http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160329_63003.html
東京電力福島第1原発事故から5年が過ぎた。福島から県外へ避難する人がクローズアップされる一方、県内には約96万人の女性が住み、働き、結婚し、子育てに励んでいる。福島で暮らし続ける女性たちを取材した。(福島総局・桐生薫子)
◎女性と原発事故(1)働く 常盤梨花さん
福島で生きる女性が「かわいそうだ」と思われたくない。自分は前を向いて生きていく。
本宮市のJR本宮駅前にあるコミュニティーFM「モットコム」。毎週月曜日の午前、スタジオに明るい女性の声が響く。
ラジオの生放送に臨む常盤さん=7日、本宮市 |
浪江町出身。ご当地グルメ「なみえ焼そば」をPRするアイドル「NYTS(ナイツ)」が歌う曲の作詞を担当するなど、学生時代から町おこしにかかわってきた。
高校2年の時に原発事故が起きた。11年3月12日早朝、親に起こされ、南相馬市の親戚宅へ向かった。
避難指示は3キロ、10キロ、20キロ圏と同心円状に広がっていった。「いったいここは何キロなんだ?」。テレビの前に陣取った父が地図帳を引っ張り出す。25キロぐらいか。「命に関わることなのかな」。身震いがした。
父の仕事の都合で11年4月、郡山市の借り上げアパートに移った。第1原発から50キロ以上離れ、空間放射線量も下がった。放射能の不安は少し和らいだ。
福島を応援してくれる人がいる一方、偏見や差別が根強いことを身をもって知った。
13年5月、所属していたよさこい踊りチームの一員として訪れた広島市。イベント会場で若い男性に声を掛けられた。「どこから来たの?」「福島です」。男性の顔色が変わった。
「福島に出張するよう会社に言われたけど断ったんだ。まだ死にたくねえから」「お兄さんはイケメンだから、まだ死んでほしくないな」。悔しさを押し殺し、笑って返すのが精いっぱいだった。
県外の別のイベントに招かれた時も、差別的なメールがチームに届いたことがあった。空港で着替えてから来てください-。
そのころは、県産のコメや野菜を普通に食べ、落ち着いた生活を取り戻しつつあった。それだけに福島のイメージが固定化していることがショックだった。
「福島イコール放射能」。そうしたイメージを完全に払拭(ふっしょく)するのは難しいと今も感じる。「『風評克服』と声高に言わず、福島の良さを真っすぐに伝えていく。それだけでいいと思う」
事故後に作詞したNYTSの新曲「道~伝えたい思い~」。古里を追われた町民へのエールとともに、自分の決意を詩に込めた。
<進み続けよう 自分の道を 自分の足で 自分のために>
原発事故を「人生の中の一つの出来事」と捉える。平たんな人生などない。「前を向かないともったいない」
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