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東京都江東区の国家公務員宿舎「東雲(しののめ)住宅」では、東京電力福島第1原子力発電所事故を受けて福島県を出た人を中心に、今も約900人が避難生活を続けている。「このまま都会に住み続けるのか」「故郷にはいつ帰れるのか」。事故から5年が過ぎても、多くの避難者が将来を見通せずにいる。
「故郷に戻りたいが、子供のことを考えると踏み切れない」。小学6年と中学3年の息子2人と東雲住宅で生活する40代女性はため息をつく。原発事故の直後、福島県富岡町から避難した。「2、3日で帰れるだろうと思ったから、エプロン姿のままだった」
当時築5年だった住まいは居住制限区域内にある。政府は2017年3月までに避難指示を解除することを目標に除染を進めるが、女性は「子供の成長に影響が出ないか心配だ」と話す。解除されても、すぐに戻るつもりはないという。
5年が過ぎ、息子たちは現在の生活環境に溶け込んでいる。一方、夫は単身で福島に戻り、働いている。どこに住むのがいいのか――。このまま東雲住宅の提供を受け続けられる保証はないが、価格上昇が続く都心のマンションは「高すぎて手が出ない」。
富岡町の知人の中には福島県内の別の地域で新生活を始めた人もいる。ただ、女性は制限区域に残してきた家のローンを抱える。「夫と何度話し合っても結論は出ない」と悩む。
平日の昼すぎ、1階の集会室からにぎやかな会話が聞こえてきた。自治組織「東雲の会」の主催で週2回、住民が自由に交流する「サロン」だ。
定期的に開催されている交流会で語らう福島県からの避難者 (2月、東京都江東区の東雲住宅) |
楢葉町から避難してきた一人暮らしの女性(67)は当初、慣れない都会生活のストレスで、うつの症状が出て引きこもりがちに。サロンを通じて知り合いが増え、今は落ち着いて暮らせるようになった。町の避難指示は昨年、全域で解除されたものの、親戚や知人で戻った人はいない。「年が年だし、人が少ない町で一人暮らしは不安」と帰還を半ば諦めている。
避難指示区域外からの自主避難になれば補助が縮小され、転居を余儀なくされる可能性もある。それでも「できるだけ長くここにいたい。同じ境遇の人同士、やっと仲良くなれたのに……」とこぼす。
東雲の会代表の藤田泰夫さんは「サロンに参加する住民は一部にとどまる。部屋に引きこもる孤独な人が多い」と話す。江東区社会福祉協議会は週2回の戸別訪問を続けているが、応答するのは1割程度という。磯村茂所長は「何度訪ねても話を拒まれ、会えない人もいる」と心配している。
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