2016/03/23

さあこれからだ/126 福島の復興は「つなぐ場所」から=鎌田實

(見える化が必要なことはその通りだと思います。「細かい実測値を明記」という時の「細かい」実測値、つまり下限値の小さい、「細かい」測定値をそのまま明記して初めて安心につながるのであって、それは国基準の100ベクレルではなく、ホールボディカウンターによるNDでもないのではと思いますが、いかがでしょう。そうした細かい実測値を明記し、各々が選択できる状況が前提なのではないかと思うのです。 子ども全国ネット)


2016年3月23日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160323/ddm/013/070/008000c

「福島について『大丈夫』と言っても批判が出る。『危険だ』と言っても批判が出る。だから、福島のことは何も話さないほうがいいよ」。先日、福島の人にこう言われた。

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年がたち、第1原発から半径20キロ圏内では避難指示が解除されはじめている。帰るか、帰らないかという選択の間で、両者を分断するような空気が生まれているのである。

そして、その分断の背景には、原発事故の大きすぎる被害と、進まない復興への不安やいらだちがある。

今月11日、日本テレビのニュース番組で楢葉町に行った。楢葉町は昨年9月に避難指示が解除された。しかし、帰還した住民は約6%と少ない。人の声もなく、生活のにおいは感じられなかった。なぜ帰れないのか、楢葉町がアンケートを行った。楢葉町に戻るための条件として一番多かったのは、医療などの再開。次いで水道水などの不安解消、防犯対策の強化、商業施設の再開の順となっている。どれも生活には重要なものだ。

水は、楢葉町が調べた範囲では放射線は検出されていない。森や山が除染されていないため、水脈の汚染を心配して、漠然と不安を抱く人もいるのだろう。森の除染も必要なのではと思う。

この楢葉町を皮切りにして今後、20キロ圏内では避難指示の解除が進められていく。来月には南相馬市の小高区が、来年3月には浪江町が避難指示解除を予定している。それは復興に向けた一歩だが、決してゴールではない。むしろ厳しいスタートといえる。

医療施設や商業施設も重要だが、見えない放射線への不安をどう解消していくかも重要な課題だ。安心して子育てができるというのは、若い世代にとって重要なポイントだからだ。

消費者庁は今月、食品の放射性物質に関する7回目の意識調査の結果を発表した。それによると、福島県産の食品の購入をためらう人が15・7%いた。昨年8月の調査より1・5ポイント下げたが、今も不安に思っている人がいる。小さな子どもをもつ福島の母親も過敏になっている人がいた。

原発事故直後から訴えてきたことだが、放射線の「見える化」が不安の解消につながる。すべての食品の放射線の実測値を公表するのは難しいが、定期的に日を決めて、細かい実測値を明記するようにしたらどうか。

チェルノブイリでは、スーパーの横に放射線測定所があり、商品の放射線測定ができる。また、町にも村にも放射線測定所があり、自分で作った野菜を無料で測定することができた。

内部被ばく検査の結果も、「見える化」の一つ。ひらた中央病院の公益財団放射能対策研究所が行い、ホームページで公表している内部被ばく検査(2014年2月1日〜15年11月30日)では、0〜12歳の2010人のうち、内部被ばくをした子どもはゼロであった。成人の検査では5607人のうち3人に検出されたものの、年々内部被ばく量や人数は減少している。

見えない放射線の不安を解消していくには、こうした事実を積み重ねていくことが大事だと思う。

その一方で、帰る人と、帰れない人、帰らない人の分断を埋めていく努力も必要だ。

福島県外で避難生活を送っている人は4万3000人、県内に滞在する避難者は5万5000人いるといわれる。避難指示の解除により、住宅補償がなくなれば、住民は自然に町に戻ってくるという単純な話ではない。それぞれの人に、この5年間、必死に築いてきた生活がある。仕事や子どもの学校の都合で帰れない人もいるだろう。決して町を捨てたわけでも、裏切ったわけでもない。

被災地を訪ねると、ぽっと明かりがつくように人が集まる場所がある。南相馬市の仮設商店街にある双葉食堂は、県内外からのお客さんも訪れるが、元の小高区の人たちなどが顔を合わせ、近況を話したりする場になっていた。「元気だった?」「今どうしてる?」。家の中と外をつなぐ縁側のような場所だと感じた。双葉食堂は近々、20キロゾーンの中に帰る予定だと聞いた。

縁側でお茶を飲むように、共感し理解し合う時間を積み重ねることで、心の分断は埋まっていくはずだ。そして、いつか自分のタイミングで帰還しようと考える人も出てくるかもしれない。復興はそうした人と人をつなぐ縁側のような場所から始まると感じた。(医師・作家、題字も)=次回は4月17日に掲載します。

福島第1原発から半径20キロ圏内にある福島県南相馬市の小高区役所内には、
障がい者が働く「カフェいっぷく屋」がある。これも「縁側」である=2014年8月29日撮影

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