http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201603/CK2016031502000203.html
政府の原子力災害現地対策本部は二月二十日、福島県南相馬市で開いた住民説明会で、帰還困難区域以外の地域に出ていた避難指示を四月中にも解除したい意向を示した。避難区域の住宅周辺の除染作業が今月いっぱいで終了する見通しとなったのが理由。しかし、住民からは「時期尚早」などと反発が相次ぎ、桜井勝延市長も「解除は難しい」と、慎重姿勢を見せた。
同市小高区から避難した南原聖寿さん(56)=君津市=の住宅は、避難指示解除準備区域にある。
五年前に避難して出たままになっている自宅アパートをこれまで二度訪れた。近所の小学校のグラウンドには汚染土が山になって残っていた。友人からはそんなふるさとの風景を苦々しく描いた絵はがきが届いた。
南相馬市小高区が昨年一~三月、住民登録がある三千四百二十六世帯(一万九百七十九人)を対象に行った同市への帰還意向調査(回収率74・2%)では、「戻る」と答えた人は20・2%にとどまった。「条件が整えば戻る」は26・4%で、「戻らない」と答えた人は28・8%。「分からない」と答えた人は21・7%で、住民の考えに開きがあることが分かった。
「戻らない」と決めた理由で最も多かったのは「放射能汚染への不安」だ。
南原さんも同じ思いだけに、避難指示の解除を急ぐ政府にはいら立ちを覚える。「四月に解除して戻ったとして、元の暮らしができる人がどれだけいるのか。無理じゃないか」
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南原さんの長男(19)は今春、定時制高校を卒業し、首都圏の空港で警備の仕事に就く。見るのも乗るのも大好きだった飛行機に携わることは、小さなころからの夢だった。空港のそばで初めての寮生活がスタートする。
長男は高校に入ってから、南相馬市から避難してきたことを友人に話してこなかった。話すことを避けてきた。「言っても仕方がないし、言いたくない。特別に思われたくないから」。首都圏での就職もごく自然の流れだった。南相馬へ戻る選択肢は頭に無かった。
でも時折、住んでいたあのまちへ帰りたくなる時がある。「住んでた家はどうなっているかなあ。地元のことは分からなくて、友人が今どこで何をしているのかほとんど知らない」とつぶやいた。
仕事を始めたら、警備の仕事に関わる資格をたくさん取りたい。四年後の東京五輪・パラリンピックに向けて英語も勉強したい。「まじめに頑張って、偉くなりたい」
新たな旅立ちに胸を膨らませる長男。その頼もしい姿を見て、南原さんも思いを強くした。「どこまでやったら復興したと言えるのだろう。南相馬にはもう戻れない」 (柚木まり)
<避難指示区域> 政府は東電福島第一原発事故により住民に指示する避難区域を、放射線量の高い方から「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」の3段階に分類。このうち南相馬市について、小高区の帰宅困難区域(昨年9月5日時点1世帯2人)を除き、同区の居住制限区域(同126世帯477人)と、隣接する原町区の一部を含めた避難指示解除準備区域(同3536世帯1万1186人)を対象に、今年4月にも避難指示を解除する方針を示した。
仮置き場に積み上げられる、東京電力福島第一原発事故で 発生した除染廃棄物 |
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