2016/07/30

栃木/塩谷町選定から丸2年 計画宙に浮く

2016年7月30日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201607/CK2016073002000178.html

高濃度の放射性物質を含む「指定廃棄物」の処分場(長期管理施設)の候補地に塩谷町が選ばれてから、30日で丸2年となる。町は一貫して候補地の白紙撤回を訴え続けているが、国は県内に処分場を造る方針を変えていない。先の見えない反対運動に苦悩する塩谷町民と、一時保管の負担を強いられている人々のはざまで、首都圏で最多となる約1万3500トンの処分計画は、いまだに宙に浮いたままだ。 (大野暢子)

■避難先が候補地に
「やっとついのすみかを見つけたと思ったのに…」

塩谷町上寺島の処分場候補地から約10キロの家で暮らす上神谷野理男(かみかべやのりお)さん(69)は、伏し目がちに語り始めた。2011年の東京電力福島第一原発事故に伴い、故郷の福島県富岡町から、妻の美恵子さん(62)と強制避難してきた。

富岡町の家は原則、日帰りしか認められていない居住制限区域内。帰還の見通しが立たないわが家をいずれは手放す覚悟を固め、13年冬、新居として中古住宅を買ったのが、塩谷町だった。

町内に少しずつ知り合いが増え、趣味の散歩を楽しむゆとりも生まれ始めた14年7月、国が上寺島の国有林を、指定廃棄物の処分場候補地に選定。「引き裂かれるような思いで故郷を出たのに、この先も放射能の問題から逃げられないのか」とがくぜんとした。

原発事故前、定期検査中の原発の除染を請け負う企業に、30年近く勤めていた。「複雑な立場だ」と自覚し、塩谷町の反対運動を静かに見守ってきた。だが、第二の故郷と決めた地に原発の負の遺産が持ち込まれる計画には、納得できないでいる。

「候補地は昨秋の豪雨で冠水した。選定は間違いだったと、私は信じたい」

■一時保管者は被害者

県内に約160カ所ある指定廃棄物の一時保管場所のうち、8割は農家や事業所などの民有地だ。自宅の敷地内に数トンの指定廃棄物を一時保管している那須町の和牛農家の男性は「県職員から『2年間の辛抱ですよ』と説得されたが、処分場ができないまま、原発事故から五年以上もたってしまった」とため息をつく。

男性の土地にある指定廃棄物は、牛の餌になるはずだった稲わらが中心。指定された際の放射性物質濃度は、1キログラム当たり約19万ベクレルに上り、指定基準の8000ベクレル超を大幅に上回った。

地域の人が不安がらないよう、保管場所に選んだのは隣家から遠く離れた牧草地。「この辺りに生えた草を牛に食べさせようとは、もう思えない」と漏らす。

国は一時保管の協力者に金銭的な補償をしておらず、当事者の負担感に拍車をかける。「原発事故被害者の私たちが、さらなる苦労を引き受けている」と男性は憤るが、「保管量の少ない塩谷町が県内の全量を受け入れる計画を拒否するのは当然。別の処分法を探る時期では」とも語る。

男性が国の姿勢以上に残念に感じているのは、県民の間でこの問題があまり積極的に議論されていない印象を受けることだ。

「不満を言えば『いつまで騒いでいるのか』と言われかねない。せめて県内の人々には、誰が被害者なのかを忘れないでほしい」

<指定廃棄物> 
東京電力福島第一原発事故による放射性物質で汚染された焼却灰や汚泥、牧草など。国は栃木、茨城、群馬、千葉、宮城の5県で処分場を整備する方針。民主党政権だった2012年、国は矢板市をいったん栃木県の候補地に選んだが、反対運動で撤回に追い込まれた。この反省を踏まえ、国はその後、県内の市町村長会議で新しい選定方法を決め、あらためて塩谷町の候補地を提示した。

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