2016/03/11

私を忘れないで 被ばく少女の遺言

2016年3月11日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ397VBLJ39PTIL04B.html

「ヒバクシャ・世界の終わりに」「六ケ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」。核をめぐる3部作で知られる映画監督の鎌仲ひとみさん。最新作「小さき声のカノン」では、原発事故による被ばくから子どもたちを守る福島とベラルーシの母親たちの営みを紹介している。「ハハレンジャー」たちが奮闘する福島で、何が起きているのか。

鎌仲ひとみさん=東京都渋谷区のイメージフォーラム、田井中雅人撮影

■核めぐる3部作の映画監督・鎌仲ひとみさん
昨年3月に劇場公開した「カノン」は今も全国で自主上映をしていただいています。3月11日からヨーロッパで巡回上映が始まり、ドイツ7カ所、フランス3カ所、イタリア7カ所。ドイツとフランスの上映は私も出かけていきます。福島原発事故から丸5年、(4月26日で)チェルノブイリ原発事故から丸30年という節目で、ヨーロッパのあちこちでイベントが開かれるんです。「チェルノブイリや福島の原発事故を忘れない、記憶の文化をつくる」ことを目指しています。逆に日本は忘れようとする力が働いていると感じます。

日本政府が総力をあげて「福島原発事故の影響は心配ない」「結局、被害はそんなになかったんだよ」っていうことを一生懸命に言っている状態だと思う。日本のマスコミでは福島の子どもたちの被ばくが実際にどうなっているのかということをリアルに伝え切れていないと感じます。かつて「原発」がテレビではタブーだったように、今は「被ばく」がタブー化している。だから、「福島はもう大丈夫なんでしょ」という人もすごく多い。マスメディアが報道しないことで、被ばく被害に関する情報がすっぽりと空洞化してしまっています。

被ばくや核に興味があったわけじゃなく、番組をつくる一介のテレビのディレクターだったり、たまに映画を作ったりしていたんですけれども、たまたまイラクに行ったことがきっかけで、原発とか核とか被ばくをテーマに作品をつくることになったんですね。

1998年にNHKの番組の取材でイラクに行き、アメリカとイギリスが(91年の湾岸戦争で)大量に使った劣化ウラン弾に遭遇した。イラクの子どもたちのがんや白血病はその影響ではないかと疑われていました。しかも、当時はサダム・フセイン政権に対する経済制裁でイラクに薬がなかった。国連がイラクに抗がん剤を売っちゃいけないというので、子どもたちが死んでいくという状態だったんですね。



当時、「子どもたちを撮影させて」とイラクのお母さんたちにお願いすると、「世界中がイラクの子どもなんて死んだっていいと思っているんじゃないかしら。だから、薬を送ってくれないんだわ」と。アメリカはピンポイント爆撃で浄水場なんかも全部破壊した。夏には気温が50度になる国なのに、水の消毒剤すら経済制裁で入ってこない。だから、汚い水を飲んでいました。湾岸戦争から7年間で、15歳以下の子どもたち60万人が腸チフスで亡くなったと世界保健機関(WHO)が報告していました。イラクの人たちの間では、世界に見捨てられているという感覚がすごく強かった。

当時、アメリカは言っていました。「イラクで子どもたちの間にがんや白血病が増えているかもしれないけれども、劣化ウラン弾とは関係ない」。政府の公式ホームページにそう書いてありました。

私はイラクのお母さんたちが撮影させてくれた病気の子どもたちのことを日本に伝えれば、経済制裁が少しでもゆるんで薬が入って助けられるかもしれないと思って帰ってきました。いろんな社会問題をテーマに番組をつくったんですけど、初めて壁にぶつかった。それが「核」問題でした。

イラクで私は「カメラじゃなくて、薬を持ってこい」と言われ、すごい無力だった。たくさんの子どもたちを目の前で死なせた。被ばくで子どもを死なせることは許し難い。どうしたら、それを少なくできるかと考え、テレビでは難しかったので、核をテーマに映画を作り始めたんです。あの時、亡くなったイラクの女の子ラシャが「私を忘れないで」とメモを残していった。その言葉は今も私の胸に突き刺さっています。

1998年にNHKの番組の取材でイラクに行き、アメリカとイギリスが(91年の湾岸戦争で)大量に使った劣化ウラン弾に遭遇した。イラクの子どもたちのがんや白血病はその影響ではないかと疑われていました。しかも、当時はサダム・フセイン政権に対する経済制裁でイラクに薬がなかった。国連がイラクに抗がん剤を売っちゃいけないというので、子どもたちが死んでいくという状態だったんですね。

当時、「子どもたちを撮影させて」とイラクのお母さんたちにお願いすると、「世界中がイラクの子どもなんて死んだっていいと思っているんじゃないかしら。だから、薬を送ってくれないんだわ」と。アメリカはピンポイント爆撃で浄水場なんかも全部破壊した。夏には気温が50度になる国なのに、水の消毒剤すら経済制裁で入ってこない。だから、汚い水を飲んでいました。湾岸戦争から7年間で、15歳以下の子どもたち60万人が腸チフスで亡くなったと世界保健機関(WHO)が報告していました。イラクの人たちの間では、世界に見捨てられているという感覚がすごく強かった。

当時、アメリカは言っていました。「イラクで子どもたちの間にがんや白血病が増えているかもしれないけれども、劣化ウラン弾とは関係ない」。政府の公式ホームページにそう書いてありました。

私はイラクのお母さんたちが撮影させてくれた病気の子どもたちのことを日本に伝えれば、経済制裁が少しでもゆるんで薬が入って助けられるかもしれないと思って帰ってきました。いろんな社会問題をテーマに番組をつくったんですけど、初めて壁にぶつかった。それが「核」問題でした。

イラクで私は「カメラじゃなくて、薬を持ってこい」と言われ、すごい無力だった。たくさんの子どもたちを目の前で死なせた。被ばくで子どもを死なせることは許し難い。どうしたら、それを少なくできるかと考え、テレビでは難しかったので、核をテーマに映画を作り始めたんです。あの時、亡くなったイラクの女の子ラシャが「私を忘れないで」とメモを残していった。その言葉は今も私の胸に突き刺さっています。


【被ばくの本質教わった】
被ばくの本質を私に教えてくれたのは、今年の1月1日に99歳になった肥田舜太郎先生です。27歳の時に広島で原爆にあって、当時は陸軍の軍医だったんですけど、世界で一番最初に原爆被爆者の治療にあたり、戦後、最も多くの被爆者を診察し続けてきた方。研究者ではなく臨床医なので、普通の町医者のように自分の診療所でずーっと被爆者外来を開いてきました。

広島・長崎への原爆投下後、軍に動員されて焼け焦げた遺体やがれきを片付けたり、残留放射能まみれのところに入っていったりした人たちがいっぱいいました。そういう「入市被ばく者」という、同じ患者らを長く見続けてきて、臨床医として「なんかおかしい」と感じていたそうです。

直接被爆をした人たちじゃなく、放射能を体に吸い込んで、見かけは普通の人と同じなんだけど、そのあといろいろ健康被害が起きていくっていうことを体感してきた。「内部被ばく」ってことを言い続けてきた少数の医師の1人です。


私はこの人に会い、被ばくの本質を教えられた。それは「非定型性症候群」。「命の根っこ」がくじかれるんです。すぐに、がんとか白血病とかって考えがちなんですけど、そうじゃない。ゆくゆくはがんや白血病になるってことはあるんですけど、その前に長々と病気になる。例えば、再生不良性貧血とか、無性に体がだるくて、ものすごい疲労感を感じて仕事に行けない。医者に行くと「別に悪いところはありませんよ」と言われる。「怠け者、おまえにやる気がないからだ」って言われたりする。そういうのを「原爆ぶらぶら病」とか言うんですけど。

内分泌系が攪乱(かくらん)されて糖尿病が発症しやすくなったり、腎臓の機能不全になったり、アレルギーがすごく悪化したり、女性の場合はホルモン系がすごく乱されたり……。いろんな症状が出てきて、不健康になる。スキッと健康でいられない状態。朝起きると布団から出たくない、体がだるい。そういう状態を長く過ごして、やがて、がんが出てくる。10年目、20年目、30年目にですね。それぞれ顔が違ったり、遺伝子が違ったり、持病が違ったりするように、もし持病があれば、それが悪化する。生きようとする勢いがそがれていくってことが内部被ばくにはあるんだよっていうのが、肥田先生の70年間の経験から出てきた言葉なんです。確かにただちにではないけど、後から何か出てくる。

今、福島原発事故から5年ですよね。事故のあとボランティアとして福島に通っていた人たちが体調不良を訴えたりしている。病気が顕在化してくる節目が来ているのではないでしょうか。

私が肥田先生に会ったのは1999年。当時、日本全国で約70万人が被爆者手帳を持っていた。広島・長崎の原爆被爆者がまだたくさん生きていた。肥田先生は「被ばくさせられたことに対して復讐(ふくしゅう)するとしたら、長生きすることだ」と言って、養生論をやっていた。被ばく者が長生きするためには、健康習慣を身につけていかなければならない、と。がんになったらなるべく早く発見して、できるだけ長く生きられるように頑張ろうって。入市被ばくした人たちの医療支援を勝ち取る裁判闘争を長くやって、実際に勝ち取ってきた。

福島でも、医療支援を勝ち取ろうという運動はあるんですけど、すごく小さい。自分たちが「ヒバクシャ」と呼ばれること自体が差別につながるかもしれない。医療支援を受け取るなら、自分が「ヒバクシャ」と呼ばれることも受け入れなきゃいけない。広島・長崎でも長い間、被爆者健康手帳を取らなかった人もいる。自分の息子や娘が差別されるかもしれないという心配から、支援を自らが受けられないという心理的な壁が立ちはだかっている。日本では「被ばくとは何なのか」「放射線を浴びたら人間はどうなるのか」という教育をしてこなかった。私も知らなかった。無知だった。見えない放射線を見えるようにするためには、「被ばくリテラシー」を持つことが必要だと思っています。


【甲状腺がんの因果関係】
小児甲状腺がんについて言うと、福島県の県民健康調査でこれまでに160人以上がそう診断された。検討委員会の人たちは「調べたから見つかったんだ。原発事故とは関係ない」って、わけのわからないことを言っています。

私は「六ケ所村ラプソディー」で青森県六ケ所村再処理工場の問題を描きました。日本中の原発から出てくる使用済み核燃料を持っていってプルトニウムを取り出そうという核燃料サイクル計画を日本政府はずーっとやってきた。再処理工場を稼働すると、希ガスとか、放射性ヨウ素も混じっていたり、ちょっと半減期の短い放射性物質を出したりするんです。再処理工場からは1基の原発に換算すると300倍くらい、それが出ると言われていた。

青森県の医師会や保険医協会とかが平成12年(2000年)から12年間、青森県の子どもの小児がんの調査をしました。その中に、小児甲状腺がんは1件もない。青森県では12年間で1人もいないのに、福島県ではこの5年で160人以上に甲状腺がんが見つかっています。小児甲状腺がんって100万人に1人しかならない、すごく珍しい病気なのですよ。

1986年に原発事故があったチェルノブイリの場合は放射性ヨウ素がたくさん出たから、子どもたちがそれを吸い込んで甲状腺に濃縮しちゃうから、がんができたということを国際機関もしぶしぶ認めた。ほかにもいろんな病気が出ていますけど、小児甲状腺がんは珍しい病気だから、そんなに増えるはずがないし、異常だ、原発事故のせいとしか考えられない、ということを国際社会が認めたわけですよ。

でも、日本ではまだ福島がそうだとは認めていないんですね。たとえ、彼らが言うように、検査することで病気が発現する前に発見する「スクリーニング効果」だとしても、多すぎると疫学の専門家が指摘しています。

映画「カノン」の中で、福島県民健康調査検討委員会の人が「福島はチェルノブイリとは違う。だから原発事故のせいだとは考えにくい」って言います。でもね、(チェルノブイリ事故後に現地調査し、現在は福島県立医科大副学長の)山下俊一教授が自分の論文に書いているんですけど、チェルノブイリ原発事故による小児甲状腺がんの特徴は、がんが小さくても転移している。つまり、転移する力が強いというのが特徴で、手術した子どもたちの73%がすでに転移していた。今、福島の場合、74%が転移だそうです。

福島で160人以上の子どもたちが甲状腺がんと診断されているのに、この社会でさして話題にもならない、ということ自体が異常です。「原発事故の影響とは考えにくい」と権威が言うから、マスコミも厳しく追及しない。もっと議論を巻き起こして、増えた理由を解明すべきだと思っています。

「いや、この数字は多くない」と言い訳するなら、日本全国のどの地域でも子どもたちがこんなに甲状腺がんになっているとでもいうのでしょうか。ならば、大変な事態です。全国で検査を実施しなければなりません。小児甲状腺がんが多発していると認めない、従って救済もないし、福島と同様に汚染された関東地域の子どもたちは見捨てられる。この構造をなんとかしなければと思います。加えて、福島原発事故のあとの低線量の被ばく、毎日ちょっとずつ被ばくすることが5年間続いて、慢性化していく。被ばくから子どもたちを守るにはどうしたらいいのかっていうことが、5年たっても変わらず問われ続けていると思うんです。

その一方で、「100ミリシーベルト以上被ばくをしないとがんは増えない」という考え方がもっともらしく流布されている。これは広島・長崎(の被爆者追跡データ)を論拠にしているんですけど、これをもとに国際放射線防護委員会(ICRP)が基準を作ったんですね。広島・長崎では原爆が爆発して短時間に100ミリシーベルト以上の放射線を浴びた人がいっぱいいたんですね。でも、このデータには大きな欠陥がある。データをとったのはアメリカの原爆傷害調査委員会(ABCC)。アメリカは1945年に原爆を落としておいて、1950年からこの調査を始めた。

しかし、この5年間は、連合国軍総司令部(GHQ)が広島・長崎の人たちに「自分たちの体に何が起きたかは一切、他言無用」っていう言論統制をかけたので、医療的な救済もなかったし、放射線に弱い人から死んでいったんですよ、この5年間に。これに抵抗した肥田先生は、4回も刑務所に入れられた。免疫力が強かった人たちが生き延びて、その人たちを元にしたデータが「100ミリシーベルト(以下なら健康影響が見られない)説」であると思います。淘汰(とうた)されたあとの人口集団を対象にしている時点でバイアスがかかっている。

ICRPは人間を「直径1メートルの肉球」と想定しているんです。それがまんべんなく100ミリシーベルト浴びたらがんになる、と。でも私たち人間には内臓がある。すごく複雑なメカニズムを持っているのです。(漫画「美味しんぼ」をめぐる)鼻血論争っていうのもありましたね。「科学的に言って、福島原発事故のせいで鼻血なんて出るわけがない」って、東大、京大の学者さんたちが言った。肉球がまんべんなく100ミリ浴びていないのに鼻血なんか出るわけない、というわけです。だけど、考えてみてください。被ばくは、まだらに起きる。放射性物質が拡散するのもまだらだし、人間の体にくっついちゃうのもまだらなんですよ。粘膜に一番くっつく。目とか鼻の中とか。

例えば、鼻の中の粘膜の一部の1平方センチメートルが100ミリシーベルト相当の被ばくを受けている可能性はあるわけですよね。まだらに被ばくし、局所的に強い放射線を浴びるってことは起こりうるわけですよね。ICRPの仮説は抽象的なモデルにしか過ぎない。現実に起きていることに合わせて根本的に低線量被ばくの研究をした方がいいんじゃないかなと私は思っています。

チェルノブイリ原発事故を受けたベラルーシではいま、年間5ミリシーベルト以上被ばくするところに人間が住んじゃいけないとされている。本来は1ミリよりも高い所に住んじゃいけない。外から(外部)と体の中から(内部)の被ばく線量を同等とし、合わせて1ミリと考えると、(外部の)空間線量が年間0.5ミリシーベルト以上のところには住んじゃいけない「汚染地」ってことになるんです。

旧ソ連時代は「もっと浴びても大丈夫」って言っていたんです、ところが、30年かけてどんどん厳しくなった。そうしないと健康が守れないってことが分かってきました。日本はこの5年でどんどん甘くなって、「20ミリでも大丈夫。福島に帰ってこい」って言っています。ベラルーシでは1から5ミリの間の地域に住んでいる住民170万人(年間)を無料で検診している。リスクのあるところに住んでいるんだから、早く病気を見つけて早く治療しましょうっていう考え方なんですね。

子どもに関しては年1回、必ず1カ月、ベラルーシ国内の保養施設に出しましょうと。それから、学校の先生と外務省と文部科学省と総務省が連携し、子どもを海外保養に出すっていうこともやっている。病気がちの子どもたちも、生き延びて大人になれば何とか免疫ができていく。



それでも、ベラルーシの妊娠率は非常に低いです。国際原子力機関(IAEA)とか世界保健機関(WHO)とかが、遺伝子研究所に出生前診断の補助金を出している。ベラルーシでは、無料の出生前診断をするのが妊婦の50%。胎児の染色体異常が見つかれば、そのうちの50%が中絶すると言われています。IAEAやWHOがお金を出して無料診断させている政治的意図があると私は思っています。つまり、障害児がこんなに生まれましたよっていうことが統計に出なくなる。それが原発事故のせいだって言われることを回避するためにやっているんだと思う。原子力は素晴らしい恩恵をもたらすから、少しくらいの命はまびいてもいいんじゃないのっていう思想が背景にあるのではないでしょうか。

日本でも、福島だけではない。文部科学省などの公式データによると、宮城、岩手、茨城、栃木、群馬、千葉、埼玉、東京の一部地域が、人が住んじゃいけない、法律で「放射線管理区域」(1平方メートルあたり4万ベクレル)にあたる汚染レベルになったとされています。心配だからと独自に調べた北茨城市では、約3千人中3人から小児甲状腺がんが出ている。千葉県松戸市では約170人中120人の甲状腺に20ミリ以上ののう胞、結節が見つかっている。栃木県のお医者さんたちも検査に取り組もうとしている。国は北茨城市の検査費用は出しますと言っているので、自治体はどんどん検査して費用を請求すればいいんです。

【子どもを被ばくさせたくない】
私は沖縄や滋賀など日本各地での保養受け入れの支援をしています。先月、福島で「カノン」の上映をしてもらった時に保養の受け付け状況を聞いたら、この5年間で一番申し込みが多くて長蛇の列という。その多くが、震災後のこの5年に子どもを産んだお母さんたち。福島のお母さんたちが子どもを保養に行かせなきゃと思う何かがあるんですよ。



私はイラク体験があったから、子どもをちょっとでも被ばくさせたくない、内部被ばくはいろんな問題を引き起こす、子どもを被ばくさせるような社会はダメだと思って、やれることをやっているんです。放射能汚染があるところから、なるべく子どもを汚染のない安全なところに連れて行くという保養をやるべきだと思ってやっているんです。

でも、この5年間、それをやってきて分かったんですけど、放射能から一時的に子どもを救っても、またそこに帰すでしょ。子どもたちが帰る先が福島、そして日本社会。原発事故があっても原発を動かす社会なんです。子どもたちが被ばくしてるのに「大丈夫」って言われて、鼻血を出してるのに、大丈夫なはずないのに、黙っている社会。

そういうところに子どもを帰して、そういう大人に再生産するのか。それでいいのか。被ばくからの救済だけで済まない、この社会が持っている害毒があると最近感じます。大人がよくない。自分の両親がけんかするのを見たくないから、子どもが先回りして「お母さん、大丈夫。私は福島にいたいわ。避難しなくてもいいのよ」とか言う。



多くの母子避難した親子は貧困の坂を転げ落ちています。だって「自主避難」なんだから。映画に出てきた、福島から県外に母子避難したお母さんが最近連絡をくれて、「もう私、やっていけないかもしれません」。震災後生まれた健康問題を持つベビーを2人抱えた次女、長女と息子、全員が甲状腺に異常、のう胞がある。お母さん自身も不調で病院に行ったら、「2カ所にがんの兆候がある」と診断された。言葉で表現できないような疲労感もある。

この親子だけじゃなく、母子避難者たちが社会の中で見捨てられている。イラクのお母さんたちが「私たちは世界から見捨てられているわ」と言っていたのと似ているんじゃないかなあと思う。だれにも共感してもらえない。もうちょっとみんなが何が起きているのかを知ること。国が何と言おうとも、私たちが声を出して、救済の手がさしのべられるようにすることが大事だと思う。

     ◇
たいなか・まさと 中東アフリカ総局(カイロ)、国際報道部デスク、米ハーバード大客員研究員(フルブライト・ジャーナリスト)などを経て、核と人類取材センター記者。ツイッターhttps://twitter.com/tainaka_m(核と人類取材センター・田井中雅人)


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