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子ども全国ネットでは、発足当時から活動をお聞きしてきました。子どもたちを少しでも被ばくから守ろうと奮闘を続ける「青空保育たけの子」にご支援を! 子ども全国ネット)
2015年5月5日 河北新報 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150505_63014.html
米沢市の最上川の土手で子どもたちと遊ぶ辺見さん(右から2人目) |
◎福島市・辺見妙子さん
「もう一回滑りたい」
「次は僕が一番先だよ」
小さな子たちがシートをお尻に敷き、米沢市の最上川の土手を次々と滑り降りる。はしゃいだ声が響く。
子どもたちは50キロほど離れた福島市に自宅がある。同市のNPO法人「青空保育たけの子」のサテライト保育として、日帰りで米沢に通い外遊びを楽しむ。福島から米沢に避難している家族の子もいる。
たけの子代表の辺見妙子さん(54)が土手のクローバーを摘み、口に含むと茎が丸まった。まねをする子どもたち。形を変えた茎を見て目を丸くする。
東京電力福島第1原発事故で福島の子は外遊びが制限された。「今も安心して遊ばせられる状況でないと思う」。腰を据え、県境を行き来する保育を続ける。
2009年から福島市で野外保育に取り組んでいた。11年3月に原発事故が起きると、福島では続けることが難しくなった。
思案したが、「豊かな感性を育むには自然の中で五感を磨くことが大切」という信念は揺るがなかった。山形との県境を挟んで隣接し空間放射線量も低い米沢に着目。サテライト保育を11年10月に始めた。
毎日午前8時に子どもたちをバスに乗せて福島市を出発する。借り受けた古民家を拠点に午後2時まで米沢の里山や河川敷で過ごす。散策などを楽しみ、午後4時ごろ福島市に戻る。
毎日の保育のほか、週末などに米沢で外遊びしてもらう機会も提供したいと考える。昨年秋にはウェブで資金協力を募り、無料の送迎バスを走らせた。
あの日から4年余りが過ぎた。米沢ではたくさんの福島の人々が避難生活を送ってきた。原発事故は人ごとではなかった。
辺見さんは最近、そうした米沢においても微妙な空気の変化を感じた。「福島県外では、原発事故の緊急事態は終わったという感覚なのかもしれない」
福島市内では昨年度末までに約8割の公園・緑地の除染が終了。屋内遊技施設の整備も進んだ。子どもたちを取り巻く環境は改善しつつあるようにも見える。
だが郊外の山林は手付かずのまま。大部分は放射線の自然減衰に任せているのが現状だ。河川敷なども除染は行われたが、国の追加被ばく線量以上の場所が残る。再生はまだまだ道半ばだと感じる。
いつになったら何の心配もなく遊べるようになるのだろう-。福島の子の未来を思い決意する。「自由に野山を駆け回ることができるようになる日まで、サテライト保育を続けていく」
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