2016年3月16日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160316/ddl/k31/040/504000c
強い要望、継続に意義
鳥取市で2月7日、東京電力福島第1原発の事故後に福島県で生きる母子の姿を伝えたドキュメンタリー映画「小さき声のカノン」(鎌仲ひとみ監督)の上映会があった。県外産の野菜を集めて母親たちで分け合ったり、通学路の除染に取り組んだり−−。子供たちを被ばくから守るため、母親たちが取り組むさまざまな活動が映し出された。「これがリアルな日本だと、どれだけの人が感じているだろうか」。上映後、米子市の会社員、立林真己(まき)さん(48)は原発事故に翻弄(ほんろう)される母子の姿を指して、そう訴えた。
映画の中に、放射線量の低い地域で子供たちと一時的に過ごす「保養」の場面があった。事故後に全国各地の有志が受け入れを始め、県内でもいくつかの団体・個人が取り組んでいる。立林さんもその一つ「福島こどもほようプロジェクト」に取り組む有志団体の代表だ。「日本で行われていることを知らない人も多いと思う」と話す。
鳥取市でのドキュメンタリー映画上映会後、 「福島こどもほようプロジェクト」について話す立林さん=鳥取市で、高嶋将之撮影 |
プロジェクトは東京都から県内に避難していた女性を中心に始まり、立林さんも当初から運営に関わった。スタッフはボランティアも合わせて15〜20人。2回目の13年から立林さんが実質的に主導している。母子は放射能を気にせず海水に入り、鳥取県産の食材を味わう。「大山町の牧場の芝生で思いっきり走る子供たちの笑顔がうれしい」と立林さんは話す。
一方で、子供たちがはしゃぐ姿に原発事故の影響も見るという。芝生の上を全力で走る子供たちは転びやすく、けがも多い。「屋外で走る機会がないからだろう」と立林さんは思いやる。
母親らから震災による苦労を聞くこともある。震災当初、給水所に行くため子供と一緒に2時間歩いて被ばくさせてしまったと罪悪感を抱える母親、夫の理解を得られず離婚覚悟で参加したという母親。目の前で涙を流して語られる姿と内容の重さを抱えきれず、立林さんは13年に保養の継続断念を考えたこともあったという。しかし、支援者らに励まされ、去り際に「また来たい」と言ってくれた子供たちの笑顔にも背中を押された。「復興支援のあり方はさまざまな形がある。やれる限りは意地でも続けていきたい」と話す。
震災から5年という時の経過を実感することも多い。関心の薄れからか、全国で保養を行う団体は減りつつある。立林さんたちのプロジェクトは今年も4〜5家族を対象に実施する予定だが、支援金は集まりにくくなっているという。立林さんは「なぜ福島の子供たちが保養に来ているのかを鳥取の人にも考えてほしい」と訴える。
県内の避難者支援に取り組む「とっとり震災支援連絡協議会」(川西清美代表)も今夏、2年ぶりに保養を復活させる計画だ。初回の13年は福島県の子供たち約100人を貸し切りバスで鳥取県内に招いた。だが、20人を呼んだ14年を最後に途切れた。川西さん(66)は「継続したかったが、資金面とスタッフの減少で難しかった」と振り返る。今年は小規模でも実施して来年以降につなげる考えだ。「今でも保養をしたいというニーズは強く、応えたい」。だが、国を含め福島県などの行政は保養に積極的ではないといい、川西さんは「実態と大きなギャップがある」と指摘する。
【高嶋将之】
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