http://www.asahi.com/articles/ASJ2M0PG3J2LUTIL063.html
東京電力福島第一原発事故で避難を強いられた人々が避難先で、新居を構える動きが加速している。事故から5年がたとうとし、安心して暮らしたい人が増えている。だが、ふるさとへの思いや、自治体からの助成を受けられなくなる都合などで、住民票を残したままの人も多い。復興計画に影響する可能性もある。
今年の正月、元農家宮本明さん(65)は福島県いわき市内に新しく購入した自宅で5年ぶりに息子夫婦や孫とおせち料理を囲んだ。
福島第一原発がある大熊町の海のそばにあった自宅は津波で木造2階建ての1階部分が浸水。さらに原発事故による放射能汚染で一帯は「帰還困難区域」に指定され、帰還のめどはたっていない。宮本さんはいわき市、息子の家族は茨城県内と、ばらばらに避難生活を送ってきた。
「せめてお盆や正月くらい、みんなが集まれる家がほしい」。2015年春、新聞の折り込み広告に載った市内の建売住宅を見に行き、即決した。土地付き木造2階建ての4LDKで2800万円。東京電力から支払われた賠償金と貯金を合わせれば、手が届く値段だった。
昨年6月に入居すると、近所には同じ境遇の人がたくさんいた。「放射能があるふるさとに戻れるとは思えない。孫を被曝(ひばく)させられない。今安心して生きられる家を求めるのは、自然なことだと思う」。宮本さんは少し寂しそうに笑った。
大熊町の元農家松本光清さん(67)は事故後、以前から栃木県鹿沼市に住んでいた息子の6畳2間のアパートに身を寄せ、後に近くの借家に移った。
90代の母の「仮の家で死にたくない」という言葉を機に、市内に築30年の2階建て中古住宅を借金して買った。その後、東電からの農業ができないことへの賠償金で返済した。
孫は中学2年と小学2年だ。2人とも、大熊町での暮らしや友達との思い出はほとんどない。「鹿沼での暮らしに慣れたし、孫の友達もみんなこっちの子どもたち。元の町には戻れない」
原発事故で避難している人は避難先に家を購入しても、住民票をふるさとに置いたままにすることが多い。
福島県郡山市に自宅を建てた60代男性は事故前に住んでいた大熊町から住民票を移していない。「先祖代々受け継いだふるさとを完全に捨てたくはない。住民票だけでも元の町に置いておきたい」と話す。茨城県日立市で家を買った30代男性も「町の情報誌が届かなくなる。完全に関係が切れてしまうのは寂しい」。
総務省は「避難継続中であれば住民票を移さなくてもいい」との見解だ。住民票を移すと、被災自治体による税の減免措置や、医療費の助成などが受け取れなくなる。このため住民票を移さない人もいる。
避難者を住民として受け入れようとする避難先自治体も支援策を打ち出すが、住民票を移すことを条件にしているため、思うようにいっていない。
青森県八戸市は13年、市内に住宅を購入した原発事故の避難者に費用を補助する「定着促進事業」を始めた。問い合わせはあるが、申請に至ったケースはない。「被災者には『いろいろな補助があるので住民票は移せない』と言われる」(市担当者)。宅地を無償提供する栃木県市貝町でも応募はないという。
避難者の移住が増え、ふるさとに帰還するまで居住するための災害公営住宅の建設計画にも、影響が出てくる可能性がある。
福島県は17年度末までに計4890戸の完成をめざす。ただ、昨年4、5月に募集した1349戸は383戸があまり、再々募集まで実施。その次の募集でも169戸分があまり、再募集した。住民意向調査でも、入居希望者は減る一方だ。県幹部は「事故当初は帰還を目指していたが、避難が長引き住民の意向が変わってきている」という。(伊藤嘉孝、中村信義)
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