2016年3月16日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160316/ddl/k06/040/006000c
「被災地からの避難者は、山形市民と区別せず同じように扱ってほしい。やれることは全部やってくれ」−−。2011年3月11日の東日本大震災の発生から約1週間後、山形市幹部を前に、市川昭男前市長(74)はこう指示した。
震災当日、同市は午後3時半に災害対策連絡会議を設置し、午後6時から公民館や小学校など18カ所で受け入れを始めた。当初、身を寄せたのは停電などの影響を受けた市民がほとんど。だが翌12日以降、福島第1原発事故から逃れた避難者が続々と押し寄せた。市は県外からの避難者向けに2カ所を開設し、同15日には約150人に上った。
対応する市職員は2交代・24時間体制で、見回りや要望の聞き取りなどに当たった。市川氏は「県外から避難してきた人たちはまず、『お風呂はどこにありますか』と言っていたのが印象的。放射性物質を払いのけたいという意識があったのでは」と振り返る。増え続ける県外避難者に対応するため、市は15日に総合スポーツセンター(同市落合町)に避難所を開設。ピークとなった同20日、避難者は約1100人に上った。
避難所で職員の交代勤務が続いた約1カ月間、市川氏は市役所登庁前に同市鈴川町の自宅から同センターを週4、5回訪れる生活を続けた。「可能な日はほぼ毎日行った。職員が寝ずの番をしているのだから、常に状況を把握しなければならないと思った」とする。「いつまでここにいられるんですか」と不安そうに尋ねる避難者に、「一人でも残っている限りずっといていい」と、安心してもらうことに努めたという。避難所は11年6月末まで開設した。
「できることは何でも」という姿勢は、市の政策にも反映された。震災直後の4月から本来は住民票の異動が必要な行政サービスの提供を始めた。具体的には、義務教育の就学支援や幼児の健診、定期予防接種の実施などで、同8月には母子手帳の交付や障害者支援、病児・病後児保育などに拡大した。市防災対策課によると、作成した県外避難者の名簿を担当課と共有。避難元の自治体に問い合わせ、窓口での本人確認に役立てたという。
県によると、県外からの避難者は12年1月にピークの約1万3800人で、うち山形市は約4割の5736人を受け入れた。今年3月3日現在でも県全体の36%(1236人)を受け入れており、今もほとんどが福島県からだ。
市川氏はボランティアとの協力の重要性を強調する。避難所暮らしが長期化する中、物資の不足、避難者の健康維持などに対応できたのはボランティアの力があったからこそ。医師会、病院などの協力を受け医師や助産師らが巡回した。
震災を契機に、物資提供や医療・福祉などに関して各種団体と災害時の協定を結び、現在51に及ぶ。このうち、23は震災以降に結んだものだ。市川氏は「どんな災害でもボランティアは絶対に必要。高齢者ら災害弱者にどう避難してもらうかなどの計画作りはなかなか進んでおらず、市民や団体との連携強化を図らないといけない」と力を込めた。【光田宗義】=つづく
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