2016/03/01

震災5年 浜松から福島へ帰郷の時/静岡

2016年3月1日 中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20160301/CK2016030102000106.html

◆中3長女の卒業式終えれば
福島第一原発事故から逃れ、立地する福島県双葉町から親類が暮らす浜松市に避難した佐藤大さん(37)一家は、五年を過ごした浜松市を三月に去る。「福島に帰れないと、震災は終わらない」と二年前、双葉町から車で南に一時間のいわき市に家を新築していた。双葉の小学校の友人とは離れ離れになってしまった長女。浜松の中学では、せめて浜松の友人たちと一緒に卒業させたいと、二年延ばしていた帰郷の時が迫っている。

五年前の東日本大震災の翌朝。車に妻(36)と三人の娘を乗せ、福島第一原発から三・七キロの距離にある自宅を出た。当時小学四年だった長女の葉月さん(15)は「二、三日で帰れると思っていた」と振り返る。


だが各地に避難した双葉南小の級友らとは一緒に卒業できなかった。だからだろう。浜松の中学に進んだ葉月さんが「浜松の友人と卒業したい」と話すのを佐藤さんは聞き逃さなかった。

「『だに』とか『だら』とか語尾が遠州弁になった」と笑う葉月さんは今春、仙台の学校に進む。生涯の友人になりそうな中学の同級生たちとの距離は、また離れることになる。帰郷を二年延ばしてでも浜松で中学の卒業式を迎えられることに、佐藤さんには、葉月さんの思いをくんであげられたとの満足がある。

佐藤さんも五年を過ごした静岡県にはさまざまな思いがある。浜岡原発(御前崎市)があり、いつか巨大地震が襲いかかると想定される点が故郷に重なった。

事故当時は、福島第一原発の下請け会社の社員で、非常電源の保守にも携わった。だからこそ「福島第一原発も地震に何重もの対策を取っていた。想定外があるというのが教訓。浜岡原発のある静岡もよく考えて」と訴える。

静岡県に避難した被災者が孤立しないよう交流拠点「はままつ東北交流館」を自費で運営したことも。大半は帰郷したので一昨年に閉めたが、各種イベントでの被災三県の特産品販売は続けてきた。最近は「ああ東北ね…」と言い残して通り過ぎる人も増え、関心の低下を感じる。

双葉町の実家は帰還困難区域のままで、本当の意味で帰郷できる日は見通せない。

それだけに葉月さんは、実家に愛用のテニスラケットを置いてきたことを今も悔やむ。町や県の大会で仲間と競技に熱中した時間が、ラケットの中にあったように感じるからだ。「少しでも町に近づきたい。でも、かあちゃんが放射能の影響を心配する」

もしかすると年をとったころ、帰郷できるかもしれない。葉月さんがそんなことを口にすると、佐藤さんが冗談めかして「おりゃそのころ、もういねえぞ」

佐藤さんが真剣な表情に戻って言う。「双葉に中間貯蔵する汚染物質は、いまさら町外には出せない。恒久貯蔵になれば、もう人が戻れる場所ではなくなる」

東電の下請け会社は解雇された。いわき市では、自宅の一角で、趣味のアメリカ車の雑貨店をやる。

「双葉がどうなるか、先は長いんです」。ずっと見守るためにも福島での新生活を前向きに考えたい。佐藤さんは、そう言った。
(勝間田秀樹)

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