2016/07/12

【報道まとめ】南相馬の避難指示解除

南相馬の避難解除 市南部の復興本格化

2016年7月12日福島民報
http://www.minpo.jp/news/detail/2016071232732

政府は12日午前零時、東京電力福島第一原発事故に伴う南相馬市の避難区域のうち居住制限、避難指示解除準備の両区域を解除した。対象人口は同市小高区を中心とした約1万800人で、これまで解除された市町村で最も多い。生活圏の除染など課題を抱える中、原発事故から5年4カ月を経て、市南部の復興に向けた取り組みが本格化する。

南相馬市の居住制限、避難指示解除準備両区域を巡り、政府は5月の住民説明会で7月1日の解除方針を示したが、市は市民の意見を踏まえて延期を求めた。生活環境の整備状況などを踏まえ、最終的に相馬野馬追開催前の12日の解除が決まった。

7月1日現在の居住制限区域の人口は457人(121世帯)、避難指示解除準備区域は1万350人(3366世帯)で計1万807人(3487世帯)。両区域には市南部の小高区全域が含まれ、対象人口は市全体の17%、対象世帯は15%に当たる。

小高区では平成30年、多世代が交流できる復興拠点施設がオープンする予定。既に業務を再開している区役所と住民が一体となり、地域コミュニティー再生に向けた取り組みを進める。

区域内では上下水道は復旧が完了した。道路は津波被災地の一部を除き整備を終えている。災害公営住宅40戸が完成したほか、市営住宅の修繕も進み、古里に戻る住民を受け入れる体制が整いつつある。市内の商業施設、医療施設などを利用する際の足となる市のジャンボタクシーは避難指示解除と同時にダイヤを改正し、利便性向上を図る。

一方、区域内の宅地除染は一部を除いて終わったが5月末現在、農地の完了率は35%、森林62%、道路39%となっており、作業が終わるのは平成29年度内の見通しだ。放射線に不安を抱く住民のため、市は相談業務などを通じて帰還を後押しする方針。医療・介護施設や商業施設を整備するよう求める声も出ている。

避難指示解除は田村市都路町、川内村、楢葉町、葛尾村に次ぎ5市町村目。
南相馬市内の帰還困難区域(1世帯)が解除される見通しは立っていない。




南相馬の避難指示解除 5市町村目、最大規模・3487世帯対象

2016年7月12日 福島民友
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20160712-091561.php

政府は12日午前0時、東京電力福島第1原発事故に伴い南相馬市小高区と同市原町区の一部に出されている居住制限、避難指示解除準備両区域の避難指示を解除。避難指示の解除は、田村市都路地区、川内村、楢葉町、葛尾村に続き5市町村目で、これまでの避難指示解除で最大規模となる。

解除の対象は7月1日現在で3487世帯1万807人。昨年8月に始まった準備宿泊の登録者数は6月30日現在、690世帯1999人。

このほか南相馬市には帰還困難区域があり、原発事故前に1世帯2人が住んでいた。

常磐線「原ノ町―小高駅間」12日再開

南相馬市小高区などの避難指示が12日に解除され、常磐線原ノ町―小高駅間の運転が同日再開するのを前に、JR東日本水戸支社は11日、同市原町区のJR原ノ町運輸区で車両への絵の展示作業などを行った。

沿線の同市原町区の太田小の全校児童51人が描いた絵を、原ノ町―小高駅間を運転再開後最初に走る車両に飾った。

同日は展示作業と清掃作業を行い、同支社や同運輸区などの社員約15人が参加した。同支社によると、子どもたちの絵は9月末まで披露される予定。


子どもたちが描いた絵を車内に飾る社員=南相馬市原町区・JR原ノ町運輸区




福島・南相馬 これまでで最大 避難指示解除
2016年7月12日 NHK 















鈴木
「勇壮な騎馬武者たち。
こちらは福島県の伝統の夏祭り『相馬野馬追(そうまのまおい)』です。
相馬野馬追が行われる福島県南相馬市の一部地域は5年前の原発事故によって避難指示が出されてきました。
来週祭りが始まるのを前に、今日(12日)、避難指示の大部分が解除されました。」

河野
「対象の住民は1万人を超え、これまでの自治体で最大です。
街の元の姿をどう取り戻していくかが課題となっています。」

南相馬 小高区 住民たちは

三條リポーター
「南相馬市のJR小高駅です。
時刻は午前7時25分、一番列車が入ってきました。
住民の方でしょうか、拍手で電車を出迎えています。」



今日、午前0時に避難指示が解除された南相馬市小高区。
解除にあわせて、JR常磐線も一部区間で運転を再開しました。



「涙が出そうでした。
一歩進めるなと。」



小高区から避難
「これから小高に住む。」



手には一番列車の切符が…。

小高区から避難
「切符を記念にとっておきたい。」


小高駅の周辺を歩いてみると…。

三條リポーター
「こちら真新しい看板。
これから儀式が始まるんでしょうか、入っていきますね。」



震災前、ここで鮮魚店を営んでいた谷地茂一(やち・しげいち)さんと、美智子(みちこ)さんの夫婦です。
避難先の仮設住宅から戻って、今週金曜日、店を再開します。



5年以上の避難の間に傷んだ店舗を、新しく建て替えました。

三條リポーター
「準備は整った?」

鮮魚店を再開 谷地茂一さん
「そうですね。」



谷地さんはこれまで、移動販売車で営業を続けてきました。
時折見る、ふるさとの風景に心を痛めてきたと言います。



鮮魚店を再開 谷地茂一さん
「小高の商店街も暗かった。
全体が沈んで、カラスだけが飛んでいる。
見たときには何回も涙が出た、嫌で。
お店をやっていれば、お客さんが入ってこられる。」



三條リポーター
「寄り合い場所みたいに?」

鮮魚店を再開 谷地茂一さん
「そうなってもらえれば最高。」

除染終わらず 住民帰還に課題も


一方、駅から少し離れてみると…。

三條リポーター
「こちらの家、入り口の所に冊があります。
中は人がいる様子はありません。」


三條リポーター
「こちらのお宅の庭も、草がたくさん生えていますね。」

多くの住民が、ふるさとを離れたまま帰ってきていません。



放射性物質を取り除く除染は、宅地やその周辺では終わりましたが、農地や道路では多くで終わっていません。



農家の椀澤芳治(わんざわ・よしはる)さんです。
椀澤さんの畑も、まだ除染が終わっていません。
放射性物質の影響を調べるため、試験的にかぼちゃを栽培していますが、生産を再開するメドは立たないままです。



農業 椀澤芳治さん
「除染がいつ終わるか。
政府でやると言った以上は、時間を延ばさないで短期間でやると。」

「相馬野馬追」 地域の力に

金澤隆秀記者(福島局)
「地元の人たちが心待ちにしているのは、1000年以上の伝統を誇る夏祭り、『相馬野馬追』です。」


相馬野馬追に50回以上参加してきた、佐藤邦夫(さとう・くにお)さんです。



相馬野馬追に50回以上参加 佐藤邦夫さん
「出陣式の時、記念に撮った写真。」



佐藤さんは、小高区の大将として地区の騎馬隊を率いてきました。
伝統の祭りを前に気持ちが高ぶる一方、複雑な思いも抱えています。



原発事故の前、子どもや孫たちと賑やかに暮らしていた佐藤さん。
今は皆、市の外に避難したままで、いつ戻ってこられるのか見通しはたっていません。



相馬野馬追に50回以上参加 佐藤邦夫さん
「一番の精神的な苦痛は、子ども・孫といっしょに暮らせないこと。」


その佐藤さんに、うれしい知らせがありました。
子どもや孫たちが野馬追に参加したいと、来週、一時的に帰ってくるというのです。

今年(2016年)の野馬追はなんとしても成功させたい。
佐藤さんは決意を新たにしています。

相馬野馬追に50回以上参加 佐藤邦夫さん
「避難解除になって、みんなかなり帰ってくると思うので、野馬追を元気にやっているところを見てもらえれば、少しでも力になるのかなと。」

戻れない住民も… 帰還実現へ課題は


鈴木
「JR小高駅前には三條リポーターがいます。
現地を取材して、どんなことを感じましたか?」

三條リポーター
「率直に言って、お話を聞かせていただいた方の多くが言っていらっしゃいましたが、3年後、5年後、そういった先のことが見えないという現実、そこに胸が痛む思いがしました。
このJR小高駅前、今から1時間ほど前に終電が出ていきました。
今はこの辺り、静かになっています。
今日、避難指示が解除されました。
しかし、ここに再び戻って住むと決めた人は多くありません。

ご覧いただいているのは、このすぐ近くにある高台から撮った住宅地の映像です。
夕方から夜にかけての様子なんですが、明るいうちは一見、普通の町のように見えるかもしれません。
しかし、家の明かりを見てください。


暗くなってくると、ほとんど明かりがついていないんです。
まだ、戻ってきている人は少ないということがよくわかると思います。



住民の方々に話を聞いてみると、この住み慣れた小高区に帰りたいという気持ちと不安、そういった2つの気持ちの間で揺れている、そういった方が少なくないと感じました。
その大きな理由の1つが、除染にあります。
実際に今日、私が取材をしてみても、除染作業をしている現場に出くわしました。
避難指示が解除されたとはいえ、そういった原発事故の影響が残っていることを目の当たりにした瞬間でもありました。

取材をさせていただいた農家の椀澤さんですが、とつとつとした語り口の中でも唯一、こちらが一瞬緊張するくらいに口調が強くなったことがあったんです。
それが、除染の話をした時だったんです。
避難指示が解除されても、除染が完璧に終わらなければ何も変わらないんだよと話していたのが印象に残っています。
この後、その除染作業をどうやって加速させていくのか、そこが問われていると感じます。」


避難指示解除 南相馬 小高区は


鈴木
「まだまだ課題は山積みだと思うんですが、でも帰ってきた人の表情を見ると、本当に希望を感じましたね。」

河野
「この小高区は、私、4か月前に取材で行ったことがあるんですが、やはり震災の爪あとや原発事故の影響は色濃く残ってるなという印象はあったんですね。
まだまだいろんな課題が残っているとは思うんですが、今回の避難指示解除が、町の元の姿を取り戻すための、少なくとも第一歩になればいいなと思います。」

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