http://mainichi.jp/articles/20160314/ddl/k41/040/167000c
東日本大震災を機に県内に移住した人たちの交流会が13日、吉野ケ里町の町東脊振健康福祉センター「きらら館」であった。交流会には県内や福岡県に避難、移住した約40人が参加した。支援者らと共にカレーを食べながら震災から5年間のつらかったことなどを語り合った。会を企画した東京都から移住した小島秀子さん(53)は「先が見えないという不安はあるが、これだけ集まってくれてうれしい」と話した。【石井尚】
会では移住者に豆と鶏肉の2種類のカレーが無料で振る舞われ、移住者が作った焼き菓子も配られた。移住した子供たちはカレーを頬張ると笑顔になり、親たちは互いの境遇などを語り合い、交流を深めた。
2011年4月末に、福島県田村市から佐賀市に家族と移り住んだ菅名早苗さん(38)は「最初の1年で戻れると思っていた」と語る。東京電力福島第1原発事故が収束しない状況に「子供たちが成人するまでは戻るのは難しいのかな」。
政府関係者が「復興した」と述べることに「福島第1原発に防護服も着ないで普通に出入りできるようになって初めて、復興したことになると思う」と憤る。5年間に仲の良かった移住者が県外に転居するなど「孤立してしまうのでは」と不安もある。交流会に参加し「みんなとつながっていたいという思いがあって、ホッとした」と語った。
岡本道子さん(47)は小学2年の長女が体調を崩したことをきっかけに、2年前、2人で横浜市から佐賀市に移住した。目に見えない放射能の影響が不安だった。夫と離れての生活に経済的に苦しいという。困っていることは「原発事故の影響について正しい情報を得にくいこと」だという。
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