2015/12/08

看護師復職、涙の決意 背中押した部長の言葉「あなたと働けることが幸せ」/福島

2015年12月8日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20151208/ddm/012/040/030000c

東京電力福島第1原発事故で福島県の太平洋側沿岸部の地域は慢性的な看護師不足に陥っている。避難によって人材が流出したことに加え、20〜40代の子育て世代に戻らない人が多いからだ。そんな中、同県南相馬市の看護師、稲垣恵さん(38)は昨年、避難先から子供と一緒に古里の仮設住宅に戻り、同じ病院に復職した。放射能への不安に揺れ続けたが、高校時代に憧れて飛び込んだ職場への思いは断ちがたかった。

同市原町区の大町病院1階フロア。稲垣さんが慌ただしく動き回る。多い日は午前中だけで20人以上の外来患者に対応する。「効率よくしないといけないけど、患者さんの目線に合わせることを大切にしたい。事故前とはそこが少し変わったかな」。表情に充実感が漂う。

2011年3月11日。大町病院には負傷者らが押し寄せた。稲垣さんは病棟で入院患者のケアを担当した。翌日、原発事故のニュースを病室で見た。自宅は原発から20キロ圏。すぐに夫(38)に電話をした。「子供を連れて逃げて」「ばか、家族みんなで行くんだ」。当時小学6年生の長男(17)と3年生の長女(14)、同居する夫の両親の計6人で福島市へ、更に新潟県へと避難した。

途中、大町病院に電話をかけ、「戻れません」と伝えた。電話に出た看護部長の藤原珠世さん(57)は「とりあえず休職扱いにしとくから」と言った。声には余裕がないようだった。

稲垣さんが高校生の頃、祖母が大町病院に入院したことがある。優しく祖母の世話をする看護師の姿を見て「ここで看護師になる」と決意した。祖母が「たまちゃん」と呼んで特に信頼を寄せていたのが藤原さんだ。高校卒業後、夢をかなえて大町病院に就職。藤原さんが主任を務めるチームに入った。「怒ると怖いけど、母親のような存在」と慕う。

同年3月末から夫の仕事の関係で埼玉県に避難した。約1年後、藤原さんが訪ねてきた。「看護師が足りない。戻ってきて」。目は真剣だった。藤原さんは看護師を呼び戻すため各地を行脚していた。「部長のもとで働きたいです」。出かけた言葉をのみ込んだ。子供たちは学校に打ち解けている。南相馬の自宅は住める状態ではない。出た言葉は「今は戻れません」だった。

13年春、中学3年になった長男の進路面談があった。担任が資料を見せながら学力に応じた学校の説明を始めた。「あの、福島に戻るかもしれないんで」。思わず遮った。

長男が埼玉の高校に進めば定住することになるかもしれない。「どうしたい?」と長男に聞いても「ふーん」と生返事ばかりだったが、夏休み前「いいよ、戻ろう」と突然言った。理由を聞いても答えないが「私の気持ちを酌んでくれたのかな」と思う。

夏、茨城県に単身赴任中の夫を残し、子供2人を連れて南相馬市の仮設住宅に移った。自宅前の田んぼには除染土を入れた黒い袋が積まれ、住む見通しはつかない。病院にも電話できずにいた。働き続けた職員に顔向けできないとの思いがあった。年が明け、藤原さんから近況を尋ねる電話があったのをきっかけに病院を訪ねた。

「夫が単身赴任で子育てもあります。夜勤ができません」。復職できる状況ではないと伝えたつもりだった。だが、藤原さんは「あなたと働けることが幸せなんだから。日勤でいいから戻って」と手を握ってくれた。「私、戻ってもいいんですか」。声が震えた。「泣くことじゃないよ。これ、みんなに言ってるセリフだから」。藤原さんは冗談めかした。こらえていた涙がこぼれた。

今年の正月。仮設住宅に家族が集まった。夫の両親が「南相馬に新しく家建ててみんなで住もう」と提案した。サプライズだった。今、新しい自宅の建築工事が進む。

戻ったことが正しかったかは分からない。「でも、好きな仕事を続けられて、最近は少し心に余裕ができたかな」【三上剛輝】



復職した大町病院で外来患者の対応に当たる稲垣恵さん。
「避難生活中も時々、荷物から白衣を取り出して見ていました」と話す
=福島県南相馬市原町区で、三上剛輝撮影
30歳代では44%減
福島県医療人材対策室によると、南相馬市を含む相馬地区の今年9月時点の看護職員数(助産師など含む)は631人で震災前(2011年3月)に比べ20.2%減少した。原発が立地する双葉地区(双葉町など)と相馬地区での10年末と14年末の看護師数の増減を年齢別にみると、20代29.2%減▽30代44.1%減▽40代21.9%減だった。

県は、沿岸部を中心に県外から看護師を呼び込もうと、住居費や交通費、首都圏との給与差を一部補助する制度を設けた。ただ、14年度の予算1億7000万円に対し、実績は9000万円だった。

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