2016/02/23

【福島から問う】帰還 見えぬ道筋5年(中) 近づく限界集落「逆境でこそ川内変わる」

2016年2月23日 産経新聞

「では、少子高齢化と財政の問題について1人1項目ずつ調べてみようか」。福島県川内村の村立川内中学校の3年生の教室で社会科教諭の声が響く。ありふれた授業の一コマだが、生徒数は6人。教室には空きスペースが目立つ。

同校の生徒数は3学年で計13人。東日本大震災前、村内には同学年の子供たちがほかに51人いたが、今は村外で生活する。本間義和校長は「むしろ少人数教育で一人一人を手厚く指導できる」と胸を張るが、学校の現状は東京電力福島第1原発事故で加速する少子高齢化を象徴している。
がらんとした教室で社会科の授業を受ける中3の生徒たち。生徒6人に教師2人と手厚い
=9日、福島県川内村立川内中学校(市岡豊大撮影)
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村のおよそ半分が原発の20キロ圏内に入り避難指示が出され、残りのエリアも避難準備区域に指定されたため、大規模避難を余儀なくされた。平成23年9月に避難準備区域が解除され、24年1月には村役場が村民に帰還を促す「帰村宣言」を発表。26年10月には避難指示の大半も解除されたが、今年1月時点で村内で生活する村民は6割強の1756人にとどまっている。

特に若い世代が戻っていない。村民のうち、村内で暮らす割合を年代別でみると、70代が92%、80代が79%なのに対し、30代は51%▽20代は56%▽10代は30%-と低い。村内生活者で65歳以上が占める高齢化率は40・15%に上り、震災前の34%から上昇。村の存続が危ぶまれる「限界集落」の基準とされる50%にさらに近付いた。

村の痛手は、買い物、雇用などの場として頼りにしていた東隣の富岡町が全域避難を余儀なくされたことだ。震災前、村民の約250人は富岡町を中心とする原発関連企業で働き、買い物も町内のスーパーで行うのが普通だった。その富岡町は今も全域避難中。こうした状況下、若い世代の村民は避難先の郡山市や田村市などにとどまっている。

家族とともに郡山市で避難生活を送る高校3年生、佐藤香織さん(18)は4月から市内の福祉施設で働く。「既に家族全員、避難先で仕事を見つけていた。5年もたてば村に帰る選択肢はなくなる」

一方で光明も差しつつある。村は25年4月、第三セクターによる屋内野菜生産工場を立ち上げた。当初はノウハウに乏しく、昨年11月までは村の補助金頼みの赤字状態だったが、12月に黒字に転じた。

30代以下の若手パートで唯一の男性、遠藤元一さん(24)は工場の将来を背負って立つ覚悟を固めつつある。川内村で生まれ育ち、山形県の短大に進学した。公務員志望だったが、卒業後、興味のあった農業を学ぶため同県内の野菜生産加工会社に就職。1年間修業した後、村で暮らすため昨年3月に帰村した。

「不安は感じていない。むしろ逆境の中でこそ、村の農業は変えられる」

村商工会の井出茂会長は「村の将来を支えてくれる若者はとても貴重。今後、仲間が集まってくれれば村再生の原動力になり得る」と期待を込める。帰還が早かった川内村が現在直面する課題は、これから帰還が進む自治体でも無縁ではない。井出会長は言う。

「今、必要なのは単なる雇用や生活の場ではなく、仲間と働く喜びを感じられる『魅力』や『やりがい』の場ではないだろうか」

ただ、村はこうした雇用創出のための企業誘致や、小規模な商業施設をオープンさせるなどしているが、帰還の大きな流れにはつなげられていない。猪狩貢副村長は「村単独では村民の生活の全てを充足できない。都市部の便利さに慣れてしまえば、村離れは避けられない」と話した。

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