2015/04/14

福島/避難先の妻子のため育休取る教諭 一時の同居、今を大切に 親の不安、子どもも感じ

心に寄り添う:親たちの決断/7 
毎日新聞 2015年04月14日 地方版
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/m20150414ddlk07040183000c.html

原発事故後、2年3カ月近く自主避難している妻子と別れて暮らしてきた郡山市の中学校教諭、瀬川芳伸さん(53)。昨年10月に四男が心臓に病気を患って生まれたのを機に育児休暇をとり、避難先のさいたま市で家族一緒に暮らしている。「今は子どもたちのそばにいて安心させたい」と思う。

事故当時、瀬川さんの妻(40)は妊娠6カ月。日に日に避難区域が広がり、放射能汚染のない所に妻を避難させたい衝動にかられたが、妻はトリマーで、小学2年の長男(7)、幼稚園児の次男(5)もいたため県内にとどまらざるを得なかった。放射能の影響を少しでも避けたいと、週末は県外に「保養」に出かけたが、その間、妻の「ママ友」は次々に県外に避難していった。

2012年7月、妻は三男が生まれたのを機に長男、次男とさいたま市に避難し、瀬川さんは月に1、2回、車で妻子の様子を見に行った。だが、次第に子どもたちに「異変」が出てきた。長男はうまくいかないことがあると泣いたり暴れたりし、次男は瀬川さんが「バイバイ」と言うと涙をボロボロ流し、玄関先でしばらく泣いた。

避難して約2カ月後、通う頻度を増やした。毎週金曜は早めに仕事を切り上げて埼玉に向かい、日曜の夕方に戻る生活。往復約450キロ。経済的にも自身の心身にも負担が増し、高速道路で事故を起こしそうになったこともあったという。

昨年10月に4人目を出産し、持病を抱える妻の負担を少しでも減らすため育児休暇を取り、妻子と暮らすことにした。すると、さまざまなことに気づく。寝ていると、次男が部屋に入ってきて瀬川さんの顔をペタペタと触り、自分の部屋に戻るのを繰り返した。一緒に暮らし始めて落ち着きを取り戻した長男について、小学校の担任から「お父さん、もっとこっちにいてあげてください」と言われた。「子どもの前では平静を保っていたはずなのに、親の不安な思いを長男は感じていたのかもしれない」と反省した。

当初は先月末までの予定だった育児休暇を延長したが、待遇に恵まれている福島の職場に11月から復帰する。甲状腺など子どもの健康は今も心配だし、子どもたちが避難先の埼玉になじんでいることもあり、妻子と別居の生活が再び始まる。「自分にできることは、子どもたちの気持ちが安定するよう、一緒にいる間は少しでも話を聞いてあげるしかない」と考えている。



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