http://www.saitama-np.co.jp/news/2016/03/01/09.html
未曽有の原発事故をめぐり、東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で強制起訴された。
事故により避難を余儀なくされ、国と東電を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こしている原告は「やっと一歩前に進んだ」と安堵(あんど)する一方、「生活を立て直すことで精いっぱい」「期待できない」と長引く避難生活に疲れをにじませる。
埼玉県内では、福島県から埼玉などに避難してきた被災者20世帯68人が国と東電に対し、慰謝料など計約8億2400万円の損害賠償を求めている。
福島県いわき市から毛呂山町の県営住宅で避難生活を続けている30代女性も原告の一人。「強制起訴は良かったが、私たちの生活に何も影響しない。責任逃れをすると思うし、期待は持てない」とつぶやいた。
女性は事故後、5歳と3歳だった長男と長女を連れて古里を離れた。いわきに残った夫との二重生活で家計のやりくりに苦しむなど、精神的余裕はなくなった。夫とは生活の擦れ違いが続き、11年11月に離婚。原発事故は、当たり前だった家族4人の生活や古里を奪った。
女性は「どうして自分がここにいるのかと、今も大きな悲しみや寂しさが襲ってくる。裁判よりもまずは謝罪が欲しい。一人一人の声を聞いて、奪ったものの大きさを実感し、色んな苦しみがあることを知って」と訴えた。
福島県富岡町から避難し、千葉県野田市の借り上げ住宅で40代の妻、長男(16)と生活している50代の原告男性。「もう事故から5年。今さらどこまで責任を追及できるのか分からない。今は生活を立て直すことで精いっぱい」と心境を吐露した。
富岡町の自宅は福島第1原発から直線距離で約5・6キロ。帰還困難区域に指定され、帰宅できる見通しはない。男性は仕事を失い、賠償金に頼らざるを得ない状況だという。現在は避難者であることを周囲に隠し、近隣住民との接触を避けて生活している。
「肩身が狭く、車のナンバーも変えた。息子は学校で『放射能がうつる』と、いじめの対象になったこともある。トップの人がどれだけ自分たちの苦しみを分かってくれているのか。それを問いたい」と話した。
「やっとここまできた」 告訴団長・武藤類子さん
「やっとここまできた」。事故の責任追及を求めてきた「福島原発告訴団」の武藤類子団長(62)は、東京電力の旧経営陣が強制起訴されたことに感慨深げだ。「三人は真実を語り、なぜ事故が起きたかを明らかにしてほしい」
放射能汚染で日々の営みを奪われた。二〇〇三年、豊かな自然に囲まれた福島県田村市で喫茶店をオープン。裏山で摘んだ野草をお茶にしたり、ドングリを使った料理を振る舞ってきたりした。
だが、東電福島第一原発事故で山の幸は汚染され、ドングリもキノコも食べられなくなり、薪(まき)も燃やせなくなった。店は一三年春に廃業した。
「福島原発刑事訴訟支援団」発足の集いで、応援を呼びかける武藤類子さん =1月30日、東京都目黒区で(木口慎子撮影) |
「調べれば調べるほど、東電は津波対策を握りつぶしてきたことが分かってきた。想定外ではなかったのに、事故の責任を誰も負わないのはおかしい」
一二年に告訴団を結成し、団長に。福島県民約千三百人でスタートし、全国に共感が広がり、一万四千人超にまで膨らんだ。
「原発事故は収束していないし、被災者はまだ困難な状況にある。責任をうやむやにしてはいけない。反省しなければ、また事故が起きる」
事故後、九州電力川内(せんだい)(鹿児島県)、関西電力高浜(福井県)の原発計四基が再稼働し、運転開始から四十年超の高浜1、2号機も再稼働が近づく。「福島第一の1号機も、四十年になる直前で事故になった。老朽化も一つの原因かもしれない。福島から何も学んでいない。裁判を通じ、原発政策の問題点も明らかになれば」と期待する。
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