http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201611/CK2016112002000115.html
東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学一年の男子生徒(13)が、市立小学校時代にいじめに遭った問題で、生徒が持ち物を隠されるなどの被害を相談した際、学校が「忙しい」「自分の管理が悪いのでは」などとおざなりの対応をしていたことが、生徒側の弁護士への取材で分かった。生徒は「先生に疑われている」と感じて不信感を抱き、長期の不登校につながったと、弁護士は指摘している。 (志村彰太)
弁護士によると、生徒は二〇一一年八月、小学二年で横浜市立小に転入した。直後から、同級生に名前を呼ばれる際に「菌」を付けられたり、たたかれたりした。三年には四カ月ほど不登校になったが、当時は、担任がその都度注意するなど対応したという。
しかし、四年で担任が代わると、暴力で大きなあざが残ることがあったほか、教科書や鍵盤ハーモニカを隠された。生徒は複数回、担任に相談したが「ないなら、買うしかない」「忙しいから後で」としか言われず、「先生に逃げられている」と感じ、担任への相談をやめたという。
さらに五年になると、同級生十人前後から「震災のお金(賠償金)があるでしょ」と、ゲームセンターなどでの遊興費を求められるようになった。
この際、一緒に行った子どもの保護者が金銭のやりとりに気付き、PTA会長を通じて「保護者会を開いて話し合うべきだ」と、学校に要請。両親も学校にそれまでのいじめや、同級生らへの遊興費が百五十万円に上ると訴えた。
しかし、学校は保護者会は開かず、同級生が聞き取りに「おごってもらった」と話したため、両者の言い分が食い違うと判断。両親に対しては生徒同席の場で「お金の話は警察へ」「物は隠されたのではなく、本人の管理の問題と聞いている」と話したという。
生徒は「なぜ放置というか、自分が疑われる話になるのか」とさらに不信感を強め、五年の五月末から卒業まで登校しなかった。また、両親は市教育委員会に学校を指導するよう求めたが、市教委は「学校自治」を理由に「指導はできるが、介入はできない」と動かなかったという。
こうした生徒側の訴えについて、当時対応した教諭の一人は、本紙の取材に「複雑な事情があり、いじめとは考えなかった。言いたいことはあるが、取材には市教委が回答することになっており、詳しく話せない」としている。
横浜市教育委員会は、当時の小学校の対応が適切だったのかを教員らに聞き取りし、年内にも検証結果をまとめる。岡田優子教育長は十五日の記者会見で「対応が遅れた理由を内部で検証し、再発防止策をつくる」と話した。
市教委によると、学校は生徒が三~五年時にはいじめを認識できなかったとしている。ただ、校内では毎年、児童にいじめの有無を問う無記名アンケートをし、いじめられている児童は二〇一二年に「三年で二人」、一四年に「五年で一人」との結果を市教委に報告していた。
いずれも被害生徒の学年と一致することから、市教委は「アンケート結果が今回の件を指しているなら、学校はいじめを認識できる環境にあったことになる」と指摘。アンケート結果を精査する。要望があった保護者会を開催しなかったことについても、「なぜ学校が冷たい対応をしたのか、経緯を調べたい」とする。
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