2016/03/14

千葉/ 遠いふるさと 震災5年(上)南相馬の南原さん一家、君津に

2016年3月14日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201603/CK2016031402000177.html 

東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で大きな被害を受けた福島県から千葉県へ避難する人たちは約三千人。その多くは、五年がたっても将来を見通すことができないまま避難生活を続けている。彼らの故郷への思い、怒りや苦しみ、希望を追った。 (柚木まり)

「相馬野馬追を子どもたちと一緒に見ることが楽しみでした。自然のきれいな町だった。私たちが生活を築いてきたふるさとを奪われたことが悔しい」

昨年一月、千葉地裁の法廷で、証言台に立った南原聖寿(せいじゅ)さん(56)=君津市=は、震える声で裁判官に訴えた。二〇一一年三月、東京電力福島第一原発事故のため、避難指示が出された福島県南相馬市小高区から実家のある千葉県内へ避難した。県内の福島県からの避難者は、国と東電に損害賠償を求めて集団訴訟を起こし、南原さんも原告の一人として参加してきた。

一九九五年、結婚を機に小高区で暮らし始めた南原さんと妻園枝さん(57)。両親に結婚を反対されたこともあり、「骨をうずめるつもりで小高に住んでいた」。地元の相馬小高神社で毎夏行われた伝統行事の相馬野馬追。裸馬を境内へ追い込む迫力ある祭りに、幼かった長男(19)と長女(16)を連れて行って見せた思い出が忘れられない。

第一原発で水素爆発が起きた一一年三月十二日、小高区を含む原発から二十キロ圏内が立ち入り禁止になった。間もなく市から福島県外への避難が指示され、南原さんはガソリン二十リットルの配給を受けて実家のある千葉を目指した。その後、一家は君津市の雇用促進住宅に入居。長男は中学三年、長女は小学五年の四月から市内の学校へ転校した。

南原さん夫妻にとってなじみがあったはずの千葉での暮らしは、一家の生活を一変させた。園枝さんは高血圧や不眠症の症状がひどくなり、薬を飲まなければ眠れないようになった。

もともとあった足の障害も重くなり、自力歩行が難しくなった。障害等級は三級から二級に引き上げられ、移動には車いすが必要だ。

長男は、転校先の中学で二学期後半から不登校になり、別の中学へ再び転校。「一日休んだら足が遠のいた。疲れてしまった」。高校受験のため、南原さんが車で送り迎えして夕方から学校へ通い、県内の定時制高校に入学した。長女も転校先の小学校で教室に入れず、教諭と一対一で学習した。

南原さんも消化器系の病気で体調を崩しやすく定職に就けず、生活保護を受けている。

南原さんと園枝さんは、長男のひと言が今も心に引っ掛かっている。
「僕だけ住民票を千葉に移してよ。高校の友達にも知られたくない」
仲の良い友人との別れや、子どもたちにとってのふるさとを追い出された悔しさ。親として無念さを募らせる中、長男の言葉はショックだった。



園枝さんは「子どもは思い出したくないかもしれないけど、福島で生まれたことは消えない。差別やいじめが一番困る。健康に何事も無く生活してもらうことが私たちの願い」。南原さん一家は昨年十一月、住民票を南相馬市から君津市へ移すことを決めた。


<原発集団訴訟> 東日本大震災から2年後の2013年3月11日、東京電力福島第一原発事故により福島県から千葉県内に避難している被災者が、国と東電を相手に「原状回復」や慰謝料などを求め、千葉地裁に起こした集団訴訟。現在、原告は18世帯45人で、提訴後に高齢などのため3人が亡くなった。法廷ではこれまで、原告の全世帯が原発事故による被害の実態を訴え、専門家の証言を得て国と東電の事故責任を追及。昨年6月には、福島市、いわき市など避難指示区域外からのみの被災者6世帯20人が国と東電を相手取った損害賠償訴訟を起こした。

「1週間くらいで戻れるもんだと思ってたのに」と
5年を振り返る南原さん(左)と妻の園枝さん

0 件のコメント:

コメントを投稿