2016/03/09

3・11から5年 かながわの今(4) 県内避難者の今/神奈川

2016年3月9日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201603/CK2016030902000171.html

支援される立場から自立へ-。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の直後、福島県富岡町から横浜市に避難してきた矢内千恵子さん(45)は、神奈川県内の避難者を支援するNPO法人「かながわ避難者と共にあゆむ会」(横浜市神奈川区)の事務スタッフをしている。当初は会が開くレクリエーションなどに参加していたが、「何かをやってもらうだけでなく、自分から前向きに関わろう」と一昨年から働き始めた。

「最初はすぐに戻れると思った」。矢内さんは夫が福島県に残って介護の事務職をしており、自身は高校一年生の双子の息子と、神奈川県が借り上げた同市金沢区のアパートに住んでいる。息子の生活環境を考えると、今後も同市内に住み、別居を続けることを選ばざるを得なかった。

震災前に矢内さんが暮らしていた場所は現在、居住制限区域になっているため、今住んでいるアパートの家賃は要らない。それでも、避難の長期化に伴い、避難先での定住を考えるようになった人には、金銭的な問題に加え、新たな問題が生じている。

矢内さんは東電からの補償を受け取ったが、収入が減った夫との二重生活、子どもの進学にかかる経費などを考えると、十分にまかなえる額とはいえなかった。一方で、こうした補償にまつわる金額の差が、避難者同士、または避難者と福島に残った人の間に精神的な壁をつくるという。「避難して五年、神奈川県内で最も顕在化した問題かもしれない」と矢内さんは話す。

原発事故からの避難状況は千差万別で、同じ市町村でも異なることがある。区域の違いや持ち家など資産の有無で補償額はかなり異なる。お互いに気を使うようになり、避難者同士のコミュニケーションを難しくした。福島県に戻ろうとしても、「あの人はたくさん補償金をもらった」「大変な時に避難して今ごろ帰って来るのか」と言われる人もいるという。そんな心無い言葉が避難者に帰還を思いとどまらせるという。

補償金がなくては生活は立ちゆかないが、こうした精神的な壁を取り払い、助け合うことが避難者の自立に大事だと矢内さんは考えている。その一歩として、昨年六月からは県内避難者が集まるバス旅行などのレクリエーションを企画している。

「これまでの五年間も長かった」と振り返る矢内さん。これから先、避難がいつ終わるのかは分からない。「福島に戻るかどうかに関係なく、避難者同士、打ち解けて情報交換するところから始められれば」 (宮畑譲)

県内避難者を支援するNPO法人で事務スタッフとして働く矢内さん
=横浜市神奈川区で

<メモ> 東日本大震災からの県内避難者の状況 県災害対策課によると、2月1日現在、被災地から神奈川県内への避難者は3584人。うち1451人が公営住宅などで、2087人が友人・親戚宅で暮らしている。福島県からの自主避難者は来年4月から家賃補助が半額となり、2019年3月には完全に打ち切られる。自主避難者は原発事故による放射能の影響を不安に感じて母子で引っ越した人も多い。県内避難の子どもを支援する「守りたい・子ども未来プロジェクト」実行委員会に登録し、子どもを抱えて避難した人は、県内で278世帯いるという。

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