てに励んでいる。福島で暮らし続ける女性たちを取材した。(福島総局・桐生薫子)

◎女性と原発事故(1)働く 常盤梨花さん
福島で生きる女性が「かわいそうだ」と思われたくない。自分は前を向いて生きていく。

本宮市のJR本宮駅前にあるコミュニティーFM「モットコム」。毎週月曜日の午前、スタジオに明るい女性の声が響く。

ラジオの生放送に臨む常盤さん=7日、本宮市
常盤梨花さん(22)は、短大2年だった2013年4月から郡山市の司会業の会社に勤める。ラジオのパーソナリティーのほか、結婚式やイベントの司会など忙しい毎日を送る。

浪江町出身。ご当地グルメ「なみえ焼そば」をPRするアイドル「NYTS(ナイツ)」が歌う曲の作詞を担当するなど、学生時代から町おこしにかかわってきた。

高校2年の時に原発事故が起きた。11年3月12日早朝、親に起こされ、南相馬市の親戚宅へ向かった。

避難指示は3キロ、10キロ、20キロ圏と同心円状に広がっていった。「いったいここは何キロなんだ?」。テレビの前に陣取った父が地図帳を引っ張り出す。25キロぐらいか。「命に関わることなのかな」。身震いがした。

父の仕事の都合で11年4月、郡山市の借り上げアパートに移った。第1原発から50キロ以上離れ、空間放射線量も下がった。放射能の不安は少し和らいだ。

福島を応援してくれる人がいる一方、偏見や差別が根強いことを身をもって知った。

13年5月、所属していたよさこい踊りチームの一員として訪れた広島市。イベント会場で若い男性に声を掛けられた。「どこから来たの?」「福島です」。男性の顔色が変わった。

「福島に出張するよう会社に言われたけど断ったんだ。まだ死にたくねえから」「お兄さんはイケメンだから、まだ死んでほしくないな」。悔しさを押し殺し、笑って返すのが精いっぱいだった。

県外の別のイベントに招かれた時も、差別的なメールがチームに届いたことがあった。空港で着替えてから来てください-。

そのころは、県産のコメや野菜を普通に食べ、落ち着いた生活を取り戻しつつあった。それだけに福島のイメージが固定化していることがショックだった。

「福島イコール放射能」。そうしたイメージを完全に払拭(ふっしょく)するのは難しいと今も感じる。「『風評克服』と声高に言わず、福島の良さを真っすぐに伝えていく。それだけでいいと思う」

事故後に作詞したNYTSの新曲「道~伝えたい思い~」。古里を追われた町民へのエールとともに、自分の決意を詩に込めた。

<進み続けよう 自分の道を 自分の足で 自分のために>

原発事故を「人生の中の一つの出来事」と捉える。平たんな人生などない。「前を向かないともったいない」

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