「チェルノブイリ30年・フクシマ5年・国際シンポジウム」の呼びかけ
チェルノブイリ・フクシマを繰り返すな
事故被害者の補償と人権の確立に向けて
フクシマを核時代の終わりの始まりに
日時:2016年4月3日(日)午前10時~午後4時30分
場所:大阪府教育会館(たかつガーデン)8Fたかつ(東中)
近鉄上本町駅から徒歩3分(TEL 06-6768-3911)
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国際シンポジウム開催へのご協力とご参加をお願いします!
まもなくチェルノブイリ事故30年・フクシマ事故5年を迎えます。チェルノブイリとフクシマの原発重大事故は、国境を越える広範な地域を放射能で汚染し、何百万人もの市民と労働者に被ばくを強いています。事故の被害は長期にわたり、人々の命や健康のみならず、生活全体、さらに社会・経済・文化等にも及び、生命権・健康権、生活権をはじめ様々な「人権」が侵害されています。
フクシマ事故は世界に大きな衝撃を与えました。核と人類は共存できないことをあらためてしめしました。事故後、ドイツをはじめ多くの国々は脱原発と再生可能エネルギーの推進へと政策を転換しました。しかし、日本政府と電力・原子力産業は、脱原発に向かう世界の流れに逆行し、重大事故が起こることを前提に全国の原発再稼働を強行し、また原発輸出を進めようとしています。
原発重大事故を、これ以上繰り返させてはなりません!日本の原発再稼働をやめさせ、脱原発、再生可能エネルギーへの転換を政府に要求します。そして、東電はもちろんのこと、国策として原発を推進し重大事故を招いた国の責任を厳しく問い、事故被害者への補償と人権の回復・確立に向けて進まなければなりません。さらに、核のない未来を目指し行動を強めなければなりません。
このような思いを同じくする皆さんとともに、私たちは「チェルノブイリ30年、フクシマ5年」の節目に、「国際シンポジウム」を大阪で開催します。
「国際シンポジウム」では、チェルノブイリとフクシマの被災地からゲストを迎え、チェルノブイリ事故30年とフクシマ事故5年の被害者の体験に学び、「重大事故をこれ以上繰り返させてはならない」という思いをより多くの人々に伝えていきたいと思います。さらに、ふたつの事故とその被害の普遍性と、歴史的・社会的背景による特殊性を理解し被害者の補償と人権の確立・回復をめざす運動の前進に繋いでいきたいと考えます。また、ふたつの原発重大事故の被害者どうしが出会い、交流と連帯を深めるきっかけにしたいと思います。
「国際シンポジウム」では、原発重大事故をこれ以上繰り返させないために、脱原発と再生可能エネルギーへの転換、ヒバク反対、被害者支援等に具体的に取り組んでいる、各地の皆さんからの報告やアピールも受け、連帯を深め、運動を強め拡げていきたいと思います。そして「フクシマを核時代の終わりの始まりに」することをめざし、さらに進んでいきましょう。
私たちは「3.11」以降、「フクシマを核時代の終わりの始まりに」を合い言葉に、多くの皆さんとともに、脱原発・再稼働反対、住民や労働者への被ばくの強要反対、フクシマ原発事故被害者との連帯・支援に、全力で取り組んできました。同時に、「脱原発から非核未来を探る」「核被害者の人権の確立・回復をめざす」、「フクシマとヒロシマ・ナガサキを結び、非核・放射線教育、平和・人権教育を進める」等々をテーマに、シンポジウムや学習会にも取り組んできました。これまでの運動の経験とネットワークをこれからの運動に活かすためです。ヒロシマ・ナガサキ70年から、チェルノブイリ30年・フクシマ5年に当り、このような活動と議論をさらに深め、これからの運動の力にしていきたいと思います。
「国際シンポジウム」開催に、ぜひご協力、ご参加下さい!
主催:「チェルノブイリ30年・フクシマ5年―国際シンポジウム実行委員会」
[実行委員会構成団体:チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西/ヒバク反対キャンペーン/若狭連帯行動ネットワーク/原発の危険性を考える宝塚の会/地球救出アクション97/科学技術問題研究会]
連絡先:「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」事務局
〒591-8021 堺市北区新金岡町1-3-15-102 猪又方
TEL:0722-53-4644,
E-mail: cherno-kansai@titan.ocn.ne.jp
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賛同カンパにご協力下さい!:個人一口1000円、団体一口2000円
(複数口大歓迎)
カンパ振込先:郵便振替:00910-2―32752
口座名:チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関
「チェルノブイリ30年・フクシマ5年・国際シンポ、賛同カンパ」と明記して下さい。
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ゲスト:
* ベラルーシの高汚染地からの「移住者」:ジャンナ・フィロメンコ(プロフィールは下記)
* ロシアの汚染地域の住民(打診中)
*福島から(打診中)
プログラム案:(詳細が決まり次第、お知らせします。)
I部:
・ 基調報告:シンポジウム実行委員会
・ チェルノブイリ事故被害者からの報告
・ 福島からの報告
・ 討論(シンポジウム形式)
II部:
・ スライドショー(検討中):チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西
・ 特別報告:広島、長崎、福井から
・ 参加者からの発言:脱原発、再生可能エネルギー推進、ヒバク反対、事故被害者支援の取り組み報告など
・ 総合討論
・ シンポジウム・アピール:実行委員会から提案、討論、採択
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【ジャンナ・フィロメンコさんのプロフィール】
チェルノブイリ原発から北西40kmのナローブリア地区の出身。事故当時、夫と二人の息子(3歳、5歳)と暮らしていた。ナローブリア地区は、高汚染地(セシウム137で55万5千ベクレル/m2以上)であったが、事故直後のソ連政府は一般市民でも「生涯350ミリシーベルト(注)までの被ばくは許容される」との施策を取り、人々は住み続けた。ソ連崩壊前、ベラルーシの汚染地では住民運動が起こり、1991年に「チェルノブイリ法」ができて、ナローブリア地区は「移住対象地域」となった。同法に基づき、ジャンナさんの家族はミンスク郊外の新興住宅地区マリノフカの高層アパートの部屋(3部屋とキッチン)の権利を与えられ、1991年に移住した。引っ越しの車代、4ヶ月分の給与の前払いを受け取ったが、移住先での仕事の斡旋もなく、慣れない都会で「ゼロからのスタート」だった。
マリノフカ地区で同じような境遇にあった高汚染地からの移住者は、次第に連絡を取り合うようになり、互助組織「移住者の会」を結成した。ジャンナさんは「移住者の会」の代表を約20年続けている。事故15周年(2001年)には「救援関西」の招聘で来日、関西各地、福井、広島、東海村で講演・交流。事故20年頃から欧州各地の団体などの要請もあり、チェルノブイリ事故後の自らの体験を語り「核はコントロールできず、使ってはならない。誤りを繰り返さないで」と訴えている。
ジャンナさんは、事故後、移住までの間、30km圏内で、事故処理作業者の給食管理業務に従事していたことから、自身も「事故処理作業者」(リクビダートル)に認定されている。長男のパーベル君は、事故後早期に高熱を出した「後遺症」で知的障害があり、「チェルノブイリの障害者」に認定されて「障害者年金」を受給している。移住後2年目に夫は心臓発作で急死。
[注:国際放射線防護委員会(ICRP)の当時の一般公衆の被ばく限度が年5ミリシーベルトで、その70年分として「生涯350ミリシーベルト」が採用された。]
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