http://www.asahi.com/articles/ASJ3330VYJ33UBQU00B.html
「年20ミリシーベルト以下」なら安全なのか?――東京電力福島第一原発事故から5年、国の帰還政策を問う集団訴訟の審理が本格化する。局所的に高い放射線量となって国が避難を勧めた「特定避難勧奨地点」。国は除染などで「年20ミリシーベルト」を下回るのが確実だと設定を解除したが、対象の南相馬市民らが違法だと訴えている。被曝(ひばく)から国民を守る基準をどこに置くか、が争点だ。
■南相馬市民ら訴え 「若い人戻らない」
原告らが住むのは、福島第一原発から北北西に25キロ前後の阿武隈高地につながる農村地域。事故のあと、年20ミリシーベルト(政府の計算方法で毎時3・8マイクロシーベルト相当)の基準に振り回されてきた。
政府は2011年7月以降、年20ミリ超が推定されるとして、市内152世帯を、避難を促す「勧奨地点」に設定、支援策も実施した。それが14年12月、玄関や庭先の測定で年20ミリを下回ることが確実だとして解除となった。
原告らは、この処分の取り消しを求めて15年4月に提訴。原告数は周辺住民らも含め206世帯・808人になった。原告らはこの裁判を「20ミリシーベルト基準撤回訴訟」と呼ぶ。年20ミリの基準そのものがおかしい、と考えるからだ。
■南相馬市民ら訴え 「若い人戻らない」
原告らが住むのは、福島第一原発から北北西に25キロ前後の阿武隈高地につながる農村地域。事故のあと、年20ミリシーベルト(政府の計算方法で毎時3・8マイクロシーベルト相当)の基準に振り回されてきた。
政府は2011年7月以降、年20ミリ超が推定されるとして、市内152世帯を、避難を促す「勧奨地点」に設定、支援策も実施した。それが14年12月、玄関や庭先の測定で年20ミリを下回ることが確実だとして解除となった。
原告らは、この処分の取り消しを求めて15年4月に提訴。原告数は周辺住民らも含め206世帯・808人になった。原告らはこの裁判を「20ミリシーベルト基準撤回訴訟」と呼ぶ。年20ミリの基準そのものがおかしい、と考えるからだ。
「20ミリシーベルト基準撤回訴訟」の原告らの報告集会=2015年9月28日、東京・永田町 |
国際放射線防護委員会が復旧時の被曝線量として示すのは「年1~20ミリ」だが、政府が11年12月、その最も緩い20ミリを採用。5ミリも検討されたが、避難者増を懸念して見送られた。
東京地裁での第1回口頭弁論は15年9月。原告代表で元市議会議長の菅野秀一さん(75)が訴えた。「あまりにも高い基準での解除だ。若い人は戻ってきません。いま住んでいるのは70歳を超えた人たちばかり」
続いて、仮設住宅に住む3人の子を持つ主婦が証言した。「自宅は2度の除染をしても雨どいや側溝付近ではいまだに毎時4マイクロシーベルトの線量が出ます。解除されたからといって簡単に『はい、戻ります』というわけにはいきません」
■住居外では今も基準超す線量
原告側は、今も「年20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)」を超える場所が存在することを懸念している。それで、玄関などの測定だけでは安全が確保されないと主張する。
のどかな田園風景がひろがる南相馬市原町区の大原行政区。原告の一人の小沢洋一さん(60)が、休耕田で放射線測定器を雑草にかざすと数値は上がり、毎時16マイクロシーベルト台に達した。「除染も山々が手つかずだから、結局、元の木阿弥(もくあみ)です」と言う。
チェルノブイリ原発事故にみまわれたウクライナは、事故から5年目の1991年、年5ミリを超える地域を強制移住させる区域とし、年1ミリ以上は移住を保証する区域と定めた。
原告弁護団の福田健治弁護士は、日本でも必要のない者の立ち入りが禁止される放射線管理区域の設定は年5・2ミリだとして「何の防護対策もしないまま、一般住民を本来厳重な管理が必要な地域に帰そうというものだ」と話す。
被告となった政府の原子力災害現地対策本部は15年4月の提訴日に事実上の反論文書を出し、年20ミリは「国際的・科学的知見を踏まえて決定された」と、その妥当性を主張した。
今年1月の2回目の口頭弁論でも国側は、年20ミリの被曝を仮定した場合の健康リスクは「生活習慣等に伴う発がんリスクと比べると、相対的に低い」などと準備書面で強調した。
3回目以降も、双方が年20ミリをめぐって、さらに論拠を示していく。
(編集委員・小森敦司)
■年1ミリが望ましい
【復興庁の有識者検討会で座長を務める大西隆・日本学術会議会長】
仮に、避難指示解除の基準である年20ミリシーベルトの環境で生活し続けた場合、線量の自然減衰を考慮しても、7年もすれば累積の被曝(ひばく)量は、がん死亡率の増加が検出しやすくなる100ミリに達する恐れがある。それでは、今まで避難生活によって被曝を避けてきた意味がなくなってしまう。
原告側は、今も「年20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)」を超える場所が存在することを懸念している。それで、玄関などの測定だけでは安全が確保されないと主張する。
のどかな田園風景がひろがる南相馬市原町区の大原行政区。原告の一人の小沢洋一さん(60)が、休耕田で放射線測定器を雑草にかざすと数値は上がり、毎時16マイクロシーベルト台に達した。「除染も山々が手つかずだから、結局、元の木阿弥(もくあみ)です」と言う。
チェルノブイリ原発事故にみまわれたウクライナは、事故から5年目の1991年、年5ミリを超える地域を強制移住させる区域とし、年1ミリ以上は移住を保証する区域と定めた。
原告弁護団の福田健治弁護士は、日本でも必要のない者の立ち入りが禁止される放射線管理区域の設定は年5・2ミリだとして「何の防護対策もしないまま、一般住民を本来厳重な管理が必要な地域に帰そうというものだ」と話す。
被告となった政府の原子力災害現地対策本部は15年4月の提訴日に事実上の反論文書を出し、年20ミリは「国際的・科学的知見を踏まえて決定された」と、その妥当性を主張した。
今年1月の2回目の口頭弁論でも国側は、年20ミリの被曝を仮定した場合の健康リスクは「生活習慣等に伴う発がんリスクと比べると、相対的に低い」などと準備書面で強調した。
3回目以降も、双方が年20ミリをめぐって、さらに論拠を示していく。
(編集委員・小森敦司)
■年1ミリが望ましい
【復興庁の有識者検討会で座長を務める大西隆・日本学術会議会長】
仮に、避難指示解除の基準である年20ミリシーベルトの環境で生活し続けた場合、線量の自然減衰を考慮しても、7年もすれば累積の被曝(ひばく)量は、がん死亡率の増加が検出しやすくなる100ミリに達する恐れがある。それでは、今まで避難生活によって被曝を避けてきた意味がなくなってしまう。
ICRP(国際放射線防護委員会)が勧告するように、年20ミリは災害時の緊急的なときに、それを超えると防護対策が取られる基準だ。一般の人が帰還してずっと住むには、平常時の追加被曝線量の基準である年1ミリを適用するのが望ましい。この年1ミリも自然放射線(年約1・5ミリ)を上回る追加的な線量なので、これから長く被曝する可能性のある若い人たちや、「もとの福島に戻してくれ」という人たちは、不安に思うこともあるだろう。
解除や帰還の基準は、住む人の立場にたって考えないといけない。住まない人たちが、「福島は20ミリでも安全だ」と決めるのはあまりに乱暴である。
国は年1ミリを「長期の達成目標」としている。だが、自然減衰するので放っておいても何十年かたてば年1ミリに達する。達成時期や行程を示さないのであれば、目標と呼ぶには、あまりにあいまいで無責任だ。いまから解除の基準を年1ミリに変えるのが難しいとしても、除染などによって年1ミリをいつまでにどう実現するか、国と東電は丁寧に説明し、行程を示す責任がある。
(聞き手 編集委員・大月規義)
【被曝線量の基準】 国際放射線防護委員会が、原発事故から復旧する際の参考値とした被曝線量「1~20ミリシーベルト」をもとに、国は20ミリ以下になることを避難指示の解除要件にする一方、除染などにより長期的に年1ミリ以下にする目標を掲げた。丸川珠代環境相は、この目標の1ミリを「科学的根拠はない」と発言し、後に撤回した。
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