2016/02/21

1ミリシーベルト 呪縛解き現実的な数値を

(「1ミリシーベルト」の根拠から学び直していただきたいと思います。それを「妖怪」などと揶揄するようでは、科学的議論などできはしないと考えます。また、1〜20ミリシーベルトとされるのは、あくまでも「緊急時」であって、できる限り1ミリシーベルトに近づけるものという数値です。日本はいまだ、原子力緊急事態宣言を撤回していませんが、オリンピックを開催しようとするほどの社会的状況にあるわけですから、1ミリシーベルトを目標とするのは当然のことです。もう5年も過ぎているのですから。子ども全国ネット)

2016年2月21日 産経新聞
http://www.sankei.com/column/news/160221/clm1602210003-n1.html

日本国内を「1ミリシーベルト」という妖怪が徘徊(はいかい)している趣である。

福島原発事故から5年を迎えようとする中で、「年間1ミリシーベルト以下」という除染の長期目標値が、本来あるべき復興の妨げや風評被害の源になっている。

民主党政権下で決まった追加被曝(ひばく)線量に対する数値だ。厳しければ厳しいほど安全という発想で決められたのだろうが、達成困難な数値が逆に人々を苦しめる結果を招いている。

放射線被曝の影響が、がんを増やすという形で出現するのは100ミリシーベルト以上の場合だ。

国際放射線防護委員会(ICRP)が提唱する、事故からの復興途上における線量抑制の目安は年間1~20ミリシーベルトとされている。

仮に、除染の目標値が、帰還の目安でもある20ミリシーベルトに設定されていたなら、除染廃棄物の量も大幅に減っていたはずである。

20ミリシーベルトの被曝がもたらすリスクというのも極めて低い。野菜嫌い、塩分の過剰摂取による発がんリスクは、それぞれ100ミリシーベルト、500ミリシーベルトの被曝に相当する。そう考えれば20ミリシーベルトの影響は生活習慣に埋もれてしまう水準だ。

先日の丸川珠代環境相の1ミリシーベルト無根拠発言は、こうしたことを言いたかったのだろうが、軽率に過ぎた。しかも批判されるとあっさり撤回してしまった。

科学の領域において、低線量では不確実性が増す。そういう問題ではなく、人生観や価値観が意味を持つ哲学の領域で論ずべきことを丁寧に語ってほしかった。

国民の間で目標値に関する冷静な議論が始まる糸口となる可能性があっただけに、残念だ。

「1ミリシーベルト」の呪縛力は、放射線を正しく恐れる判断力を人々から奪い、除染に要する費用を天井知らずに押し上げている。福島県をはじめとする被災地の復興には、前向きの発想が必要だ。

早急には実現できない1ミリシーベルトの除染目標に、これからも不安といらだちの念を抱き続けて過ごすのか。それとも現実的で、より意味のある目標値に切り替えて、夢と希望を引き寄せるのか。

結論は自明のはずだが、後者の選択が容易でないのは1ミリシーベルトが絶対の安心基準へと変質しているためだろう。原因は政治の決定に根ざしている。硬化した呪縛を解いて復興を促進するのは、党派を超えて政治の責務である。

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