2016/03/23

阿賀から那須への教訓/栃木

2016年3月23日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016032302000142.html

1965年に公式確認された新潟水俣病の発生地、阿賀野川。「阿賀に生きる」(佐藤真監督)はその流域に生きる人々を描いた記録映画だ。栃木県那須塩原市で植木卸業を営む伊藤芳保さん(53)は、四半世紀も前に公開された映画が古びていないと、原発事故の放射能で汚染された那須の今を重ねて思う。

農家、舟大工、餅つき職人。映画は阿賀野川の恵みとともに生きる三組の老夫婦の日常を活写しながら、メチル水銀を含んだ昭和電工の工場排水によって水俣病に罹患(りかん)した被害家族でもあることを伝える。祖父の代から那須の地で苗木を育ててきた伊藤さんはその姿に自身を重ね、失われたものの重さを知る。

原発事故の半年後、娘の部屋の放射線量を測ると毎時0.5マイクロシーベルトと高い値を示し、慌てて娘を避難させた。周りの親も子どもたちの健康を心配している。だが、国は被災者を原発からの距離などで選別し、甲状腺がんの検診も那須の子どもは対象になっていない。

新潟水俣病が半世紀たってもなお全面解決せず、認定をめぐる裁判が続いているのは、被害拡大を嫌がった国が当初、認定基準を高く設定したことが大きい。「国や企業のやり方は昔も今も同じ。その土地で暮らす人を見ていない」。被害者が孤立させられてはならないと伊藤さんは思う。原発事故から5年の11日、地元で「阿賀に生きる」を上映した。思いを同じくする50人が集まった。(佐藤直子)

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