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「ここは、居住制限区域だったのに、段階を踏まずに避難指示解除されたんです」
自宅前で、そう訴えるのは、7月12日に避難指示が解除された南相馬市小高区・川房(かわぶさ)地区の行政区長、佐藤定男さん(60)。
佐藤さんは現在、家族とともに宮城県内の借り上げ住宅に住んでいる。今回、福島第一原発事故の影響による避難指示が解除になるのは、福島県南相馬市の小高区と原町区の「避難指示解除準備区域」(年間被ばく量が20ミリシーベルトを下回る地域)と、小高区の居住制限区域(同20~50ミリシーベルトを越えるおそれがある地域)。避難指示が続くエリアでは、対象者が最多の計3516世帯、1万967人となる。
佐藤さん宅の裏には、地上1mで毎時2マイクロシーベルトを越える。 |
小高区は、福島第一原発から20km圏内にあり、有名な祭礼のひとつ“相馬野馬追”が行われる町として知られている。この町は、太平洋を臨む沿岸部と、阿武隈山地に囲まれた山間部に分かれているのだが、空間の放射線量だけ見ると、相対的に山間部のほうが高い。佐藤さんの住居がある川房地区は、後者の山間部にあり、「帰還困難区域」(年間被ばく量が50ミリシーベルトを超えるおそれがあり長期にわたって居住が制限される地域)の浪江町と隣接しており、とりわけ放射線量が高いのだ。
「うちは、いまだに家の中で毎時0.7マイクロシーベルトあります。今回、避難指示が解除される地域のなかでも、沿岸部より10倍ほど放射線量が高い。同時期に解除されるのは、納得がいかない」(佐藤さん)〈原発事故前は、およそ毎時0.02~0.05マイクロシーベルト〉
これまで国は、放射線量の低下にともなって、避難指示エリアを「居住制限区域」から「避難指示解除準備区域」に落とし、その後、避難解除という段階的な手順を踏んでいた。しかし、今回は「除染が済んだから」という理由で「避難指示解除準備区域」へ下げることなく、解除に踏み切った。これは先月、避難指示が解除になった葛尾村に続く2例目だ。
「内閣府の資料には、『年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下になることが確実になった場合は、居住制限区域から避難指示解除準備区域に移行します』と書いてあるんです。南相馬市からも、ずっとそう説明を受けていました」と佐藤さんの妻・明子さん(60)も語る。
なぜ段階を踏まずに解除したのか。記者が、管轄している内閣府の原子力被災者生活支援チームに問い合わせてみると「段階的に避難指示を解除しなければいけないというルールがあるわけではない」との返答だった。除染が済んで年間20ミリシーベルト以下になったこと、生活インフラが整ったこと、自治体や住民との協議ができたことなどが、解除の主な要件になるという。
子育て世代で川房地区に戻る人はいない
では、国が解除の要件のひとつしてあげている「除染」の進捗状況はどうなのか。
6月下旬、記者は川房地区に住む村上栄子さん(仮名・54)の自宅を訪れた。四方を里山に囲まれ、一見のどかな風景だが、村上さん宅の広い庭は、除染のため芝生などが剥ぎ取られ、土がむきだしになっている。あたりには、土ぼこりが舞っていた。「今日、除染が始まったばかりなんです」と村上さん。国は「除染が完了した」ことを条件に解除したはずだが、村上さん宅の終了予定は8月末だという。
除染が始まったばかりの村上さん宅。 芝をはぎとっても地上1mで1マイクロシーベルト越える場所も |
前出の原子力被災者生活支援チームの担当者に除染の現状を伝えると、「宅地まわりの除染は4月末までに終了した。環境省が確認して、すべて完了報告書を発送している。市も確認作業をしている。まだ除染中の場所があるなら教えてほしい」との返答。南相馬市にも問い合わせると、「除染が完了したから解除した」との一点張り。最後に、小高区の除染を管轄している環境省福島再生事務所に確認すると、「宅地の除染は95%終了している。残り5%はまだ完了しておらず、平成28年度中に完了予定」とのことだった。とんでもないことに、解除の要件としてあげている「除染の完了」を国自体が否定したのだ……。
前出の村上さんのお宅には、玄関横にウッドデッキがあった。
「このウッドデッキの汚染がひどいんです。木に放射性物質が染みこんでいて、もう除染はできないから、取り壊すしかないと言われてるんですけど、思い出があるので迷っています……」
記者がウッドデッキ周辺を測定してみると、空間線量は毎時0.9マイクロシーベルト。ウッドデッキの表面汚染密度度は、約10万ベクレルを超えた。この数値は、(※)放射線管理区域にあたる4万ベクレル/平米より、はるかに高い。玄関周辺では、毎時0.7マイクロシーベルト前後だったが、自宅裏庭を測定してみると、すでに表土をはぎとった場所でさえも、地表から約1メートルで毎時2マイクロシーベルト越える場所があった。周辺の土を測定すると、2,560万ベクレル/平米という、放射線管理区域4万ベクレル/平米の約640倍にも及ぶ放射性セシウム(セシウム134とセシウム137の合算値)が検出された。
「私がここに嫁いだのは17年前。それから夫と2人で工務店を営み、朝晩ろくに寝ないで働いて、やっとこの家を建てたんです。思い入れがあるから、いずれは戻りたいけど、子どもたちは帰せない」と、村上さんは辛い胸の内を明かしてくれた。
前出の川房地区の行政区長、佐藤さんは、代々続く兼業農家。原発事故前までは、米や野菜を作っていた。「これ、見てください。うちの農地には、まだこんなに汚染物が積まれているんです」と言って妻の明子さんが指さす先には、除染で出たゴミが入った黒い袋の山が。いつ、中間貯蔵施設に運び出されるのか、メドが立っていない。
「こんな状態では、戻っても生活が成り立ちません。この袋がなくなってから解除したって遅くないのに」(佐藤さん)
佐藤さんの自宅の線量は、「5回除染してもらった」という玄関先で、毎時0.7マイクロシーベルト前後。裏の里山に入ると、すでに土を剥ぎとって除染は済んでいるものの、地上1メートルで毎時1~2マイクロシーベルトあった(事故前の約33倍)。
一般公衆の年間被ばく限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)により「年間1ミリシーベルト」とされている。
「けど川房地区は、年間被ばく量が4ミリシーベルトを超えるところが多いんです。国は、長期目標として1ミリシーベルトに近づけるよう努力すると言うが、いつになるかわかりません。放射線従事者でさえ、妊娠中は腹部で2ミリシーベルトを超えてはならないという決まりがあるんですよ。我々は一般の居住者なのに、こんな場所で、安心して子どもを産み育てられません」(佐藤さん)
実際に、子育て世代で川房地区に戻る人はいない。
「東京オリンピックまでに、原発事故を“なかったこと”にしたいんだ」
一方で、戻ることを決めた人の思いも複雑だ。「また農業を再開したい」と話してくれたのは、川房地区で長年、専業農家をしてきた菊池達治さん(仮名・62)。原発事故後は、避難先で“うつ”状態になり、3年ほど家に閉じこもる日々が続いた。
「そしたら足腰が弱ってね。体が思うように動かなくなって。だから最近、避難先で畑仕事のアルバイトを始めたんですよ。もう一度戻って農業を再開したいから」
菊池さんの自宅は、5年間避難している間に老朽化が進み、先月に取り壊したばかり。しかし農業の作業場だけは残した。「もう、川房に家は建てられないから、隣町に住んで、農業をするためにここに通います」と、菊池さんは話す。しかし、老後と将来世代への心配はつきない。
「私が農作業できるのは、せいぜいあと10年。被ばくの影響がどう出るかわからないから、ここに孫たちは戻せない。そうなると、農業も私の代で終わりでしょう。その後、土地は誰が管理するのか。目先の“復旧”はできたとしても、子どもを育てられない町に本当の“復興”はありません」(菊池さん)
しかし、そんな住民たちの不安は国には届かない。原子力推進側の国際的な専門機関でさえ年間1ミリシーベルトという基準を定めているのに、国は「国際的な知見では、100ミリシーベルト以下の被ばくでは、喫煙などほかの要因にまぎれて明らかな健康リスクの増加は証明できない」として、避難支持解除の基準を年間20ミリシーベルトに設定。事故前の基準、年間1ミリシーベルトより高いが、100ミリシーベルトより低いから問題ない、というダブルスタンダードを認めたままだ。
しかし過去には、裁判所から5ミリシーベルトで白血病の労災認定を受けた原発作業員もいる。
「ご不安なら、実際に積算線量計を付けて、線量マップを作られたらどうですか。ホットスポットがわかったら、被ばくを避けられますよ」
解除前に行われた住民と内閣府原子力現地対策本部との懇談会で、ある役人はそのような発言をしたという。
「本当は、ホットスポットもきれいに除染してから、『もう安全ですから帰ってください』と安全宣言して解除するのが筋。でも、国側は決して、『安全だから帰ってきなさい』とは言いません。『戻りたい人が戻れるように避難指示を解除した。戻るか否かは自己判断です、という姿勢なんです」(妻・明子さん)
「原発が爆発して、危ないから出ていけと言われ、もう大丈夫だから戻れと言われる。線量が高いからといって戻らなければ、やがて仮設住宅も追い出されて”棄民”ですよ。私たちって、いったい何なんでしょうか」
住民から、そんな声も聞こえてきた。
前出の川房行政区の区長、佐藤さんは「国が土地を買い上げてくれたら、ここから出たいという住民もいる。若い人が戻らない土地に未来はない。柔軟に考えてほしい」と、引き続き国に対して、土地の買い上げなどを要望していく予定だ。
国は昨年6月、2017年3月末までに、帰還困難区域を除く避難指示区域をすべて解除すると閣議決定し、そのシナリオどおり着々と進めようとしている。
川房地区と同じく“居住制限区域”に指定されている川俣町山木屋(福島県伊達郡)や、浪江町(福島県双葉郡)の一部についても、国は解除しようと躍起になっているが、いまだ放射線量は高く、住民から強い反発があり、話し合いが進んでいない。
「2020年の東京オリンピックまでに、避難指示をすべて解除して原発事故を“なかったこと”にしたいんだ。われわれは忘れられていくだけ」(菊池さん)
これだけの惨禍を“なかったこと”にすれば、いずれ、また同じ過ちを繰り返してしまう。そうしないためにも、国がやろうとしていることを、しっかり見つめ、声をあげていく必要がある。
取材・文/和田秀子
(※)放射線管理区域とは
放射線による障害を防止するために法令で管理されているエリアのこと。この法令によると18歳未満は、放射線管理区域での就労が禁止。大人であっても10時間以上の就労は禁止、飲食も禁止となっている。
前出の村上さんのお宅には、玄関横にウッドデッキがあった。
「このウッドデッキの汚染がひどいんです。木に放射性物質が染みこんでいて、もう除染はできないから、取り壊すしかないと言われてるんですけど、思い出があるので迷っています……」
記者がウッドデッキ周辺を測定してみると、空間線量は毎時0.9マイクロシーベルト。ウッドデッキの表面汚染密度度は、約10万ベクレルを超えた。この数値は、(※)放射線管理区域にあたる4万ベクレル/平米より、はるかに高い。玄関周辺では、毎時0.7マイクロシーベルト前後だったが、自宅裏庭を測定してみると、すでに表土をはぎとった場所でさえも、地表から約1メートルで毎時2マイクロシーベルト越える場所があった。周辺の土を測定すると、2,560万ベクレル/平米という、放射線管理区域4万ベクレル/平米の約640倍にも及ぶ放射性セシウム(セシウム134とセシウム137の合算値)が検出された。
「私がここに嫁いだのは17年前。それから夫と2人で工務店を営み、朝晩ろくに寝ないで働いて、やっとこの家を建てたんです。思い入れがあるから、いずれは戻りたいけど、子どもたちは帰せない」と、村上さんは辛い胸の内を明かしてくれた。
前出の川房地区の行政区長、佐藤さんは、代々続く兼業農家。原発事故前までは、米や野菜を作っていた。「これ、見てください。うちの農地には、まだこんなに汚染物が積まれているんです」と言って妻の明子さんが指さす先には、除染で出たゴミが入った黒い袋の山が。いつ、中間貯蔵施設に運び出されるのか、メドが立っていない。
「こんな状態では、戻っても生活が成り立ちません。この袋がなくなってから解除したって遅くないのに」(佐藤さん)
佐藤さんの自宅の線量は、「5回除染してもらった」という玄関先で、毎時0.7マイクロシーベルト前後。裏の里山に入ると、すでに土を剥ぎとって除染は済んでいるものの、地上1メートルで毎時1~2マイクロシーベルトあった(事故前の約33倍)。
一般公衆の年間被ばく限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)により「年間1ミリシーベルト」とされている。
「けど川房地区は、年間被ばく量が4ミリシーベルトを超えるところが多いんです。国は、長期目標として1ミリシーベルトに近づけるよう努力すると言うが、いつになるかわかりません。放射線従事者でさえ、妊娠中は腹部で2ミリシーベルトを超えてはならないという決まりがあるんですよ。我々は一般の居住者なのに、こんな場所で、安心して子どもを産み育てられません」(佐藤さん)
実際に、子育て世代で川房地区に戻る人はいない。
「東京オリンピックまでに、原発事故を“なかったこと”にしたいんだ」
一方で、戻ることを決めた人の思いも複雑だ。「また農業を再開したい」と話してくれたのは、川房地区で長年、専業農家をしてきた菊池達治さん(仮名・62)。原発事故後は、避難先で“うつ”状態になり、3年ほど家に閉じこもる日々が続いた。
「そしたら足腰が弱ってね。体が思うように動かなくなって。だから最近、避難先で畑仕事のアルバイトを始めたんですよ。もう一度戻って農業を再開したいから」
菊池さんの自宅は、5年間避難している間に老朽化が進み、先月に取り壊したばかり。しかし農業の作業場だけは残した。「もう、川房に家は建てられないから、隣町に住んで、農業をするためにここに通います」と、菊池さんは話す。しかし、老後と将来世代への心配はつきない。
「私が農作業できるのは、せいぜいあと10年。被ばくの影響がどう出るかわからないから、ここに孫たちは戻せない。そうなると、農業も私の代で終わりでしょう。その後、土地は誰が管理するのか。目先の“復旧”はできたとしても、子どもを育てられない町に本当の“復興”はありません」(菊池さん)
しかし、そんな住民たちの不安は国には届かない。原子力推進側の国際的な専門機関でさえ年間1ミリシーベルトという基準を定めているのに、国は「国際的な知見では、100ミリシーベルト以下の被ばくでは、喫煙などほかの要因にまぎれて明らかな健康リスクの増加は証明できない」として、避難支持解除の基準を年間20ミリシーベルトに設定。事故前の基準、年間1ミリシーベルトより高いが、100ミリシーベルトより低いから問題ない、というダブルスタンダードを認めたままだ。
しかし過去には、裁判所から5ミリシーベルトで白血病の労災認定を受けた原発作業員もいる。
「ご不安なら、実際に積算線量計を付けて、線量マップを作られたらどうですか。ホットスポットがわかったら、被ばくを避けられますよ」
解除前に行われた住民と内閣府原子力現地対策本部との懇談会で、ある役人はそのような発言をしたという。
「本当は、ホットスポットもきれいに除染してから、『もう安全ですから帰ってください』と安全宣言して解除するのが筋。でも、国側は決して、『安全だから帰ってきなさい』とは言いません。『戻りたい人が戻れるように避難指示を解除した。戻るか否かは自己判断です、という姿勢なんです」(妻・明子さん)
「原発が爆発して、危ないから出ていけと言われ、もう大丈夫だから戻れと言われる。線量が高いからといって戻らなければ、やがて仮設住宅も追い出されて”棄民”ですよ。私たちって、いったい何なんでしょうか」
住民から、そんな声も聞こえてきた。
前出の川房行政区の区長、佐藤さんは「国が土地を買い上げてくれたら、ここから出たいという住民もいる。若い人が戻らない土地に未来はない。柔軟に考えてほしい」と、引き続き国に対して、土地の買い上げなどを要望していく予定だ。
国は昨年6月、2017年3月末までに、帰還困難区域を除く避難指示区域をすべて解除すると閣議決定し、そのシナリオどおり着々と進めようとしている。
川房地区と同じく“居住制限区域”に指定されている川俣町山木屋(福島県伊達郡)や、浪江町(福島県双葉郡)の一部についても、国は解除しようと躍起になっているが、いまだ放射線量は高く、住民から強い反発があり、話し合いが進んでいない。
「2020年の東京オリンピックまでに、避難指示をすべて解除して原発事故を“なかったこと”にしたいんだ。われわれは忘れられていくだけ」(菊池さん)
これだけの惨禍を“なかったこと”にすれば、いずれ、また同じ過ちを繰り返してしまう。そうしないためにも、国がやろうとしていることを、しっかり見つめ、声をあげていく必要がある。
取材・文/和田秀子
(※)放射線管理区域とは
放射線による障害を防止するために法令で管理されているエリアのこと。この法令によると18歳未満は、放射線管理区域での就労が禁止。大人であっても10時間以上の就労は禁止、飲食も禁止となっている。
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