2016/02/20

首つったおやじ、無駄死にさせたくねえ 福島の農家

2016年2月20日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ2N0Q9QJ2KUPQJ00K.html

土と生きる豊かな暮らしは、あの日、一変した。福島県須賀川市で農業を営む樽川和也さんは、東京電力福島第一原発の事故後まもなく父親を自死により失った。田畑も放射能で汚染された。東京で20日公開のドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」で苦悩を訴えている。もう取り戻せない、償うことなどできない現実を聞いた。

樽川和也さん=萩一晶撮影
――事故から5年。いまの状況を教えてください。

「放射能は、こっちの中通りにも降りました。田んぼも畑もビニールハウスも、みんなやられて、うぢらは職場を汚染されたんです。だけど、東電は資産への賠償をしたわけでもねえ、放射能を取り除いたわけでもねえ。ただ、5年の月日が流れただけ。たーだ被害かぶって苦しんで、うぢらはいったい、なあんなのって」

「精神的な慰謝料として事故の年に8万円、翌年に4万円はもらいましたよ。ただ、それだけ。12万円で、あとはもう黙ってろ、自然に放射能さがんの待ってろっつうことでしょう。とても、そんなんで済む損害じゃねえべ」

――生前、お父さんは野菜の有機栽培に熱心だったそうですね。

「環境のこと、よく考える人でした。寒キャベツをつくり始めたのも、冬なら1回も消毒やんねくたって虫がつかねえからです。雪の下で成長して、味もかなり甘くなる。地元の学校は全部うぢのキャベツを給食に使ってました。本当に安全でおいしいものを子どもらに食わせられる、って喜んでた。学校に呼ばれて、食の教育でしゃべったこともあんだ。そういうのが誇りだったの」

「国から野菜の出荷停止の連絡が届いた翌朝、首をつりました。収穫前のキャベツ7500個がダメになった。畑も汚された。これから先、どうやって生きてくっぺ、と思い詰めたんでしょう」

――この件は原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)の仲介で和解し、東電も事故との因果関係を認めたんですね。

「おやじの無念を晴らしてえ、無駄死にさせたくねえと思って訴えました。ようやく和解して、賠償も出た。やっと東電も線香上げに来てくれる、謝罪してくれると思ってたんだ。だけど違った。届いたのはファクスでした」

――除染は進んでいますか。

「田んぼは、やりました。大型のトラクターで40センチぐらい耕し、ゼオライトをまいて、また耕す。その粒に土の放射能が吸着する、それが除染だ、つうから」

「だけど、おがしいっしょ。稲は放射能、吸わねくなるかもしんねえよ。でも土にある絶対量は変わってねえんだから。汚染された土の上で、俺たち毎日、朝から晩まで働いてんだよ。将来どうなんのかな、いつか影響出んじゃねえかなって不安だらけだもん」

「国との交渉のときも、ひな壇に座ってる農水省の人に向かって何度も言いました。あんたら除染の『除』って、どういう漢字書くか、わがってんのかって。たーだ混ぜただけで、なんで除染になんのって。したら、みんな下向いて書類見てるんだ。その通りだって、思ってんじゃねえの」

――汚染された表土を、はぎ取れないものですか。

「薄くはぎとれんなら、まだいがったの。だけど事故の翌月に、耕していいっていう県の指示があったんだから。俺も半信半疑だったんだけど、みんな耕したんだ。あそこで耕さねきゃよかったの。1年は作物つくんな、補償は出すって言えば、いがったんだ。おっきな分かれ道だったんだ」

「機械で、はぎとんのは簡単です。だけど40センチも土とっちゃったら、今度はろくな作物できねえから。ふかふかのいい土、1センチつくんのに何十年もかかんだよ」

「8代目の俺の代で、田んぼを荒らすわけにいがねから続けてんだ。やんねで、ぶん投げとけば、すぐに荒れ地になる。周りにも迷惑がかかる。それに、つくんねきゃあ賠償も出ねえし、収入もねえもん。生活できねえ」



――育てた農産物への賠償は?

「販売実績があって損害を証明できるものにだけ出ます。たとえば、事故前に2000円で売れたのが1500円にしかなんねえんだったら、その差額は東電が賠償する。だけど、天候不順で値が上がったキュウリはこの2年、賠償出てねえんです。事故前より高い値段で売れたんだから払いませんって。おがしいっしょ。もしも事故なかったら、もっと高く売れてたんだよ。他県より安いんだよ。もう、東電はカネ出したくねぐて、しょうがねえんだから」

「俺たちだって請求もできねえようなものも、いっぱいあんだ。もう戻ってこねえものが。うぢで毎年つくって食べてた椎茸(しいたけ)も、山のふきのとう、たらの芽も、全部ダメになったけど一切出ねえ」

――風評被害はどうですか。

「うぢのコメも、11年のは放射能が最高値30ベクレルぐれえあったの。規制値が500ベクレル以下(1キロあたり。12年度以降は100ベクレル)だったから十分に大丈夫な数値なんだけど、やっぱ口に入れるもんでしょう。俺も本当は食いだくねかった。まあ、よそで買うわけにもいがねから食いましたけど」

「ただ、出荷すんのは、なんか悪いことしてる気がして。だから東京の人が、福島のは食いたくねえという気持ちは、よくわかる。こんなボロ原発あっとこの、わざわざ買って食いてえかえ。これは風評被害じゃねえよ。根も葉もない噂(うわさ)が広まって売れねえのが風評被害だけど、じぇねえっしょ。根も葉もあんだから。現実に降ったんだよ、放射能が」

――いまも検出されますか。

「コメは去年もおととしも、放射能は未検出だったの。やれることはやったから。放射能の吸収を抑える塩化カリウムも毎年まいてるし。全袋を検査して、もしも数値が出たら出荷できないんだもの、いま福島のコメは、他県よりずっと安全だと思ってる」

「実際、コメは売れてますよ。外食産業とか病院とか、福島県産とわがんねえところで。表には出ねえだけで、すごい量が動いてんの。うまいから、福島のコメは。粘りと甘みがあって。だから外食産業の人らは、いいみたいです。うまいコメを安く買えて」

――野菜はどうですか。

「事故のとき、ハウスはビニールかぶってたから土が汚染されてねえっしょ。もうハウスで作るっぺって思って、露地はほとんどやめました。キャベツも。また数値でんの嫌だから。いまはブロッコリーですけど、安いすよ、買いたたかれて。福島県産だったら都会の人には関係ねえですもん」

――このところ原発が次々と再稼働しています。

「しばらく日本は原発ゼロだったけど、その間に夜真っ暗になったとこってあった? 電気、間に合ってたんじゃねえの。原油のコストはかかってたかもしんねえし、原発のほうが燃料代は安いかもしんねえ。でも事故が起きたら、これ片付けんのに、いぐらかかんのって。お荷物だよ、これ、ほんとに。もう一つどこかで原発壊れたら、どうなんの、この国。税金上げて済む話かえ」

――いまの気持ちを誰に伝えたいですか。

「声上げねえで黙ってたら、楽かもしんねえ。だけど俺は、おやじのことでメディアにも目を向けられてる立場でしょう。ほかの農家のかたで、俺みたいに、おがしいって思ってる人は大勢いるんです。そういう思いを訴えねえでいることは、やっぱできねえんすよね。それは、ずるい」

「だから映画にも出たの。特に原発立地してるとこの農家の人に映画を見てほしい。事故が起きたら、どうなるか知ってほしい。人が作ったものはいつか必ず、ぼっ壊れんだ、自然の力にかなうわけねえんだって、おやじが言ってた通りになったんだから。して、5年もたって、まだ誰も責任とってねえんだから」



〈たるかわ・かずや〉 1975年生まれ。青森の大学を卒業後、福島県いわき市で会社勤め。10年前、原発から65キロの須賀川市にある実家に帰り、農業を営む。

 

■東電主導の賠償、解決図れぬ 大阪市立大の除本理史教授

原発事故の被害を受けた福島には、放射能のリスクを背負いながら、日々の営みを続けている住民が大勢います。「事故前の状態に戻して」というのが当然の願いです。農業者の場合、土地という、生活と生産の両方の基盤を汚染された怒りはひときわ大きい。

こうした被害からの回復を図るうえで、大きな柱になるのが賠償です。もちろん限界もあり、とても被害全体はカバーできません。金銭では償えない被害がたくさんありますから。

 しかし、樽川さんの例はそれ以前の話でもある。そもそも12万円が妥当な額と言えるでしょうか。しかも、その対象は中通りの一部で、さらに南部ではこれすら出ない。受けた被害とのギャップが大きすぎます。避難区域内から指示を受けて避難した人には月10万円が支払われていますが、この格差がまた、須賀川市のような区域外の人には大き過ぎると映る。

どうしても金銭では埋められないものが、人の命です。慰謝料が支払われても命は戻らない。せめて加害者が謝罪すれば、被害者の感情も違ってくるはずなんですが。事故後の対応が新たな被害を生んでいる面が多々あります。

土いじりや山菜採り、子どもの川遊び。こういった自然の恵みも、放射能のせいで各地で失われてしまいましたが、賠償の対象外です。福島の地で営まれていた自然豊かな暮らしは制度上、評価されていない。そんな被害はなかったことにされています。

それは、当事者である被害者の参加を欠いたまま、政府と東京電力の主導で賠償基準がつくられたためです。加害者である東電が被害者への賠償基準を決め、請求の査定までしているのです。

放射性セシウム137の半減期は30年もあり、復興も本来なら、数十年単位のスパンで構えるべきです。まずは被害の実情をきちんと把握しないことには、解決を図る政策も生まれません。

ただ現実は、逆の方向に進んでいます。政府は昨年、避難者への慰謝料を17年度で打ち切る方針を示し、自主避難者への住宅提供も来年の春で切れる見通しです。

東京五輪を迎えるとき、原発被害への主な政策対応は終了しているかもしれません。そのとき福島は被害から回復し、復興もなされたと果たして言えるでしょうか。(聞き手・萩一晶)
     


 〈よけもと・まさふみ〉 1971年生まれ。環境政策論。著書に「原発賠償を問う」。近く「公害から福島を考える」を出版する。

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