2016/11/27

【各社社説】横浜市・神奈川/原発避難いじめ

原発避難いじめ 動かない学校、守れぬ人権
2016年11月26日 福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/109753.html


【論説】児童生徒が陰湿ないじめに遭っても、教師や学校側はその事実を認めようとせず、教育委員会は不介入を決め込む。教育現場にはびこる保守的な事なかれ主義が子どもたちを窮地に追い込んでいく。そこから浮かび上がるのは、共存能力を失った社会の不幸な現状であり、人権意識の希薄な排他性のまん延である。

東京電力福島第1原発事故の影響は子ども社会にも根深く及んでいる。福島県から横浜市に避難してきた少年が小学、中学といじめを受けていた問題は、単純ないじめを超えたところにある差別、犯罪的行為だ。

教育の基本は「個人の尊厳」であり「自他の敬愛と協力」ではなかったのか。教育現場は少年を救えなかった。駆け込んだのは「フリースクール」である。

現在、中1の男子生徒は小2で自主避難した直後からいじめを受けていた。小6の時に書いた手記に「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった」とつづった。

名前に「菌」を付けて呼ばれたり蹴られたりし、不登校にもなった。小5の時「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、同級生らの遊興費などを負担した総額は約150万円に及んだという。

少年は恐くて抵抗できず「いままでなんかいも死のうとおもった」と記し「でも、しんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた」と手記を結んだ。生きる勇気を称賛する向きもあるが、限界まで追い込んだ教育環境こそ責められるべきだ。

警察の調査結果でも学校や市教委は動かなかったという。「いじめ」と認定したのは生徒側の申し入れで調査した市教委の第三者機関だ。少年の親は、兆候を直視せず放置した学校、事実関係を公表しない市教委に不信感を隠さない。

5年前、大津市の中2男子がいじめを苦に自殺したのを機に、議員立法によるいじめ防止対策推進法が2013年に施行された。深刻な被害、長期欠席を余儀なくされた場合を「重大事態」と定義、学校に文科省や自治体への報告義務と調査組織の設置を義務付けた。今回の事態は軽微だったのか。

文科省の15年度調査によれば、小中高校などで把握されたいじめは過去最多の22万4540件。うち重大事態は313件だ。定義の曖昧さや教育機関の消極姿勢からすれば、おそらく氷山の一角なのだろう。

内閣府が12年に行った人権調査によると、大震災や原発事故に絡む問題で「差別的な言動」や「職場、学校での嫌がらせ、いじめを受けた」が4割強あった。

「いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった」「せんせいに言(お)うとするとむしされてた」と少年は書いた。憲法11条は基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と規定する。

教師は多忙。だが、子ども一人一人に寄り添う心と少しの勇気があれば、小さな人権と命は救われる。


社説[震災避難いじめ]教育の放棄を猛省せよ

2016年11月25日 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/72721

子どもが発したSOSを、親からの再三の訴えを、学校も市教育委員会も把握しながら真摯(しんし)に受け止めず、放置した。どこに問題があったか、徹底的に検証し公表すべきだ。

東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)が、避難直後からいじめを受けて不登校になった問題である。

両親は23日の会見で、市教委や学校に対応を求めても動いてもらえず「八方ふさがりだった」と振り返った。追い詰められ「息子は本当にぼろぼろになった」と明かした。

東日本大震災と原発事故に遭い、安心して暮らせる場所を求めて避難したはずだ。心ない言動で苦しめられた親子の胸の内を思うと、やりきれなさと怒りがこみ上げる。

市教委の第三者委員会がまとめた報告書や両親の話によると、男子生徒は小学2年だった2011年8月、横浜市立小学校に転校した。その直後から名前に「菌」を付けて呼ばれたり、蹴られたりされた。ノートや教科書が隠されるようにもなった。

小5の時に同級生から「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、ゲームセンターで10人前後の遊興費などを負担した。1回当たり5万~10万円を家から持ち出し、総額は約150万円に上ったという。

最近公表された小6の時の手記では「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった」とつづっている。気持ちを察すると胸が痛む。

「いじめ防止対策推進法」は、心身や財産に重大な被害が生じた疑いがある場合などを「重大事態」と定義し、学校や教委に事実関係の調査を義務付ける。今回の事例は当然、迅速に対応すべきものだ。

学校は、生徒本人から中傷や身体的な暴力があったとの訴えを受けていた。金銭の授受について、両親の相談を受けて調査した神奈川県警からの情報提供もあった。市教委も、両親から「学校を指導してほしい」と求められていた。にもかかわらず、学校も市教委も積極的に動かなかった。連携した対応もなかった。第三者委が「教育の放棄」と断じたのは当然だ。

学校は内部調査の結果として、金銭の授受は「男子生徒が自ら渡した」と説明している。第三者委も指摘しているように「小学生が万単位の金銭を『おごる・おごられる』状況を起こしていることは教育上問題」だ。なぜ、生徒の気持ちに寄り添い適切な指導ができなかったか、疑問を禁じ得ない。猛省すべきだ。

救いなのは、何回も「死のうとおもった」という生徒が「しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と自らを奮い立たせ、前を向いたことだ。両親を通し、いじめに苦しむ全国の子どもたちに「苦しいけど死を選ばないで」と呼び掛けた。

今回のいじめの背景には、震災避難者や原発事故が起きた福島県の現状が正しく伝わっていない実態がある。社会の誤解や偏見が子どもたちにも影響を及ぼしていることに目を向ける必要がある。



原発避難いじめ 子供を守れぬ学校とは
2016年11月19日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20161119/ddm/005/070/077000c

その手記は思いを振り絞るような「告発」である。

2011年の福島第1原発事故で福島県から一家で自主避難し、横浜の市立小学校に転校した男児がいじめられ、不登校になった。

今、中学1年の生徒は、昨年書いた手記を公表し、偏見と暴力を向けられ孤立した苦悩や、学校が対応してくれなかったことを訴えた。

<いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさい(震災)でいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた>

同級生たちによるいじめは、小学2年で転校した直後から始まる。名に「菌」を付けて呼ばれた。

<ばいきんあつかいされて、ほうしゃのう(放射能)だとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった>

いじめは暴力化する。

5年生の時には「賠償金があるだろう」と言いがかりをつけられ、家の生活費を何度も持ち出し、遊びに払わされた。

いじめ防止対策推進法(13年施行)は、こうした深刻な状況を「重大事態」とし、学校や教育委員会にただちに対応する調査組織の設置などを義務づけている。

しかし、14年、いじめ被害を察知した保護者が学校に相談しても、学校は重大事態とはとらえない。保護者が市教委に調査を改めて訴え、ようやく第三者委員会が今年、本格的な調査に入った。

今月出た報告書は学校や市教委のあまりに鈍い対応を「教育の放棄に等しい」と厳しく批判している。

生徒の学校に対する不信感も大きい。手記にはこうある。

<いままでいろんなはなしをしてきたけどしんよう(信用)してくれなかった。なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた>

文部科学省の集計では、昨年度認知された全国の小中高校、特別支援学校のいじめは22万4540件で過去最多だった。

地域によってばらつきが大きく、文科省はなお見落としがあるとみているが、今回は保護者の相談など情報がありながら、適切な組織的対応がとられなかった。深刻な事態だ。

横浜市教委は、いち早く各小学校に児童支援専任教諭を置くなど、いじめや暴力問題に取り組んできた。法や制度を生かすには、学校全体の情報の伝達や共有、連携のあり方の充実、工夫も問われよう。

また、今回の問題は、社会への重い警鐘でもある。

いじめを繰り返した子供たちの偏見はどこに由来するのか考えたい。子供は大人社会を映すという。

心しなければならない。



社説 震災避難いじめ/根底にあるゆがみの解消を

2016年11月11日 08時45分 福島民友
http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20161111-126287.php


氷山の一角ではないのか。いじめ問題としてだけでなく、本県に対する意識の問題として捉え、対策を講じなければならない。

東京電力福島第1原発事故で、県内から横浜市へ自主避難した中学1年の男子生徒が、転校先の市立小学校で同級生からいじめを受けたとして不登校になっていることが分かった。同市教委の第三者委員会が、いじめがあったと認定する報告書をまとめた。

報告書によると、生徒は小2だった2011年8月に転校。直後から名前に「菌」をつけて呼ばれたり、蹴られたりするなどのいじめを受け、小3になり一時、不登校になった。小5のときには、同級生から「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、遊興費などを支払ったと証言した。不登校はいまも続く。

保護者や生徒の訴えを正面から受け止め、組織的な対応ができていれば、不登校になるような事態は避けられたかもしれない。第三者委が市教委や学校の対応を「教育の放棄」と批判したのは当然だ。避難者は全国各地に散らばっている。二度とこのような事態が繰り返されることがないよう、全国の教育関係者は他山の石にしてもらいたい。

今回の事案は、風評など本県に対する意識の問題が根底にあることを認識する必要がある。原発事故以降の放射線に対する漠然とした不安が、本県に対する不安として残り解消されないままになっているということだ。

消費者庁が8月に行った消費者意識調査では、食品の放射性物質検査が行われていることを「知らない」と答えた人が3割強あり、食品の放射線によるリスクの受け止めに関して「十分な情報がなくリスクの判断ができない」とした人も3割いた。

本県の農林水産物の安全確保に向けた取り組みや、空間放射線量がほとんどの地域で他県と大差ないことなど、本県に関する正しい情報が隅々まで伝わっていないことの表れだろう。

その結果、本県の農林水産物の市場価格は全国平均の価格に比べて落ち込み、震災前の水準に戻っていない。首都圏などから県内への教育旅行も震災前のまだ半分という状況だ。

震災と原発事故の発生から5年8カ月。改めて確認しておきたいのは原子力政策は国策で進められてきたということだ。震災と原発事故に対する関心が薄れる一方で、ゆがんだ風評だけが定着していくような事態の解消に、国は責任を持ち早急に取り組むべきだ。




<社説>被災者いじめ 「生きる」決断に応えよ

2016年11月19日 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-396867.html

まさに「教育の放棄」にほかならない。

東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市へ自主避難した中学1年の男子生徒が避難直後から小学校でいじめを受け不登校になった。さらに神奈川県警から同級生との金銭トラブルについて直接情報提供があった学校や、情報を把握していた市教育委員会が積極的に対応せず放置していた。

大津市の中2男子のいじめ自殺をきっかけに、防止対策を徹底するため2013年9月にいじめ防止対策推進法が施行された。心身に重大な被害を受けたり、長期欠席を余儀なくされたりした場合を「重大事態」と定義し、学校には文部科学省や自治体への報告を義務付けている。

今回のケースは「重大事態」に当てはまる。学校と市教委はいじめ防止対策推進法違反ではないか。いじめを放置したため第三者委員会の調査開始が遅れた。その結果、加害者の聞き取りができず、被害生徒の救済が遅れた。原因を徹底的に究明し、生徒の心のケアと再発防止を求める。

生徒は小学2年だった2011年8月、横浜市立小に転校。直後から名前に「菌」をつけて呼ばれたり、蹴られたりするなどのいじめを受けた。生徒は「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった」と手記につづっている。

小5の時に同級生から「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、ゲームセンターなどで遊ぶ金約150万円を負担させられた。国の原子力政策の犠牲になった被災者に対する心ない陰湿ないじめだ。

父親が学校に相談すると「警察に相談してください」と言うだけで積極的に対応しなかった。学校は警察から情報提供があっても動かない。市教委も調査開始が遅れた。父親は学校に不信感を抱き、第三者委員会に調査を求めた。ここまでしなければ学校も市教委も動かなかったとは信じがたい。「いじめ隠し」と指摘されても仕方ない。

生徒は手記の後半で「いままでなんかいも死のうとおもった」と振り返り「でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と結んでいる。精神的に追い込まれながら生きると決断した生徒に、学校と市教委は真摯(しんし)に対応しなければならない。



原発避難いじめ 差別をはびこらせるな

2016年11月19日 信濃毎日新聞
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20161119/KT161118ETI090008000.php

いわれのない差別やいじめに苦しむ子どもと保護者の訴えを、学校も教育委員会も正面から受けとめようとはしなかった。その姿勢は厳しく批判されなければならない。

原発事故が起きた福島県から横浜市へ両親と自主避難した男の子が転校先の小学校でいじめを受けた問題である。中学1年になった今も不登校が続いている。

いじめは小2の転校直後に始まり、同級生から名前に「菌」を付けて呼ばれた。小5に進級した一昨年には、ゲームセンターなどで遊ぶ費用や食事代を払わされた。「賠償金があるだろ」と言われ、総額およそ150万円を家から持ち出している。

学校は両親から相談を受け、同級生らに事情を聴いた県警からも連絡があった。なのに対応していない。内部調査で男の子が自分から渡したと判断し、いじめとは認識しなかった。市教委も「介入できない」との姿勢だった。

「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」「いろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった。だからがっこうはだいっきらい」―。

男の子は小6だった昨年、手記につづっている。子どもからこんな悲痛な叫びをぶつけられる学校とは、いったい誰のための場所なのかと思わされる。

いじめを受けて自ら命を絶つ子が各地で絶えない。手記は、自分は死を選ばなかったことを伝えたいという男の子の強い意思で公表された。

「なんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。けい線をはみ出す力強い字に必死な思いがにじむ。

両親がいじめ防止対策推進法に基づく調査を求め、市教委が第三者委員会に諮ったのは今年1月。男の子が不登校になって1年半余も過ぎてからだ。第三者委は報告書で、学校の対応を「教育の放棄に等しい」と非難している。

それとともに見過ごせないのは、福島からの避難者を差別、排除する意識が社会に深く巣くっていることだ。それが子どもたちに投影されていないか。「放射能がうつる」などといじめられる事例は震災後、各地で相次いだ。

お仕着せの対策ではなく、差別と排除をはびこらせないために大人がどう行動するかが問われている。子どもが生き生きと学び育つ権利をどうすれば守れるか。保護者や住民も関わり、教育の場で主体的な取り組みを起こしたい。



原発避難いじめ 学校の鈍感さは目に余る

2016年11月19日 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/290252

子どもを守ろうという意識が、教育現場にあったのか。強い衝撃とともに憤りを禁じ得ない。

福島原発事故で福島県から横浜市に自主避難した男子が小学校でいじめに苦しみ、不登校になった。第三者委員会が事実を認定し、学校と市教育委員会の対応の鈍さを強く批判した。教育界全体で重く受け止めるべき問題である。

男子(現在中1)は小学2年だった2011年8月、横浜市立小学校に転入した。直後から暴行や暴言などのいじめが始まった。

3年の時に一時、不登校となった。5年になると、ゲームセンターなどで同級生から遊興費などの負担を強いられ、再び不登校となった。男子が支払った総額は約150万円に上るという。

「ていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった」。公開された男子の手記にこうつづられている。追い詰められた心中はいかばかりだったか。

施行から3年が過ぎたいじめ防止対策推進法は、心身や財産への重大な被害や長期欠席を「重大事態」とし、学校に調査と対応を義務付けている。まさに、男子が5年のときに陥った事態である。

学校と市教委は、警察情報などで金銭トラブルを把握していたとみられる。にもかかわらず、重大事態とは捉えなかった。第三者委が発足したのは1年以上も後である。学校の鈍感さは目に余る。

子どもや保護者のSOSを学校がいじめと認知せず、対応が遅れる。防止法施行後も全国各地で繰り返されてきたことだ。

「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった」。加害児童は男子の名に「菌」を付けて呼んだという。原発事故から逃れてきた避難者に対する社会の誤解や偏見が子どもたちにも影響したのだろう。

いじめ根絶に不可欠なのは、他者の痛みに対する感受性だ。子どもだけではなく、教員も含め大人にも当然、求められる。それはまた、法律や制度以前の問題であるともいえるのではないか。



原発避難いじめ なぜ「重大事態」を放置したか

2016年11月18日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20161117-OYT1T50130.html

子供を守ろうとする意識が感じられない。

福島第一原発事故後、避難先の横浜市でいじめを受けた男子中学生への学校と教育委員会の対応は、あまりにひどい。

「いつもけられたり、なぐられたり」「いままでいろんなはなしをしてきたけど(学校は)しんようしてくれなかった」

公表された生徒の手記からは、同級生らにいじめられるつらい心情と、親身になってくれない教員への失望が伝わってくる。

生徒は小学2年だった2011年8月、福島県から家族と自主避難した。転校直後から名前に「菌」を付けて呼ばれたという。

「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人は、いじめられるとおもった」と記されている。被災者の苦労に追い打ちをかける陰湿かつ悪質ないじめである。

4年生で暴力を受けるようになり、5年生の春ごろには「プロレスごっこ」と称して集団で暴行された。避難という特異な経験をした児童には、きめ細かな配慮が求められる。いじめを止められなかった教員の責任は重い。

生徒が同級生らに「賠償金をもらっているだろう」と迫られ、ゲームセンター代などを何度も負担したことも看過できない。弁護士によると、生徒が自宅から持ち出した額は150万円にも上る。

同級生らの言動に、被災者に対する周りの大人の偏見が影響した可能性はないのか。

いじめ被害では、学校側が実態に気付かないケースが多い。今回、問題なのは、学校が金銭の授受などを把握していながら、対応を怠ったことである。

生徒は中学1年の現在まで、2年半近く不登校を続けている。

13年9月に施行されたいじめ防止対策推進法は、被害者が不登校になったり、金品を取られたりしたいじめを「重大事態」と定義し、第三者委員会による調査を教委や学校に義務付けている。

横浜市教委は、保護者の要請を受け、今年1月にようやく第三者委に調査を依頼した。それまでは「重大な件との認識はなかった」という。第三者委の報告書が「猛省」を促したのは当然だ。

自殺を考えた生徒は、東日本大震災の犠牲者に思いをはせ、「ぼくはいきるときめた」と記している。その決意に応えるためにも、市は再発防止を徹底すべきだ。

文部科学省は、教育現場が重大事態に適切に対処するよう、指導を強化する必要がある。



【主張】原発避難いじめ 差別と偏見の根を絶とう

2016年11月19日 産経新聞
http://www.sankei.com/column/news/161119/clm1611190002-n1.html


いじめに苦しんだ男子生徒自身が、この手記の公表を申し出たのだという。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからぼくはいきるときめた」

何度読んでも胸が詰まる。生徒は小学2年のときに福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した。転校直後から繰り返された理不尽ないじめに押しつぶされそうになりながら、震災犠牲者の命を思い、生きる決意をつづっている。生徒の痛切な思いを受け止め、真正面からいじめに向き合い根絶に取り組む覚悟を、新たにしなければならない。

生徒と保護者の悲痛な訴えは教師に黙殺され、市教委も重大事態と捉えなかった。大津市のいじめ自殺事件をきっかけに3年前に施行された「いじめ防止対策推進法」の理念とは正反対の対応である。「教育の放棄に等しい」と、第三者委員会が厳しく批判したのは当然だ。

だが、覚悟を問われているのは、教師や教育委員会だけではない。いじめは学校の内側だけで起こるのではなく、社会とつながっているからだ。

「福島の人はいじめられるとおもった」と手記にある。避難者が不当な対応を受けるのは子供に限ったことではない。

原発事故から5年8カ月が過ぎた今も「福島=放射能汚染=危険」という漠然としたイメージは払拭されず、むしろ定着して復興を妨げる要因になっている。

生徒を傷つけた「ばいきんあつかい」は風評がかたちを変えたものだ。「ばいしょう金あるだろ」という脅し文句も、元をたどれば大人社会の陰口に行き着く。

風評と陰口の根っこには、差別意識や偏見があり、排他的な主義や思想につながっている。

児童生徒をいじめから守るために、学校を中心とした組織的な取り組みを徹底する必要がある。しかし、それだけではいじめはなくならない。

児童生徒をいじめの加害者にしないために、差別と偏見の根を絶たなければならない。主体となるのは一人一人の国民である。

誰もが、差別と偏見の小さな芽を宿している。根絶は容易ではないが、目を背けてしまえば、いじめを黙殺した教師や教育委員会と同じだ。強い覚悟を持って差別と偏見に向き合いたい。




社説 震災避難でいじめ 氷山の一角ではないか






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