2015/04/06

鹿児島/保養プロジェクト:被ばく気にせず外で遊びたい 福島の母子3組、県内滞在 主婦らの「ママトコかごしま」が企画

2015年04月06日 毎日新聞 
http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/m20150406ddlk46040179000c.html

東京電力福島第1原発事故から4年。3月の春休みを利用し、福島県郡山市から3組の親子が、子どもの被ばく線量を低減させる「保養プロジェクト」のため鹿児島県内に滞在した。母親たちは放射線の影響を気にせずに子どもを外で遊ばせることができる「当たり前」の環境に笑顔を見せた。

3月26日午後、暖かな太陽の光が鹿児島市吉野町の県立吉野公園の芝生に降り注いだ。参加した岡部理恵子さん(27)がブランコで遊ぶ長男太惟里(たいり)ちゃん(4)を携帯電話で撮影していた。郡山市では公園には行かない。近くの公園は毎時0・7マイクロシーベルト。地表で毎時3マイクロシーベルトの場所もあるという。何度も何度もブランコに揺られて喜ぶ太惟里ちゃんを見て、岡部さんは不安を口にした。「サッカーをやりたいみたいだけど、外で活動させたくないなあ……」

岡部さんは夫の勤務先の先輩から避難を勧められ、原発事故から半年後、夫を残して太惟里ちゃんと長女陽茉里(ひまり)ちゃん(6)と共に新潟県に自主避難した。当時は放射線に関する知識はなかったが、避難先で勉強し、決断した。「子どもが20歳になるまでは避難を続けよう」

避難生活を続けるため、保育士として働いた。しかし、過呼吸やじんましんを発症するようになった。精神的にも肉体的にも福島と新潟の二重生活が重くのしかかっていた。2013年夏、夫から「帰ってこなければ離婚」と言われた。避難は子どものためだった。一方、「子どもからパパを奪ってもいいのか」「(離婚すれば)子どもにも経済的負担をかける」との考えもよぎった。半年間思い悩み、14年4月、郡山に戻った。

郡山市内の公園では原発事故前と同じように子どもたちが遊んでいる。放射性物質には色も臭いもない。事故前と同じような生活をしようと思えばできる。だからこそ、「あなたは新潟に避難ができていいわね」と言われることもある。そのたびに思う。「こんな事態を引き起こしたのは、一体誰なのか」

今回で3回目の「保養プロジェクト」は主婦らで構成する「ママトコかごしま」が企画。岡部さんの他、共に2児の母である郡司江里さん(37)と金田奏恵さん(28)の3組9人が参加した。郡司さんは言う。「息を抜こうとしても放射能が頭から離れたことはない。洗濯物を外に干せることがすごくうれしい。普通のことができなくなる」

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