2016/03/06

三重/野菜が育む笑顔と絆 伊賀・NPO、被災地へ無償提供


2016年3月6日 毎日新聞
mainichi.jp/articles/20160306/ddl/k24/040/121000c


東日本大震災から11日で5年。記憶の風化が指摘される中、伊賀地域にも息長く支援を続ける人たちがいる。伊賀、名張、奈良市の有機農家で作る NPO法人「伊賀有機農産供給センター」(伊賀市治田(はった))もその一つ。野菜を無償提供する活動と被災地への思いを聞いた。【竹内之浩】

 ◆放射能に募る不安

昨年8月、センター副代表の木下智之さん(43)=伊賀市白樫=はジャガイモやカボチャなどを詰めたダンボールを抱えて奈良市内のキャンプ場を訪ねた。 待っていたのは、東京電力福島第1原発事故による放射能汚染から短期間でも逃れようと、5泊6日で保養に来た東京以北の3家族10人。交流会で母親たちは 子どもを外で遊ばせることへの不安や、その思いを周囲へ明かせない苦しみを語り、中には涙ぐむ人もいた。

放射能を気にする人、気にしな い人がパカッと割れているよう。その中で自分の気持ちを出せず、ストレスを募らせる人は多い。おいしい野菜を食べ、元気になってほしい」と木下さん。セン ターはこうした保養キャンプの運営団体の求めに応じて野菜を無償提供し、3カ所に届けた。


センターは85年に設立し、現在は14農家から なる。農産物は主に「生活クラブ生協」を通じて関西2府2県に送られ、購入登録は5500世帯。伊賀と名張では宅配もしている。「美しい大地と空を子ども たちに」を信条に農薬・化学肥料を一切使わず、ハウス栽培もしない姿勢を貫く。

 ◆福島へ4年間支援

被災地支援を始めたのは、2011年4月。福島県飯館村から伊賀市の愛農学園農業高に避難していた有機農業家、村上真平さん(57)、日苗(かなえ)さん(43)=津市=夫妻が古里の避難所に持って行く野菜を探しているのを知ったのがきっかけだった。

これを機に、村上さんが進める福島への「野菜支援」に協力し、翌年からは毎週、飯館村の特別養護老人ホームや福島市に避難する主婦グループに野菜を届け た。「事故になれば土も水も空気も全てをダメにする原発には反対。その原発で苦しむ福島を支援するのは当然だし、何より困っている人に何かしたかった」と 木下さんは言う。

支援は相手が野菜を調達できるようになった昨年7月まで続いた。日苗さんによると、次第に提供者が減る中、最後まで続け たのがセンターだったという。日苗さんは「忘れないでいてくれることが被災者のエネルギーになる。それを続けてくれた伊賀有機には、被災者の一人としても 大変感謝している」と話す。

 ◆故郷を支えたい


センターのメンバーである「たすく農園」には、福島県いわき市で被災した近藤直美さん(32)=伊賀市下神戸=がいる。発生時はデイサービスセンターで利用者の入浴介助をしていた。内陸部のため津波などの大きな被害はなかったが、自宅は傾き、半壊と診断された。

夫耕輔さん(38)と結婚して伊賀で有機農家としてスタートすることが震災前に決まっており、新天地で被災地を支援することに因縁を感じた。自身も放射能 への影響や残してきた両親を心配し、友人らの被害も聞いただけに、故郷を支えたいとの思いが強かった。センターのミーティングでは、仲間に福島の現状や同 世代の女性の不安な思いを伝えた。

先月末、実家に帰った。毎年、作物の端境期に帰省するが、その度、忘れかけていた被災地の現実を引き戻 される。自宅近くに仮設住宅が点在し、テレビでは天気予報と共に放射線量情報が流れる。「復興はまだまだ遠い。あれだけ人々を恐怖に陥れた原発が再稼働す るなんて……。福島の声に学んでほしい」と嘆く。

 ◆自らキャンプを

木下さんと近藤さんには共通の夢がある。津市の保養 キャンプで知り合い、今も野菜の購入でつながる福島、いわき両市の9家族などを対象に、センター自らがキャンプを開くことだ。宿泊施設は確保し、今夏に向 け、近く声を掛ける。「一緒に畑仕事をしたりして、安らげる時間と場所を提供したい。彼らとは大きな家族のつもり。子どもたちの成長を見るのも楽しみ」と 話す木下さんに、近藤さんがうなずいた。

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