2015年5月11日月曜日
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20ミリシーベルト基準での避難解除は違法であるとして、南相馬の特定避難勧奨地域の住民たちが国(原子力災害現地対策本部)を起訴したことを応援しようと、「南相馬の地点解除訴訟(20ミリ基準撤回訴訟)を応援する全国集会in東京」(主催:南相馬の地点解除訴訟支援の会準備会)が5月9日、東京都文京区で開かれた。原告を含め全国から約150人が集まった。
ママレボ通信でも4月17日の提訴の様子を報じたが、「20ミリ撤回」に賛同する声は福島県内のみならず全国に広がりつつある。
(過去の記事はこちら)
◆国に国民を守らせたい
会に先立ち、あいさつに立ったのは原告代表であり、特定避難勧奨地域の行政区長である菅野秀一さん。
「チェルノブイリ原発事故の事例を見ると、事故から29年たっても子どもたちにさまざまな健康被害が報告されている。もともと一般人の被ばく量は年間1ミリシーベルトという決まりがあるのに、年間20ミリシーベルトなんて、とうてい受け入れられない。地域にはまだまだ放射線量の高い場所がたくさんある。まずそれを払拭してほしい」と訴えた。
続いて、同じく行政区長の藤原保正さんも、「政府は住民の安全を無視して一方的に地点を解除した。原発労働者なみの年間20ミリシーベルトで解除するなんて、こんなバカげた話はない。我々が行動を起こすことで、国にきちんと国民を守らせたい。これは全国民の権利。いっしょに戦いましょう」と連帯を呼びかけた。
◆20ミリ解除のココが違法!
続いて、弁護団の福田健治弁護士から、地点解除はなぜ違法であるのか、以下3つのポイントが示された。
1.一般の年間被ばく線量は年間1ミリシーベルトと決められている。そういうルールで原発を動かしてきたのに、事故後急に年間20ミリシーベルトの被ばくを強いられるのは違法である。
2.ICRP(国際放射線防護委員会)は、放射線防護についてルールを変えるのであれば、必ず利益のほうが大きくないといけないと勧告している。また、(放射線緊急事態後に長期間汚染地域に居住する場合)年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトの下方部分から基準を選択すべきと明示しているのに、上部の20ミリシーベルトを解除の基準にするのは違法である。
3.原子力安全委員会は、避難指示を解除する際には、新たな放射線防護に関する施策を策定し、住民が参加できる枠組みを作って実施すべきという意見を出している。しかし政府は住民の意見を聞かず、一方的に解除したことは違法である。
また福田弁護士は、政府(原子力災害現地対策本部)が起訴状も見ないうちに、「20ミリシーベルトは十分下回っているので解除した」という反論コメントをマスコミに流したエピソードを披露。
「20ミリ基準がおかしいと訴えているのに反論になっていない。訴状も見ないでコメントするからこういうことになる。これまでたくさん行政訴訟を起こしてきたが、訴訟の日に、政府が具体的なコメントをするのは初めて。相当あわてふためいているようだ」と述べ、訴訟に勝つためには、多くの人の連帯が不可欠だと呼びかけた。
◆福島県民は棄民か? 住民たちの訴え
さらに訴えは続いた。浪江町出身で、原子力発電所の放射線管理担当者教育を受け、現場で指導もしてきた桑原豊さんは、みずから測定した南相馬特定避難勧奨地域の放射線量を示しながら、放射線管理区域なみの場所に住まわされている住民の過酷な現状を報告。
「千葉県の流山市では、0.23マイクロシーベルト以上の場所に長時間滞留しないようにという看板が立てられている。南相馬の勧奨地域は、これ以上の放射線量なのに、なぜ住めと言われるのか。福島県民は棄民ではないのか?」と矛盾を訴えた。
さらに、特定避難勧奨地点に指定されなかったものの、それと同等に高い放射線量の地域に自宅がある小澤洋一さんは、国や東電の職員が自宅にやってきて測定したときの様子を動画で紹介しながら、「測定するのは今日が初めてです、というような知識のない職員が、測定のマニュアルも読まないで、ずさんな測定をしている。これで我々の人生が決められてしまっている」と憤りをあらわにした。
登壇して訴える南相馬特定避難勧奨地域のみなさん |
さらに、自宅が特定避難勧奨地点に指定されていた3人の子どもをもつ母親は、「解除されても仮設で暮らしている。自宅周辺には、まだまだ放射線量が高いところがたくさんあるので安心できない。子どもは外に出たがるし、近づくなと言ってもホットスポットに近づいてしまう。ずっと見張っているわけにはいかない」と話し、政府が勝手に決めた20ミリシーベルト基準では、安心して子育てができない苦しい胸のうちを吐露。
またこの日は、まもなく避難指示が解除される予定の楢葉町からいわき市に避難している女性もかけつけ、「年間20ミリシーベルト以下はだいじょうぶなどと情報操作されている。国に洗脳されている。子どもや孫たちのことまで思いをはせたら、あきらめるわけにいかない」訴え、連帯と支援の和をつなげていこうと呼びかけた。
◆広島の被爆者が「胸をはって戦おう」と鼓舞
6歳の時、広島で被爆した 黒田レオンさん(左)と、 小野瑛子さん(右) |
サプライズだったのは、広島の被爆者が登壇したことだった。
ともに6歳のときに原爆を受けたという黒田レオンさんと、小野瑛子さんがそれぞれ原爆者健康手帳を手にしながら、こう語った。
「広島や長崎では、戦後70年たっても年間300件以上、被爆手帳の申請がある。つまり、70年たってもなお、核の被害は続いているということ。この被爆者健康手帳は、天が被爆者のために、ひらひらと舞い降りさせたものではない。私たちが長い期間かけて戦いとったものだ。みなさんも一緒に戦って、勝ち取りましょう。このような裁判が、広島・長崎に始まって、福島で終わりになるように」(黒田レオンさん)
「私自身、65歳のときに甲状腺機能障害になり、甲状腺の摘出手術をした。まわりの被爆者たちも、いろんな病気を抱えている。これらはお金で解決できることではないが、最低限、お金でしか補償できないこともある。自分だけでなく、孫や子の代にまで及ぶかもしれない健康被害。せめて、医療補償だけは勝ち取ってほしい。そのために、広島と福島はつながっていきましょう。福島の人たちには胸をはって戦ってほしい」(小野瑛子さん)
裁判の行方は、私たちひとりひとりが、どれだけこの裁判の重要性に気付き、関心をもてるかにかかっている。
通常の20倍もの「年間20ミリシーベルト」というバカげた基準を押しつけられているのは、決して福島県民だけではない。近隣の原発で事故が起きれば、間違いなく同じ基準が自分や子や孫にまで適応される。このことを念頭に置いて応援していきたい。
ママレボ出版局 和田秀子
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