2015/12/07

<にじいろノート>福島で心に残ったこと

2015年12月7日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151207_15053.html

9月下旬に1泊2日で、福島の被災地を巡るスタディーツアー「“きもち”をつなぐバス~福島行」を実施しました。仙台・宮城で復興やまちづくりに取り組む女性たち8人が参加。福島の「女子の暮らしの研究所」に現地コーディネートとガイドをしてもらいました。心に残ったことを2回に分けてお伝えします。

南相馬市小高区では、「おだかのひるごはん」の店長・渡辺静子さんのお話を聞きました。小高区は避難指示解除準備区域となっています。宿泊はできませんが、日中は自宅の清掃・修繕をする住民や除染作業に従事する方たちが来ています。近くに店がないため、冷たいお弁当を食べるしかないことに、渡辺さんは心を痛めていたそうです。

昨年、同じ思いを持った仲間と食堂を開店。「ご飯もお茶わんで、熱いおみそ汁や揚げ物を『アチチッ』と食べてもらうのがうれしいの」と語ります。

同じく小高区のコミュニティスペース「あすなろ交流広場」。運営するNPO法人「浮船の里」理事長の久米静香さんが「小高に来る人が話せる場所を」という思いでつくりました。

ここでは、かつて小高で盛んだった養蚕と織物を足掛かりに「小高天織」事業も行っています。蚕を育てて絹糸を繰り、小高の植物で染めて織るまでの全工程が手作業です。注文してから出来上がるまで3年ほど。楽しみに待つ時間の分だけ、小高に心を寄せることにもなると感じました。

「元通りの暮らしはできないかもしれないけれど、私は小高で生きていくと決めたの。地域に残る・離れる、どちらの選択をしたお母さんたちのことも、みんなで支援してほしい。お母さんが元気になれば、子どもたちも元気になるはずだから」。そう語る久米さんの言葉には、重みがありました。

震災当時、南相馬市原町区在住で、現在は仙台市で暮らす阿部恵さんにもお話ししてもらいました。

原発事故後、縁あって山梨県に避難することになったものの、悩んだ末、娘さんの高校受験を機に仙台へ。震災以降、数々の選択を迫られてきました。「一人の人間として自立しなければと強く思った。一人一人の選択を『それでいいんだよ』と認められる福島県人でいたい」と結びました。

厳しい選択を重ねながら福島のことを思う女性たちの姿に心を打たれました。

(公益財団法人せんだい男女共同参画財団・菅瑛子)


絵・伊藤美智子

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