2016/01/17

(いま子どもたちは)福島にこらっせ:8 なんでもない日常、劇で伝われ

2016年1月17日 朝日新聞
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12163267.html?rm=150

(No.1031)
福島がどう見られているのか怖い。福島県中島村に暮らす県立光南高校(矢吹町)の3年生、古内琴美さん(18)は「以前と同じ、放射能と関係ない福島の姿を県外の人に知ってほしい」と話す。

東京電力福島第一原発事故が起きたのは中学1年生の時だ。自宅は原発に近いわけではなく、避難指示は出なかったが、「避難しなくてはいけなくなるかもしれない」と最初は恐ろしかった。ほとんど外出せずにパソコンを触り、気を紛らわせる。1週間後、中学の先生が春休みの課題を持って自宅に現れ、ようやく安心できた。「また学校に行ける毎日がくるんだ」

けれど、今度は違った不安がつきまとう。県外の人は私たちを「被曝(ひばく)者」としかみていないのではないか。

高校1年生の冬、不安は現実になった。所属する演劇部が千葉県で公演した時のことだ。全住民が一時避難した県内の村に向かって女子高生6人が旅しながら、原発事故への不安や戸惑いを語り合う物語。市民団体の招きだった。
台本を手に演じた役について思い出す古内さん(左)と佐藤教諭=福島県中島村
公演後、劇を見た人たちから矢継ぎ早に質問を浴びた。「福島に住んで大丈夫だと思っているの?」「福島の野菜を食べられると思ってるの?」。顧問の佐藤茂紀教諭(52)が食べ物の安全性などを説明しても、相手の心には届いていないように感じた。その福島で私たちは暮らしているのに。自分の日常が否定されていると感じた。

以来、「県外の人の気持ちをなんとか変えられないか」と考えるようになった。3年生で部活を引退するまでに6、7本、原発事故をめぐる劇を演じた。といっても、ほとんどは事故後の高校生の日常を描いたもの。「『なんでもない福島』があるってことを伝えたかった」

この春には県内で就職する。福島産の野菜や特産品を食べるツアーも企画している企業だ。そこで出会った人々に福島のことを話し、原発事故一色ではない姿を伝え、足を運んでもらうこと。小さな力だけど、続けていきたい。
 (永野真奈)

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