2016/02/23

福島からの報告(1) 子どもの健康守り切れたと思う。でも家族は崩壊した

2016年2月23日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ2R3DQJJ2RUBQU00G.html

東京電力福島第一原発事故からまもなく5年がたつ。除染などで放射線量は下がりつつあるが、日々の暮らしやなりわいなど、至るところに事故の影響はなお残っている。福島のいまを4回にわたって報告する。

■事故5年 消えない不安と溝
中部地方のある都市で暮らす女性(36)は、以前は福島県田村市で暮らしていた。2011年3月の東京電力福島第一原発事故から1カ月後、1歳の息子と10歳の娘を連れ、縁のないこの町に避難してきた。

福島の自宅は原発から西に35キロほど離れ、政府の避難指示はなかった。夫は「原発から離れているから大丈夫」と自宅に残ったが、女性は「国のデータは信用できない」と放射能への不安から福島を離れた。

2年前の秋、夫から届いた段ボールには子どもへのお菓子とともに、離婚届が入っていた。夫は「会えない家族に仕送りはできない」と言った。女性は「子どもの健康は守れたと思う。でも家族は壊しちゃった」。離婚したことは、子どもに伝えられずにいる。

事故から5年。いまだ7万人もの人が政府の指示で避難を続けているとはいえ、福島ではスーパーに並ぶ地元産の食材を買う親子も増え、子ども服がベランダで揺れるようになった。だが、事故前の日常を取り戻せない人も少なくない。人々の間に生まれた溝は、時がたっても埋まらない。


事故直後に親子3人で、県沿岸部から郡山市に引っ越した母親(40)もその溝に苦しむ。5年生の娘(11)はクラスメートが給食を配膳し始めると、ランドセルからお弁当をとり出す。給食には放射性物質の検査を通った県内産の米や野菜が使われている。だが、母親は娘の体への影響を心配し弁当を持たせる。

娘は「机を並べている他の子と違っていても、気にならなくなった」。でも、クラスメートに「給食を食べないなんてノイローゼ?」と陰で言われているのも知っている。仲良しだったが今は口をきかない。

母親は「いつか娘が病気になるかもしれない。そう思うともう押しつぶされそうで」と話す。

県教委職員は「数は多くないとはいえ学校に弁当を持ってくる子はいる。屋外の運動会でマスクをしたまま徒競走をする子もいる。放射能への思いは様々で強要できない」という。

■賠償への不公平感
放射能とともに福島の人々に影を落とすのがお金の問題だ。東電の賠償制度では原則、避難指示区域の人は1人月10万円の慰謝料を受け取れるが、区域外は1人総額12万円に限られる。

避難指示が出ている富岡町から県中央部に避難した女性(36)は昨年、地元の母親から浴びせられた一言が忘れられない。息子(5)と放射能を気にせずに無料で遊べる屋内施設に行った時のことだ。

「あなたお金あるんだから有料のツアーに行けば」

放射能を心配せずに県外で遊ぶ有料のツアーに行けばいいという意味だ。女性は「賠償をもらうと無料の場所で遊んじゃいけないんですか? ご近所のママたちも放射能への不安は一緒でしょ」と話す。

その施設には行きたくない。だが、息子にせがまれ今も時折足を運ぶ。話しかけられないよう、耳にイヤホンをずっとつけている。

中京大学の成元哲(ソンウォンチョル)教授らは事故後から継続して、福島市など9市町村で、事故当時1~2歳の子どもがいた母親を対象に調べた。昨年回答を寄せた1200人余りの5割が「(福島での)子育てに不安がある」と答えた。「地元産の食材を使用しない」の項目では、「あてはまる(『どちらかといえば』を含む)」が、事故後半年の8割超からは大幅に下がったが、まだ3割近くいた。賠償には7割以上が「不公平感がある」と答えた。

成教授は「放射能への不安は人それぞれで対策が難しい。せめて不満の矛先が避難者に向かわないような施策が必要だ」という。
(江戸川夏樹)


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